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若いうちに、若いときにしか出来ないことを、やっておくべき。 [ラフに語る、つれづれ記]

 徹夜してしまいました。

 マスタベーションしてから寝ようと思っていたからです。

 もう、ビクッとも、その気にならないのです。

 僕は、来年で50ですが、この辺りからが、男性の更年期のようですね。

 性的な欲求が湧かない。

 満月の夜に、***が勃たなくなったら、終わりでしょう。

 顔の造作は若くても、内臓は老けたということです。

 カブトムシは、交尾したら雄は、すぐ死にます。

 人間の世界も、性欲というのにかぎっては、女性は灰になるまで、と言いますが、男性は、或る程度の年齢で急激に下降するようですね。

 長男ですから、知己が未体験なことを、最初に経験するわけですね。

 若い諸君も、若いときに、果敢に女性にアタックして、合意の上でのセックスを存分にしておいてくださいね。

 どうやら、50を過ぎると、性欲がかなり減退するようです。

 僕の場合、嫁も含め、自身が二十代、三十代のころに、やりまくってきましたから後悔はありませんが、セックスの経験がないまま、50代になった人の場合を考えると悲惨です。

 もう、「ええ娘やな」と思っても、その歳になれば充分なセックスができません。

 違う分野のことを求めるようになるのでしょうね。

 そのときに、やり残した感があると、前へ行けませんから、若い人は、若いウチに恋愛とセックスを充分にしてくださいね。

 これが、今の僕から、若い世代に言えることです。

 同様に、今から数年すれば、酒を大量に飲むことも出来なくなります。

 食べることと、人とコミュニケーションをとることだけが楽しみになって、臨終を迎えるわけです。

 来世のまえの、試練ですね。


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恐ろしいが、他人事ではない。(加筆あり) [真夜中のつれづれ記…]

 コンクリート詰めにしてドラム缶で海中に死体を投棄した。

 冷凍庫に死体を詰めて、海洋に投棄した。

 こんな事件ばっかりです。

 うんざりしますね。

 痴情のもつれというのは、いまだに多いようです。

 それだけ惚れていたから、相手が他の異性に興味を示すことが許されなかったのでしょう。

 この記事は、後で加筆します。

 

【加筆】

 痴情のもつれだけではない。

 遺産でも、資産でも、他の身内にとられたくない。自分だけがたくさん取りたい。と、こういう動機。

 家族での事件で多いのは、ただのホテル家族になってしまっているから、腹の中では、どんどんネガティブな感情を家族に対して持つ。

 会話をしないからです。

 何でもないことを、雑談をしない。

 これがいけない。

 仕事の場合もそうです。

 意味のない会話も潤滑油として必要なんです。

「君、ちょっと今日は化粧が濃いね」

「君、ちょっと前開きすぎだよ」

 これくらいのことが言えない風潮。

 すぐにセクハラだと言う。

「あの人、余計なこと言うてやわ」

 と言って、取り合わない。

 近所づきあいでも、目と目があって、こちらから挨拶しても挨拶を返さない。

 こんなことでは、ネガティブな感情が、お互いに溜まっていきますね。

 金は自分のためだけに使いたい。

 自分と自分の家族(核家族)さえ楽しめればそれでいい。

 人間、40も50もになってきたら、人間の経験することは一通りしている。

 それなのに、同じ快楽に、長く浸かりたい。

 こんな動機で生きているから、殺伐とした事件ばかり起きる。


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そんなことは期待してない。 [近況…]

 久しぶりにテレビを見たら、有名人が知識の多さで競うクイズ番組がしていたわけです。

 そんなもの、何の興味もありませんがね。

 私だけではないでしょう。皆さん、うんざりしているでしょう。

 どちらかのチームが、予め、全ての解答を教えてもらっている、という図式はみえみえです。

 有名人が知識の多さを披見する必要なんてないでしょう。

 その専門のコンテンツ、歌とか演技が充分にできていれば、それで充分です。

 阿呆は阿呆なのだから、背伸びする必要はないです。

 そう、個人的には思います。

 雑学を身につけるより、芸の一つでもマスターしておけ、と言いたくなります。

 世間から褒められるべき人も、雑多な知識がある人ではない。

 その分野に於いて、他人が真似できないスキルを身につけている人です。

 知識という意味でいけば、深い知識があってこそ、エキスパートと認められるのです。

 雑多な知識を蓄積してもwikipediaにすら勝てません。

 今日知った、昨日知ったことを、喜んでひけらかすのは阿呆です。

 大事なのは、何を知っているか、よりも、何を出来るか、です。

 キャンプファイヤのときの、スタンツを思い浮かべれば、丁度いいと思うのです。

 観客は、主役に、芸を求めている。

 そんなときに、徳川将軍の歴代の名前を全部言えても、誰も感動しませんね。

 他人のまえで、お芝居をしたり、歌を歌うわけです。

 共感と陶酔が大事です。知識の量を増やしても、共感と陶酔は得られません。

 地理・歴史・数学・英語などの知識を、いくらひけらかしても、何にもなりません。

 大衆は、人があっと驚くような芸を求めている。

 芸能人も、そこを追究しないと駄目です。


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嘘をついているなら、早めに認めるべき。 [近況…]

 アフィリエイトで、儲けている人の実情を知りたい、と思って検索をかけたわけですが、

テリー伊藤さんの番組のページに行きつきましたね。

 その番組の主人公として、アフィリエイトで儲けている人が出ていたのですが、

所得の証明として、インターネットバンキングの出納帳を、ブラウザ上でしか見せないのですね。

 こんなもの、いくらでも偽装できますよね。

 生活しているなら、インターネットバンキングをつかっていても、自分の口座にも金はスライドさせているはずで、それなら、リアルの通帳の記述を見せてほしかったですね。

 その番組では、儲けても、自身がハングリーだった頃を忘れないように、2DKのアパートに住んでいるということを読者に向けて紹介していましたが、

嘘ですよね。

 年間一億円を稼ぐ人が、そんな環境には居られないはずです。

 高級な家具と調度品に囲まれている暮らし、と紹介していましたが、

そんなもの、知り合いに家具屋などが居れば、アウトレット品とか在庫処分の品とかで、いくらでも揃えることができます。

 商材を買わせることに必死になっているのですね。

 アフィリエイトは儲かりません。

 それ自体で完結するほとの売り上げを出すのは無理です。

 そこに気づきましょう。

 ほとんど更新していない100以上のブログで、検索上位表示だけで成果を上げてるの?

「ほーーう」

 ですね。

 そんなことで、お客がつくの?


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笑談 [ラフに語る、つれづれ記]

「性欲が、なくなった」(山雨)

 

「ええ? それは、完全に、ということですか」(相棒X)

 

「いや、完全にではない」

 

「でしょうね」

 

「でも、性欲が減ったので、メリハリがつかない」

 

「人間、誰でも枯れていくものですよ。それを受け入れないと」

 

「楽しくない」

 

「山雨さん、メタボでしょ。最近」

 

「そうだが、それが何か」

 

「ヤフーの広告に、メタボになると性欲が減退するって書いてありましたよ」

 

「酒も、あまり飲めない」

 

「そりゃ、そうでしょう。腹に物がつまりすぎてるんですよ。今日、何食べました?」

 

「朝、パン。昼、遠出してたのでコンビニのサンドイッチとおにぎり。晩、普通にメシ。そのあと、バー

ムクーヘン」

 

「それで、お酒も飲んで……。充ては何を?」

 

「カキピー、チーズ、あたりめ、イカのスナック菓子、そのあと、カステラ」

 

「それじゃあ、お腹パンパンになりますよ。運動は」

 

「今日は、なし」

 

「その上に、二度のみ?」

 

「性欲がない。楽しくない」

 

「煙草は?」

 

「今日は、三箱め」

 

「寝るべきです」

 

「いや、色々悩んでて、眠りたくない」

 

「悩んでても寝るべきです。原稿は書けたんでしょう?」

 

「書けたけど、寝る気になれない」

 

「もーう」

 

「それで、結局、昼頃になってギブアップして寝るわけでしょ。部屋に日光を当てないから、ダニもわ

きますわね。さすがに『壁蝨』を書いた人だけのことはある」

 

「医者が、心配そうだった」

 

「ああ、担当医さんね。そりゃそうでしょう。内臓に負担かかりすぎです」

 

「裸像を自撮りしたが、美しくなかった」

 

「当然ですよ。まず、痩せましょう」

 

 

 

 あまり弾けてない会話で掴みです。

 

 ノム、ウツ、カウ、の三つともがなくなったら、モチベーションゼロですね。

 

 そう言いながら、今夜も晩酌しています。


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10月24日(水曜日) [近況…]

P1010145.JPG
 加東市の桜並木(季節外れ)

 あまり人と会いたい気分ではなかったので、図書館二軒に行ってきました。

 子供がグランドの観客席の屋根に乗って遊んでいましたが、高すぎて危険です。

 でもね、気持ちは分かるのよ。

 僕も小さい頃は、高いところに登っていたから。

 二軒目の大学の図書館では、葉室麟(はむろ・りん)さんの『蜩の記』を借りてきました。

 読めるのかなぁ。時代小説・歴史小説の文体を読むのは苦手です。

 大学の図書館は、一階内部のレイアウトが大きく様変わりしていました。

 フロアに間仕切りせずに、ディスカッションルームのようなコーナーが出来ていて、

そこで、学生たちが何やら会議みたいなことをしていました。

 空間が拡がって開放的になりすぎて、僕の場合、落ちつきません。

 今ごろになって思いだしたけど、折角大学にまで行ったんだから、ユングの本を借りてくればよかったと思います。

 買い物に行っても、メモを持って行かないと、一つは買うのを忘れます。

 嗚呼、ネタがない。

 寒くなってきました。

 自室が、熱が逃げない構造なので、夏の次が冬といった感じですね。

 冬はまた、冬で、この部屋、かなり冷え込むのです。

 今、思いだしたけど、過去話で、「学研のふろく」の思い出があります。

 それは、また次回書きますね。

 今日は、こんなところで。


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おかしいんちゃうの? [真夜中のつれづれ記…]

 職務時間中に喫煙して、どこが悪いの?

 業務の妨げにならない範囲なら、いいんではないの。

 回送電車で、お客さんが一人も乗ってないときに運転士が煙草を喫いながら運転するのの、どこが悪いの?

 入れ墨も、露出しない部分の肌に入れるのが、そんなに悪いの?

 製造業の派遣の仕事ぐらい息つく暇もないほどの仕事の仕方ではないのだから。

 そんな細かいところを取り締まる意味がわからへん。

 喫茶店のウエイターしてても、お客さんが居ないときは、業務時間内でも煙草ぐらい喫うだろうし。

 たとえば、セールスの仕事をしてても、お客さんとの会話の間に、相手が嫌がらないなら煙草ぐらい喫うし。

 何を、細かいことをつつくことばかりしてるの。

 そういう理屈でいけば、業務中に雑談したら、その時間も細かくチェックして給料減らすことになるけど、どうよ?

 授業を放りだして、外に喫いに行ったわけではないでしょう。

 それだったら責められるべきですが。

 今回の報道にしろ、原発の反対運動にしろ、世間が、嫌煙権を主張する人が多くなってきたり、原子力発電反対の世論が大きくなってきたりしたときに、その多数派の意見を声高に叫んで、アクセルを踏む。

 タレントでも政治家でも、本心から、価値観として、そう思って意志を表明する場合は理解できるけど、マジョリティーに迎合してアクセル踏んだら、そりゃ人気は出ますよね。

 そういう人たちが多いように思う。

 マイノリティーで、でも、自分が正しいと思ったことを意思表示できる人は少ない。

 内心が見えるような気がする。


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『「善人」のやめ方』読了(追記あり) [最近、読んだ本]

 ひろさちやさんの、『「善人」のやめ方』を読みました。

「善人」のやめ方 (oneテーマ21)

「善人」のやめ方 (oneテーマ21)

  • 作者: ひろ さちや
  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2012/07/10
  • メディア: 新書

 例によって、感想は追記をお待ちください。

 

   追記・感想

 

 世間の目を、評価を気にする生き方を止めて、世間を馬鹿にして生きよう。全編は、こ

ういう論旨である。世間というものは、我々自身がつくったものであり、そうでありなが

ら独り歩きする価値観を持つ怪物になる。だから、世間という価値観に縛られて生きるの

は馬鹿げたことである、と。

 モームの『人間の絆』の作中から得られる価値観。人生に意味などないのだ、というこ

と。虚無的に意味がないということではなく、他人と競争して自分の価値を計る、という

意味などないことを、仏教の教えとミックスして語られる。

 「生活の危機」ではない「人生の危機」について。

 生きにくい、たとえば借金苦などの問題を生活の危機とした場合に、定年退職した直後

に妻に離婚を迫られるなど、或いは臨終のときに、「自分の人生って一体何だったのだろ

う」と思うような絶望、を人生の危機と定義される。人生の危機とは、何のために生きて

いるのかが分からなくなった状態のこと。

 そういう人生の危機に陥らないために、世間体のために生きるのではなく、自分の生き

たいように生きよう、ということを推奨される。

 全編、架空のインタビュアーに、ご自身の意見を聞かせるという方法で構成されている。

 こういう方法は、考えを進めていく過程が分かるので説得力がある。

 

「絆(きずな)」とは、最近では「連帯」の意味で使われているが、もともとの意味は、

「束縛」である。

 自由とは、徹底した自由でなければならない、と。ル・クレジオがその著『悪魔祓い』

の中で語ったインディオの女性の生き方を引き合いに出されています。道徳や宗教の禁制

を恐れることなく、あるがままであるという自由。自分の肉体と精神のために、労働と交

合と分娩を選ぶ自由。詳細は本編に譲ります。

 仏教では、仏と同じになることを目的としているが、人間と仏との差は無限に近いほど

遠い。そこで、仏を目指して日々、切磋琢磨する。この求道の状態にあるのが、仏教の信

仰者で菩薩と言う。仏に向かって歩んでいること自体が素晴らしいことで、到達度、達成

度は問題ではない。到達度、達成度を問題にすれば、必ず競争意識が生まれる。そして、

優越感や劣等感が生まれる。

 劣等感が問題であるけれども、優越感も問題である、と。<ひょっとしたら、あいつに

追い抜かされるかもしれない>という焦燥感を伴うから。

 もともとのキリスト教は、労働を重視していない。(この辺が、私の今までの見識と

異なるが、労働することによって神の栄光を表し、救われる側に居ることになる、と

いうのは、プロテスタントの考え方のようである。労働懲罰説というのがあるそうで、

原罪のゆえに楽園から追放されたアダムに強いられたのが労働であり、労働せざる

を得ないということは、救われていない、とする考え方のようである)

 他の小説も引き合いに出され、仕事がそんなに大事か、と語られる。

 余暇のために仕事をしている筈なのに、仕事のための仕事になっている。

 たしかに、現代は、仕事、仕事と言い過ぎである、と思う。保坂和志氏が著作の

なかで言われているように、することの義務のない時間を満喫することこそが

本当の贅沢であり、人間だけに許された自由なのだ、とあらためて思う。

 病人や障害者にまで、仕事、仕事という風潮である。しかも、その仕事は、

社会のためにやっているというより自己のためにしているのだから、他人がどう

生きようが放っておくのが本来の社会のあるべき姿だと思う。

 段々畑の制度に、不条理がある、ということ。

 イソップ物語の『蟻とキリギリス』から、モームが書いた『蟻とキリギリス』、また現

代日本の新人類がつくった『蟻とキリギリス』まで。奴隷根性から脱出して、ストーリー

が変わっています。

  日本語では、「仕事」と言うが、その働き方に、「レイバー」「ワーク」「プレイ」という

違いがあるそうです。(詳しくは本編を)

 別に、怠け者は怠け者として生きていいのだ、という考えを披露されます。

 社会的成功を収めるのに、先天的に有利な人、向いている人とそうでない人が居ます。

万人が社会的成功を収める必要はない、とされます。但し、社会的成功を収めた人は社会

に還元すべきである、と。

 もともとは「仲間」という意味であったライバルという言葉が、競争相手という意味に

転じた。

 「勤勉」が美的な解釈をされるが、現代では、勤勉になることは、自分のための努力を

しているに過ぎない、という現状になっている。「少欲知足」足るを知ることで、他人の

利益を奪おうとしないこと。自社が儲かると必ず他社が損をする。全体のパイを増やすこ

とは無理。

 心中の妄想をも含めて考えると、悪いことをしていない人は居ない、という意味で、全

ての人が悪人である、そういう自覚を持とう、と。そういう論旨で「悪人正機説」を語っ

ていらっしゃいました。

 まあ、これは、悪人のほうが自分を正しい行動にコントロールするのが苦手な上に、自

分が悪人であることを悟っているので信仰によって救われようとするから、極楽に近いと

いう意味がスタンダードなのですが、そういう見解はこの本ではまったく抜け落ちていま

した。

 著者は、講演会のあと講師控え室に来て悩みを打ちあけた引きこもりの青年に、「南無

そのまんま・そのまんま」と唱えることを薦められている。南無とは、帰依するという意

味だ。

 「少数異常」と「価値異常」の話。

 少数であるから異常だと感じるのか、そのものの価値が、劣性であるから異常とする見

方もある。価値異常の場合、マイノリティーとは限らない。

 そべての国民が健康で文化的な生活を営む権利がある。日本国憲法によれば。

 それは、怠け者であっても、決して除外されるべきではない。

 阿弥陀経は、極楽世界の有様を描写している。池の中の蓮華は、青、黄、赤、白それぞ

れにそれぞれの色で美しく光っている。このことを比喩的に捉え、「老いも若きも」「富

んだ者も貧乏人も」「健康な人も病気に罹患している人も」それぞれに美しくその色で光

っている、と解釈できる。

 

 と、ここまで本編を追って書いてきたが、「こう生きなければいけない」という世間の

喧伝を真に受けることはやめよう、という論旨だった。

 人生、どう生きてもよい。

 世間という、創られた価値観を意識せず、生きたいように生きよう。誰もが優秀になる

必要もない。

 やはり、臨終のときに、世間体を気にして、やりたいことをやらなかった後悔を持つこ

とにならないように、世間を馬鹿にして、自分に生きたいように生きよう、という結論だ

った。

 ここまで読んできても、やはり、私はまだ、優越感を持つ喜びというものも捨てがたい。

本編にも書いてあったが、競争して勝てる人は、世間の価値観のなかで評価される側にま

わってもよいのだ。そういう風に生きられる人は、そのように生きればいいし、だからと

言って全員が、そういう生き方をすべき義務はない、ということだろう。

 今度は、モームの『人間の絆』そのものを読んでみたい、と思った。

・関連リンク→ 読みつ 読まれつ様

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