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暇があるのが、一番幸せ。 [ラフに語る、つれづれ記]

 武田邦彦教授も仰有っていたことだが、


普通の生活をして、子供が育っていく様子をみたり、ときには美味しいものを食べたりするのが、「幸せ」というのだろうか。


 まずは、そういう幸せの形がある。


 その一方で、圧倒的に暇な時間がある、というのも、「幸せ」の形なのではないか、と思う。


 先日、平日の夜中にライブ配信するYouTuberに、恨み節を書いたが、羨ましいからである。


 お金は、あったほうがよい。


 それも、武田教授の意見(出典統計もある)によると、年収600万までは、収入に応じて幸福度も比例するが、600万を超えると、それ以上、収入の差によって幸福度は上がらないらしい。


 他の幸福度を上げる要因としては、妻帯しているか、などがあるが、

やはり、大きな要素としては、自由な時間がどれほどあるか、だろう。


 お金も、現物と違い、何につかってもよい、という便利さがある。


 自由な時間も、何をしてもいい、という便利さがある。


 高度経済成長の時期、日本人の多くが願ったのは、貯金をたくさんして早く働かなくても生きていけるようになりたい、ということだった。


 投資家、ニート、YouTuber、の次に作家かな。


 作家は、もちろん量産する作家もいるが、一日に8時間以上も書いている人は少ない。


 1時間半~3時間ぐらい書いて、あとは、気分転換や読書などのインプットなどをしている。


 遊ぶのもインプットだ。


 自営業も、自分で時間割をつくれるので、気分的に楽だ。


 ただね、自営業も自由業も、簡単には成れんのよ。


 作家になるためには、暇が必要。


 でも、生活していくためには、生業をやる必要がある。


 だから、ベーシックインカムを導入すべき、という意見もあるが、


導入したら、ただ遊んでいたいだけの人が、町の至る所でタムロしますよ。輩が。


 風紀が乱れてしまうと思う。


 生活に困らない程度の収入があって、仕事と呼べる肩書きがあって、自由時間が多い、というのが、一番の贅沢ですね。

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哲学宗教と啓示宗教 [真夜中のつれづれ記…]

 まだ、たまに考えているが、考えが二転三転する。


 悪人に対して無抵抗であれ、という内容の聖句の意味は、こちらが伝道したいと思う悪人に対して、というのが、理論として落ち着きどころのようだ。


 人間、自分は、完全ではない、馬鹿なのだ、ということを悟らないといけない。


 僕のように、なまじっかプライドがあると、自分を賢いと思いこんでいる。


 賢いと思うのは、いいが、知能には限界があり、全知全能の神からみたら完全な馬鹿なのである。


 自分が賢いと思いこむと、何でも完全に理解しないと気が済まないし、何でも理解した気になっている。


 これが、哲学脳である。


 自分の脳で結論を出そうとする。


 聖書の言葉も、自分の脳で理解しようとする。


 これが、哲学的信仰だ。


 一方、啓示的信仰だと、つねに神と対話しようとする。


 つまり、逐一祈る。


 そして、神から答えが返ってこなくても、「わからない」は、「わからない」ままに据え置く。


 神の意志を聞こうとする。


 人間の頭で整理しても、神の言葉は理解できない場合がある、とする。


 つねに、神からの命令を待っている。


 これが、啓示宗教だ。


 僕も、ただの人間だ、ということを認めなければならない。

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