So-net無料ブログ作成

『あいつのおかげで』ーーー10 [自作原稿抜粋]

────────────────
 山雨乃兎 近著

 『あいつのおかげで』10
────────────────

 正午まえになっておれと山下はダイニングルームに招かれ、奥さんの手料理をごちそう

になった。

 南京と大根を炊いて鮪(まぐろ)の缶詰めを後半に一緒にして炊いたもの。じゃが芋の

はいった味噌汁。鱈の切り身のソテーと、若鶏の骨つきのから揚げだ。

 山下が膳に箸をつけるまえに両手を合わせて「戴きます」と言った。

 ご飯を先に手わたされていたおれは、既に食べかけていた。

 奥さんは山下の顔を見てくすくす笑った。

「笑うとこちゃうで、ホンマは山下君のそれでええねやがな。日本人は善い習慣を忘れて

もとる」

 と、今泉さんが自身も少し笑ってしまった顔を真顔に戻しながら言った。

「すいません、僕、誰よりも先に食べはじめたりして、僕こそマナー違反ですわ」

 とおれは、茶碗を降ろした。

「構へんねんで、ウチかて雄大にもそういう教育ができてない。お恥ずかしい限りや」

「ワイが子供みたいなもんかも知れへんなァ。ウチ、親父がそういうとこ厳しいてな」

 と、山下が魚の白身をほぐしながら言う。

「子供の教育のために、そういうこと言う場合が多いなァ。せやから、子供の居る家と大

人だけの家では、その辺の行動がちゃうと思うわ」

 とおれが口を挟んだ。

 子供には理想的な所作を教えて、大人同士では理想をそのまま行動には出さない。し

かし、大人は大人で社会的立場を持った者同士が肩書きが有効な場面で言葉をやりとり

する時は、ルールを外すことを一切ゆるされない。

 お得意さまと店主。師から面授をたまわる場面など。相手より先に杯に手をかけること

すら間違いである。

「あの、鶏は手でつまんで食べていただいていいですよ」

 と、奥さんが言ったので皆が笑って座がなごんだ。

 ボイスタワーから、童謡ふる里の旋律が弱く聞こえてきた。

 雨は小康なまま降りつづいていた。

 奥さんはパートに出ていった。

 リビングルーム。

 雄大くんはおれたちから離れた窓際のソファーで大江健三郎全集のⅡ巻を読んでい

る。

「ホンマは、換気扇の下だけやねんけどな」

 おれたちは一つのソファーの周りにかたまって、それぞれの煙草をふかした。

「今泉さん。正直なとこ、客くるだろうか」

 と、おれは今泉さんの鼻づらに自身の頭を近づけて言った。

 今泉さん、おれ、山下、の順で灰皿の上で煙草の灰を切る。

「それは分からん。ホンマ、蓋を開けてみな分からへん」

「これだけ酒に厳しいなってもて、皆、外食せえへんなってもとるし…」

「屋台やからな。お客さんの居る方へ近づいてもいける」

 山下君は、接客が務まるかどうか不安だと言った。

「昔は営業もしょったけど、店員いうのは初めてや。それにワイ、神経症で一日じゅう薬き

いとるし」

「そない難しい考えんでも他人がしてることや」

 今泉さんは柱のようにびくともしない。それがいつも、全員に安心感を与える。

 窓からワゴン車二台が見えた。

 中華そばのマークの書きかけの朱は、雨に負けてだらっと垂れていた。

 今日は帰ると言ったおれに今泉さんは傘を貸してくれた。ゴルフで使う幅の広い傘だっ

た。

 おれは往きと同様、片道四十分を歩いた。

 家に帰り、ズボンと靴下を穿きかえると、自室に行き、抽斗から例の百万を出した。

 二十一枚を数えて抜きだした。

 タクシーを呼び、電気店まで頼んだ。

 店員を呼び、ノートパソコンに、新型のOSと最近の一太郎アプリケーションとプリンター

を付けて二十万にできないかと交渉した。

 新型のウィンドウズ・ビスタは、それ自体が嵩がたかく今までのハードに搭載すると動き

が極端に遅くなるので、最新の機種はCPUがデュアル(二重について容量が倍)になっ

ている。その機種でそれら全て込みの値段は無理だ、と店員は言う。

 いくらほどオーバーするのか訊くと、会員になってポイントを使っても三万は足が出ると

いう意味のことを言った。

 思案しているおれに、店員は、

「お客さま、基本ソフトがマッキントッシュでよろしければ、充分その額で収まりますよ。CP

Uも従来の性能で充分ですし」

「マックなんて、おれ、使ったことない。難しくないのか?」

「いえいえ、ウィンドウズよりも簡単ですよ」

 おれは、しばし考えた。

 マッキントッシュが顧客シェア率では大分低いのはそれなりの理由がある筈だ。将来、

インターネットにも繋ぐとなった場合、不便が生ずるかも知れない。大体、ビスタ自体も、

最近出たばかりで、プロバイダのサービスが追いついていない等の話しはよく聞く。

「すみません。金とりに帰ってきますわ。あと三万で全部揃うんやね。二十三万で」

 店員は大きく頷いた。

 おれはケイタイでタクシーを呼んだ。

 金の節約のために雨のなかを歩くなどは莫迦らしく思えた。

 ノート型を買って、またタクシーを呼び、途中で書店に寄って『ネットで始める株』という本

を買って部屋に戻った。

 机上にパソコンを置いてベッドで横になると、うとうとと眠ってしまった。

 気がつくと四時半をまわっていたので、おれは慌てて身支度をして外に出た。

 雨は止んでいた。

 その日のドクダミラーメンは忙しかった。

 老若男女、次々にはいってきた。

 麺を茹でる。鉢に醤油とラードを入れる。スープを注ぐ。麺を入れる。麺をほぐす。各鉢

の麺の量を割り箸でとり、入れ、調整する。シナチクを載せる。焼豚を載せる。ナルトをの

せる。もやしを入れる。海苔を載せる。ハツ子さんを呼ぶ。ビールの栓をぬく。ハツ子さん

を呼ぶ。

 大鍋のスープが減ってきて、だんだん柄杓で掬う角度が深くなってきた。

 二百人は捌いただろうか。

「おい、佐伯、今日はもう仕舞おう」

 須藤さんが隣で言う。

 スープを追い焚きでつくるのにも時間がかかる。スープ鍋の底の鶏のガラ骨が見えてい

る。柄杓ですくうにもガラ骨がひっかかって掬えなくなった。

「済みません。お客さん。今日はもう、品切れです。申し訳ありません」

 おれは通る声で入り口付近の客に向けて言った。

「申し訳ございません。お陰さまで、本日分、完売しました。申し訳ございません」

 ハツ子さんが店のなかの待ち客と外で待つ客らにそう言って頭を下げていった。

 ハツ子さんは表の札を準備中に返して玄関の戸を閉め、おれに目くばせして大きく息を

つく。

「今日、何か催しでも有ったんでしょうか」

 おれは隣で大鍋を洗っている須藤さんに訊く。

「ああ、スコラホテルのホールでジャズのコンサートが有ったとは聞いとるが…」と、須藤さ

ん。

「高校駅伝の壮行会やったらしい、と私は思とってんけど」と、ハツ子さん。

「僕らは、谷崎俊三との同窓会」

 と、カウンターに居た老年の紳士の二人組の内の一人が言った。

「谷崎俊三って、あの中江市出身の画家の?」

 と、おれは応じる。

「ああ」と紳士は言ってから水をひと口飲んで、「おれらからしたら、もう雲の上の人になっ

てもたもん。小学校の同級生やいうだけで……。二次会や三次会いっても、もう話しも合

わんしな」

 駅伝の壮行会とジャズのコンサートと有名画家との同窓会が一遍に有った訳か。

「明日も混むで。大体の学校、体育祭やから」

 と、須藤さんが大鍋にポリタンクの水を注ぎながら言った。

「こんなんやったら、佐伯が辞めた後、誰か入れなアカンなぁ」

 と、須藤さんはさらに言った。

 客が帰った後、須藤さんが二階から例の頸のない鶏を持ってきて、おれは前回と同じ作

業をやった。

 擲りで砕いた鶏ガラを須藤さんが或る程度の大きさに切って大鍋に入れた処で、おれ

は解放された。

 店を出て少し歩いたとき、セルシオが静かに寄ってきた。

 おれたちは中江市の和風のモーテルにはいった。

 お互いに絶頂を迎えたあと、

「アパートどこにしようかしら」

 と、ハツ子さん。

「中江市でいいと思うんだ。別に他人に隠すような関係じゃないんだし。……それと、アパ

ートじゃなくて出来れば中古の一軒家を借りよう。アパートなんて周りに気を遣って全然落

ちつかへんから」

「そうよね」

「アンタの方で探しておいてくれへんか。僕、不動産とか疎いし…」と、おれはそこまで言

ってから「平日の昼間、二、三時間空けといてくれないか。二人で役所に籍を入れに行こ

う。それまでにアンタは尾上市の役所で戸籍謄本をもらってきとくこと。当日は、ハンコも

忘れないようにね」

 ハツ子さんは、ぎゅっとおれにしがみついた。

 本條の例の小説は、その後加筆されなかった。

 日曜日、おれは十一時に起き、漬け物で飯を食ってから自室に戻り、ケイタイの電源を

切った。ノート型をコンセントに繋ぎ、ウィンドウズ・ビスタの画面を色々と触ってみた。どこ

までもほのぼのとしたブラウザの画面デザインに変わっていくものだ。95やMeの方がブ

ラウザのデザインや色調がシャープに感じる。

 ワードの画面を起ちあげたり、エクセルの画面を起ちあげたりする。おれには、ワードと

エクセルはちんぷんかんぷんだ。今までのパソコンでも正規の自分用のアプリケーション

をインストールして使ったことがない。昔、この家で一太郎8を使っていたのと、大阪に出

てからはインターネット・カフェでしかパソコンに触れていない。ワードとエクセルが使いこ

なせるかどうかが、今の時代就職には大きな差になる、とよく新聞などで採りあげられて

いる。

 今泉さんは、金勘定をどうするのだろうか。やっぱり、エクセルを使ってやるつもりなのだ

ろうか。

 本條の原稿を一太郎で打ち込んでみる。我ながらキーを打つのは速い。高校時代に旧

式のタイプライターで練習した時期があったからだ。

 しかし、それも三枚(四〇〇字換算で九枚)も打つと流石にしんどくなってきた。

 おれは、一旦文書を保存し、新規画面に切りかえて遊び打ちをした。

 ーーー今泉の阿呆! 今泉の阿呆!

 ーーー佐伯圭吾は、下田ハツ子さんが大好きです! ハツ子ちゃーん。

 文字フォントを42にして、全文をドラッグして大きくした後、Hと名前をつけて、パスワー

ドを設定して保存した。

(まるで、便所の落書きだ)

 おれは内心で自身を嗤った。

 その日の店も忙しかった。

 行ってすぐ、大鍋の載せかえをやった。

「混むんやないか思て、あらかじめ二つ鍋つくっとったんや」

 と、須藤さんは顔の汗を手ぬぐいで拭きながら言った。

 ハツ子さんも須藤さんも、昼十一時から一時までと、三時から今の五時まで既に働いて

いる。今日は既に百五十杯は出たらしい。

「お前ら、よかったの。結婚するんやて」

 おれもなるべく早く須藤さんには言っておかなくては、と思っていたところだった。

「結婚して、佐伯は、仕事はどないすんの」

「いえ、それはそれで、一寸、当てがありまして…」

「そうこ。よかったの。頑張れよ佐伯」

 体育祭がえりの先生と生徒の集団や、親子づれがどんどん入ってきた。それ以外の客

も多かった。また何か、スコラホテルででも催しがあったのだろうか。

 八時ごろ、客同士が大声を挙げて喧嘩をはじめた。

 毎日のように夕方六時ごろから八時ごろまでビールを飲んで長居する、汚れたジャージ

を着た五十代後半と思しき仕事もしていないのではないかと見える顔のどす黒い背の低

い男が、盛んに、出張でこちらまで足をのばした営業のサラリーマンに見える黒の背広の

二十代後半の男に喰ってかかっている。

 おれが間にはいる。

 五十代の男の身を制し、肩を叩く。

 どないしたったんですか、とおれ。

「こいつが、おれの顔見て嗤いやがったんや。人を馬鹿にしたようにな。お前になんか嗤

われる筋合いはないわい! ええ加減にせえよ」

 おれは、サラリーマンの方に首を向ける。

「別に、おれ、嗤ってないですよ。この人が勝手に思い込んでるんですよ」

「何やと!?」

 ジャージ男の気は鎮まらない。

「お客さん、それ食べたら出てください。お代はいいですから」

 おれは、サラリーマンにそう言った。

「ああ、そうしますわ! 何や、おれが悪モンにされたみたいやけど」

 営業風の男は汁を吸ってから六百円を置き、そそくさと出ていった。

 お代はいいとおれが言ったが、否、払う、と言ってテーブルに硬貨を置いていった。

 ジャージの中年の男は、毎回、ビールを四、五本開けるが酒癖が悪いという訳ではな

い。いつも少し陽気になる程度だ。

 都市に職場を持つ営業マンは他人を小馬鹿にしたような、鼻で嗤ってすぐ視線を外すと

いうようなことをやる奴が実際に多く居る。彼がそうなのか定かではないが、郷に入って

は郷に従えだ。

にほんブログ村 小説ブログへ

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

『あいつのおかげで』ーーー9 [自作原稿抜粋]

────────────────
 山雨乃兎 近著

 『あいつのおかげで』9
────────────────

 十月になった次の木曜、おれたち四人は今泉さんの家に集まった。

 おれは山下君に軽四自動車で送ってもらった。

 外壁が小さなレンガを思わせる横向きの長方形の凹凸を持つデザインで緑と青の間の

グレーがかった暗い新緑色で洗練された都会風モデルハウスだった。二階建ての棟が門

をはいって左右に隣り合って立ち、二階のガラス窓の大きい廊下で二棟が繋がっている。

左が両親用で右が若夫婦と子供用の二世帯住宅だ。

 奥さんは出ておられるようで、子供たちはそれぞれ学校なのか今泉さん以外には出会

わなかった。

 紅茶をごちそうになった後、四人で改造が済んだ車をとりに行くことになった。

 おれので行こう、と言う久米島さんの赤い車に乗って尾上市まで走った。

 木下モータースという自動車工場だった。

 木下と名乗った普段着を着た三十代の男と今泉さんが数分、二人だけで話し込んでい

た。

 木下は修理工場の家族とは全然関係ない人物で古川の友人らしい。たまたま苗字が

同じだということらしい。

 車は二台とも運転席と助手席のすぐ後ろの窓ガラスが鋼板で目張りされ、車体と同一

のクリーム色に塗られていた。

 木下に黙礼して、おれと山下君が軽ワゴン、今泉さんが普通車のワゴンに乗って久米

島さんの赤い車に尾いて元きた道を走った。

 中江市にはいってから三台はケイタイで伝言し合って全員で業務スーパーへ立ち寄っ

た。

 隣の山下君が目で示すところを見ると、ケイタイのハンズフリー使用の為のホルダーが

付いていた。おれは、運転席のフロントガラスの隅の右のバーのそのホルダーにケイタ

イを当ててみた。がちっとケイタイは嵌った。サンバイザーに沿って収まっている曲げ伸

ばし自在のマイクを自分の顔の方へ曲げてみた。

 ホホ、と笑って山下君の方を見た。

 山下君も嬉々として目尻を下げてこちらを見て笑った。

 正午を過ぎた頃、今泉さんの家に戻った。

 奥さんと会ったが、愛想がなかった。

 今泉さんの家の庭は三分の一が芝生で残りが砂利を敷いた大きなものだった。おれた

ちは駐車場にもなっている庭の砂利にワゴンを二台入れた。

 バックゲートを開けると救急車の寝台のように可動式のテーブルを出し、二つのテーブ

ルの短い方の上に調理器具を並べた。ワゴンの荷台の後方の中央にはプロパンガスの

ボンベが横倒しで金属部品で車体床に組みつけられ固定されている。ボンベは横倒しの

状態では使えない筈だが、特別に用意されたボンベなのかボンベ自体も改造されている

のかも知れない。ホースを繋ぎ、地面にコンロをセットすると上に胴の長い鍋を置いて水

を張った。二台の車とも同じことをした。

 スープ用の水だけは先に鍋に入れとかなきゃならない、と今泉さんが言った。

 ワゴン内の上部にステンレスのユニットがあり、エンジンをかけるとバッテリーの力で冷

水をつくることもできるらしい。冷蔵のスイッチと赤いランプがこちらに向かって付いてい

る。今泉さんは外の水道のホースの先を持って後部の屋根の右側に拵えられた蓋を開け

て給水をはじめた。丁度、ガソリンの給油口のような感じで蓋は開く。二台とも給油口が

左にあるのでわざと反対側に吸水口を創ったのだそうだ。

 湯が沸騰した処で、前回と同じ要領で麺を入れ、ラーメンを創った。

「ラーメン屋に行ってみたけど、僕らの作り方と、そない大差ないです。鶏ガラを本式につ

くるのが違うくらいです。僕らが今日でもやる場合は、ガラスープの素を使います。結局、

そこが違うんやと思います」

 おれはそう皆に言った。

 今日は出汁はとらずにスーパーで仕入れた電子イオン水を沸かした。電子イオン水と

は強力な永久磁石で挟んだ鉄管に水を通すことで水の分子をイオン化しているものだ。

中江市の水道水の場合、塩素がかなり入っているがその塩素も塩素イオンにしてしまう

ので害性がなくなる。

 出汁をたらない替わりに鉢に醤油を入れた上に業務用スーパーで買ったガラスープの

素を先日の倍いれた。

「旨い旨い、これでええね」

 と、試食しながら今泉さん。

「ほう、こら、これ位味がはっきりしとる方が、やっぱエエのう」

 と、久米島さん。

「旨いがい佐伯」

 と山下君。

「要は味の濃さやと思いますわ。高級かどうかは出汁の素材に高いモン使うかどうかで

すけど、旨み言うたら結局、『味の素』でも出せますわ。塩入れすぎたな思たら反対に砂

糖を入れて調整しても味は濃いけど食べられる料理になるでしょ。前のは旨みが弱かっ

た。鰹で出汁とろう思たら前の五倍は鰹節入れなあかなんだんでしょうね」

「佐伯、この辺りのラーメンは汁が甘いらしいね。俺、尾上市やから、あんまり食べたこと

はないけどよ」

 と、久米島さん。

「何や出汁に砂糖がはいっとるて聞いたことあるわ。確かにあの甘さが癖になるなァ。甘

いモンいうのは脳に中毒症状、起こすらしいなァ。そいでリピーターがつくんやろけどの

う。『ドクダミラーメン』は甘いか」

 と、今泉さんがおれに訊く。

「いえ、甘いないです」

「今度一遍、偵察に行くわ」

 と、さらに返す。そして続けて、

「佐伯、そいでどないしょ。まだスパイ活動つづけた方がええこ。それとも、もう屋台はじめ

よか」

「ドクダミラーメンに居りつづけることはもうないと思います。が、屋台はじめんのに鶏ガラ

にこだわるんやったら、どっか仕入れルート、付けなしゃあないでしょう」

 今泉さんは暫く目を瞑って腕を組む。

「佐伯、この業務スーパーの材料だけのんでも結構いけるぞ」と、久米島さん。

「よし」と言って今泉さんは一回手を打って、「ホナ、出だしはこのスタイルで行こう。鶏の

仕入れはゆくゆくということで。……そいで、チーム分けやの?」と言った。

「おれと今泉さん、佐伯と山下君でエエんやないか。歳が近いし」

 と、久米島さんが言った。

「否、それは、むしろ反対やな。独身組と子持ちとを混ぜた方がええ。その方が仕事の時

メリハリが出る」

 と、今泉さん。

「僕と久米島さん。今泉さんと山下君ですか」

 と、おれが今泉さんに訊く。

「そうしかないわなァ」

 と、今泉さんは言っておれの目を見る。久米島さんも遠い席からおれの目を見る。

 手の不自由な久米島さんと、山下君という組み合わせだけは有ってはならない、と妻帯

者たちとおれの三人は思っているのだ。しかし、それを言葉にするのは憚られた。山下当

人は自身を一人前の働き手だと内心思っているだろうから。

 山下君は財布から薬を出して飲んでいた。包装を破って口に含み、サーバーから水をコ

ップに汲むという動作をしていたのでおれたちの目の合図と話しの真意には気づかなか

った。

「宜しく頼みますわ」

 と、おどけた調子で久米島さんがおれに言った。

 二十年ぶりに久米島さんとは同じ職場で共に汗を流すことになる。

「いや、こちらこそ」

 それからおれが主体になって全員にラーメンの作り方を教えるというひと時を持った。

 山下君は昨日、正式に縫製工場を辞めたらしい。試用期間なので即日退社ということ

になった。

「来週木曜から試験的に営業を始める。中江市全域にみかじめの問題は手配した。従っ

て、営業は市内全域。佐伯も、それまでに辞めてこいよ。ドクダミラーメン」

 やれやれ、やっぱり実質的には社長は今泉さんだ。

 二台の屋台の拠点(駐車しておく所)は、今泉さんの家の庭ということになった。従って、

ここから出てここに帰ってくるのだ。

 翌日、仕事に出た。

 客が干いたタイミングでおれは須藤さんに、辞める、と切り出した。

「あ、そう。引きとめはせんけど、何か有った?」

「いえ、別に何も。ホンマ、一身上の都合です」

「小説は書いとんの」

「ええ、まあ」

「金は大丈夫なんやな、佐伯」

「ええ、まあ、何とか」

「ホナ、そいでエエ。……それで、いつまで居れる」

「来週の水曜日まで、で、お願いします」

「よし、分かった」

 須藤さんに初めて名前を呼ばれた。それが呼び捨てだった。だが、その呼び方におれ

は父性を感じた。何だかここを去るのは惜しいと思った。須藤さんともハツ子さんとも昔か

らの知己だったような気がする。

 テーブルを拭いているとハツ子さんが寄ってきて、私との事でか、と耳許で囁いた。否、

それはホンマ何の関係もない、とおれは言った。

 引き戸を開けて客がはいってきた。

「いらっしゃいませ」

 と、三人同時に声が出た。

「えらい寒うなったな」

 と言って背広の肩を震わせた男は今泉さんだった。ジャンパー姿の山下君を連れてい

た。テレビの見やすい奥のテーブルに対面で座る。

「ホンマにねェ」

 と、カウンターの奥から須藤さんが愛想笑いを浮かべる。

 ハツ子さんが彼らのまえに水を置く。

「特盛り二つとビール」

「はい、特盛り二丁!」

 ハツ子さんが厨房に向けて声を飛ばす。

 おれは麺を三束、鍋に入れ、「一寸、知り合いなんで、ビール持ってっても…」と左横の

須藤さんに言った。「おお」とだけ須藤さんは焼き豚を切りながら顔を動かさずに言った。

 ハツ子さんから彼女が今栓を抜いたばかりのサッポロ黒ラベルの大壜を受けとり、ステ

ンレスの盆の上にコップを二つ載せて左手に持ち、ビールは右手に首を持って提げてテ

ーブル席に行った。

「おう、佐伯、久しぶり」

「いらっしゃいませ、どうぞ」

 とおれはビールをテーブルに置き、冷えたコップをそれぞれの前に静に置く。

「久しぶり言うて、昨日会うたばっかりやないですか。今泉さん」

「そうやったかいの」と今泉さんは一旦とぼけて、ビールを山下君のコップに注ぎながら、

「今日は山下の悩み聞いたりよったんや。カウンセリングや」

「ワイ、靴こうてもろてのー、佐伯君。他人からプレゼントもらうのは何年ぶりかのー」

 と、山下君は学童に戻ったような喜色でコップを持ちながらおれの顔を見上げる。

「そら良かったなァ」とおれ。

「スロットで勝った金や、実は」

 今泉さんが照れながら言う。

 山下の足には裏革生地で深い茶色の紐靴、カジュアルにも或る程度のパブリックな空

間にも遜色ないと見える靴があった。

 仕事の備品を買い与えてやるより普段履く靴を贈るというのが心憎いとおれは思った。

相手の懐にはいるというのはこういう事だろう。

「じゃあ、僕、戻ります。ゆっくりしていって下さい」

 おれがそう言って去るのと入れ替わりにハツ子さんが枝豆をテーブルに運んだ。

 その夜、送ってやるというハツ子さんの車に乗った。

 ハツ子さんはそのまま尾上市の自宅まで行った。自宅は前栽のある敷地二百坪ほどの

日本家屋だった。

上がってゆっくりしなさいとおれはハツ子さんに促された。四十代と七十代と思しき女の

人に玄関で挨拶された。七十代と見える人は多分、お母さんなんだろう。

 時刻十二時を少しまわっていた。こんな時間に独身女性のお宅に上がっていいものだ

ろうかと思いながらも、促されるままにおれは二階の彼女の部屋までついて行った。

 コーヒーをごちそうになる。

 ハツ子さんが話すには、お父さまは既に亡くなられていて、お母さまとお手伝いさんの

三人暮らしだそうだ。お父さまが資産を沢山遺されたので実のところ仕事をしなくても生

活はできるらしい。お父さまが生前どういうお仕事をされていたのかは教えてくれなかっ

た。

「佐伯君、二人でアパート借りようか」

「ええ? ハツ子さん、こんな大きな家があるんだから、いいじゃないですか」

「そういう意味じゃなくて」

「ええ? それ、同棲するってことですか」

「別に同棲が厭なら結婚してもいいのよ」

 求婚されてるということか。

 おれは色々な未来を脳裏にめぐらせた。

「あ、先に、お風呂にはいってくるわね」

 ハツ子さんはそう言うと、部屋を出ていった。

 晩飯は、既にドクダミラーメンの特盛りを腹に入れていた。

 一つ上くらいなら、それもいいかも知れない。今のおれに若い娘を惹きつける財力もな

い。子供は望まないとして楽しく人生を過ごすには彼女くらいが丁度いいのかもだ。

 周りは田畑ばかりの静かな土地だった。鈴虫の声が網戸からはいってくる。横の窓ガラ

スからは下弦の月が覗いていた。

 戻ってきたハツ子さんに案内してもらって風呂にはいった。

 風呂から戻るとおれはハツ子さんに言った。

「ハツ子さん、もうお互い大人だし、誰に気兼ねすることもないでしょう。籍を入れましょう」

 おれたちは身体を重ねた。ハツ子さんは喜悦の声を何度も挙げた。

 次の日の朝、地元には顔が刺すと思ったおれは、ハツ子さんに尾上市のJRの駅まで

送ってもらい、中江市まで電車で帰った。

 電車は妙な感じだった。

 二輌編成で車掌なしのワンマンカーだった。

 レールの継ぎ目を車輪が過ぎるたびごとんごとん言うのだが、車内は静かだった。考え

てみればおれは、ディーゼル車輌だった時分にしか乗ったことがない。エンジンのあのぐ

おーっと唸る音がないのだ。だから静かなのだ。モーターの音がしていた。そういう車内

に重なる音は、山陽本線の電車に乗っているような錯覚を与えた。

 先頭車輌は座席数が少なく、進行方向を向いて左が一席ずつの椅子で、右が二席ず

つの椅子の配置になっていた。まるで路線バスのようだ。

 二輌目は、左右とも内側を向いた横長椅子になっていた。

 おれは最初、先頭の右の座席にすわっていたが、一駅を過ぎてから左の前から二番目

の席に座りなおした。座席が少なく、車内の空間が広いので他人の視線を意識してしまっ

て落ちつかないのだ。

 老人や主婦らしき人ばかりだった。

 そういえば、今日は学校が休みなのだ。

 山の麓の等高線をなぞるように走る。石を敷いた電車道と車輌に覆いかぶさるように

張りだす木々の枝葉。広葉樹の葉も窓を掠めてくるのだが、その葉はまだ青いままだ。

 季節の変わる時期が後ろへ後ろへと摺れている。

 ケイタイへ連絡して今泉さんの家に行った。

 山下君も来ていて、今泉さんと二人、ワゴンに塗装をしていた。

 缶のスプレーを噴きつけて、両サイドと後部の上方に、ジョウちゃんラーメン、と赤くペイ

ントしてゆく。

 天井につけられたキャリアに固定してあるフォグランプで名前を照らしてみる。

「佐伯、これで、何かラーメン屋らしい絵をかけや、ここに」

 と今泉さんは言ってオレンジのペンキの缶と細い刷毛をおれに渡す。今泉さんは、バッ

クゲートの白ペンキで既に目隠しされた窓を顎をしゃくって示す。

 おれはしばらく考えて、中華そばの鉢の縁によくある迷路のような記号を描きだした。

 描きだして五分ほど経つとぽつりぽつりと来だした。

「雨や雨や、いったん撤収」

 今泉さんの声とは無関係に、おれと山下はガレージの屋根の下にはいった。

 今泉さんの奥さんに促されて、おれと山下は家に上げてもらった。

 奥さんは、白いが肌理の粗い肌だった。子供を二人も産んで育てるのだから生活臭さ

のある肌や髪や表情になるのは仕方のないことだろう。それでも時折つくる笑顔には艶っ

ぽい女らしさがあった。胸郭の張りだした嵩のたかい骨格は頼もしい母親像をつくってい

た。

「まあ、急に降りだしましたね。タオルを使ってください」

 居間では今泉さんの息子がテレビゲームに興じていたが、おれたちが入ると画面の電

源を切り、こちらに向いて立ち、ぺこりと頭をさげた。

「こんにちは」

「ああ、こんにちは。偉いねェ、ちゃんと挨拶できるんだね」

 と、おれは返した。

「いつも父がお世話になっております」

「いえいえ、こちらの方がお父さんにはお世話になってるよ」

 雄大という名で小学校四年生だと今泉さんから聞く。勉強もスポーツも優秀で、このまま

行けば父親のおれなんか将来頭が上がらなくなりそうだ、と今泉さんは言った。

 高校生の娘の方はバスケット部の集中トレーニングに学校へ行っているらしい。

「バスケットですか。ハードなスポーツですね」

 おれは座をもたせようと、今泉さんに話しを振った。

「そうよ、娘もよう続いとると思うわ。今二年やけど」

「今泉さんは、学生時代は?」

「おれ、陸上。部長までしてんでな中三、とき。信じられへんやろ。今のこの身体からは」

 彼はそう言って腹の肉を摘んでみせた。

 山下は、雄大君とテレビゲームをしている。

 山下の口惜しがる声と、雄大君の、おしっ、という満足の声がときどき聞こえる。

「おれは中・高と六年間卓球部ですわ」

「卓球もハードやろ」

「否、卓球は試合はそれ程でもありません。基礎練(習)はきついけど。……ハードいうた

ら、そら、バスケかサッカーですわ。有酸素運動の、ずっとやから息が上がってまいます

よ。……そういえば、本條、バスケ部でしたね。高校。それに、古川も」

「本條…か、そないいうと二人とも、背ェ高かったな」

「本條も古川も百八十超えてますよ」

「二人とも死んでもたの」

 今泉さんは思いだしながら目を伏せた。

「でかい奴ほど気が細かいんですよ」

 とおれは言ってから両手で球をつくり、「今泉さん、手の、こうして大きい人は、これ位の

ものを持つとき、包むように持つでしょ。……今、これ煙草ですが、もう一寸大きな物、た

とえば、そのインスタントコーヒーの容器ぐらいのもの持つとき、大人だったら、こう掴むけ

ど、子供だったら小学生以下ぐらいの手の平の小ささだったら、べたんと、こう持つでし

ょ。こう持つと大ざっぱな気性になりがちで、逆に、手の大きな人は繊細になる。こう、包

むようにものに対する人は、その物に対してあらゆる方向から内側に向かって作業がで

る。例えば細かい精密機械のネジをドライバーで締めるなんてことは、手の大きい人に

向いた作業なんですよ。大人の場合はそんなに手の小さい人も稀なので、オーバーな話

しですが、総じてそうです」

「そうか、気は優しくて力持ち、いうことやな。そう考えると、よう出来とるな。体の大きいモ

ンが凶暴やったら 世のなか危のうてしゃあないもんな」

 『あいつのおかげで』ーーー10

にほんブログ村 小説ブログへ

nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート