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『スカイ・クラッシュ』完視聴 [近況…]

 Gyaoで、『スカイ・クラッシュ』という映画を観ました。

 ハプニング連続で、しかも人間、他人が困っているとき、や他人の命のために頑張れるものだ、ということを感じました。(自分や自分の家族のためではなく、まったくの他人のためにです。これを扶助衝動というのでしょう)

 フランスの航空機が制御不能に。

 始めは、滑走路のメンテナンスに当たっていた車がパンクすることから始まります。

 パンクした車が置き去りになっている所に、管制室から着陸の指示が出てしまいます。

 滑走路に車があることを目視した小型機のパイロットが着陸断念して再浮上したところに、旅客機の離陸中の機体と当たってしまう。

 小型機は墜落。

 旅客機は衝突の衝撃で損傷を負い、コンピュータも起動しないし制御不能に……。

 乗客たちが旅客のために奮闘して軟着陸します。

 その顛末を描いた映画です。

 フランスから飛び立った旅客機でしたが、操縦不能になっているので、或る程度の高度まで達すると今度は落下が始まる。(丁度、紙飛行機で推進力が万全でないのに急上昇をつづけたとき、頂点の位置から落下する原理です)

 墜落が予想される地点はドイツのお祭りが行われている所。

 ドイツのトップは、操縦不能ならば、戦闘機で撃墜することも真剣に考える。

 どうやって着陸できたのか。

 是非、本編でご確認ください。

 字幕も文字数が少なく、ついて行きやすい映像になってます。

 本編は、こちら→ 字幕版 スカイ・クラッシュ

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『弱者99%社会』読了(追記あり) [最近、読んだ本]

 宮本太郎氏編の、『弱者99%社会(日本復興のための生活保障)』を読みました。

弱者99%社会 (幻冬舎新書)

弱者99%社会 (幻冬舎新書)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2011/12/22
  • メディア: 新書

 例によって、感想は追記をお待ちください。

 

   追記・感想

 

 宮本太郎氏が、ゲストを招いて対談や鼎談をする。

 その記録が本編である。

 感想と本編紹介は、宮本氏や他のゲスト一人ひとりの意見・提案を細かく紹介すること

はせず、本編での議論の総論という意味の意見・提案を紹介することにする。尚、私の記

憶が曖昧で本編の提案を細かく認識・把握できていないので、充分な紹介が出来ないこと

を、まず陳謝する。

 

 社会保障を充実させて、現役世代が躓いてもたとえば再就職までをフォローすることを

完全にすべきである。と、こういう論旨だった。

 老齢年金の国庫負担が大きい。が、老齢年金はどうでもいい、というわけにはいかない。

 財源をどうするかだが、先日読んだ河村たかし氏の「銀行にはお金が余っているのだか

ら、国債をどんどん発行して財源を確保すればよい」との案とは真反対で、消費税を増税

して財源に充てるべき、との案だった。

 しかも、消費税は、社会保障のためにだけ使う、ということを明確にして、収支報告も

国民に完全に開示すべき、という案である。

 段階的な増税にはなるのはやむを得ないが、出来れば一気に高い税率にまでして、その

代わり現役世代を支えるたとえば雇用保険の充実や再就労までの勉学の費用をまかなうな

どといった、現役世代を助ける社会保障を徹底して充実させるべきである、という案であ

る。

 この本だけに書かれていたことではないが、女性が結婚・出産・子育てなどで折角のス

キルを活かした総合職を辞めてしまうことは、社会にとって経済的にも大きな損出である、

と。たとえば出産・子育ての子供が幼いうちの時期を長期休職として会社に在籍させる。

その間の本人への保証も会社側への保証も、国の社会保障でまかなう、という案である。

こういう保障を充実させると、各家庭の経済がバックアップされるので、少子化の抑止に

も繋がる。

 現役世代三人で一人の老人を支える、という図式が、近い将来1.何人で一人を支える

という肩車型に推移しようとしている。

 企業の雇用形態も、正社員の数が減って、正社員に責任のある多量の仕事が任されるよ

うになり、オーバーワークから、彼らが、いつ精神的病などになって脱落してもおかしく

ない。現在でもそういう脱落組が多量に発生している。

 これでは、老齢年金を到底維持できない。

 脱落組が社会復帰できるまでの保障をする。などを充実させて、その代わり消費税を大

幅に上げる。そうしよう、と。国債の発行で財源をまかなうやり方だと、将来の世代につ

けを回すことになるだけだ、と。

 社会保障と経済の相乗的発展も論じられている。社会保障を充実させるだけでは明るい

将来は期待できないからだ。

 未来への投資としての「次世代教育」。「家族による子育てか、社会による子育てか」

という対立図式ではなく、として理想の形を議論されている。詳細は本編に譲る。

 この本で新しく知ったこととしては、社会保障は金食い虫ではない、ということ。資金

の循環ということでは、年金基金で100兆円以上の金が株式や債券に使われ、潤滑油と

しての大きな役割を果たしている、ということ。【一部本文引用】つまり、集めた金を運

用して利益も出しているということですね。

 発達障害を例に、障害者の保障も外国と比べて手薄である、と語られる。雇用支援も充

実させるべきだと。女性の出産・育児のあいだで就労が途切れてしまう問題も、この障害

者が、あと少し社会のバックアップがあれば働ける人もいる、という問題も、こういうカ

テゴリーの人を雇用へとバックアップすることが、社会の経済も押し上げ、年金の負担の

担い手を増やすことにもなる。

 内閣府の国民生活選好度調査(2010年3月)では、我が国は外国に比べて高齢世代

で「自分は幸せ」と感じている人の割合が低い。外国に比べても社会保障支出が年金など

高齢者向けに集中していながら、この結果である。

 最近の「幸福」に関する研究においても、一定の経済力を持つと、それ以上の幸福感を

決定するのは所得ではなく、人のつながりだということが言われています。【本文引用】

 昔ながらの向こう三軒両隣というようなコミュニティーを復活させる必要はないが、新

しい形の種々の集合体が出来るべきだし、それに参加することで幸福度も上がる、という

論旨だった。

 感想として思うのは、日本には宗教の礼拝や集会に参加する習慣がない。あっても少数

派である。礼拝や集会がメインなのだが、礼拝や集会以外でも、同じ信仰を持つ人同士が

語らうコミュニティーが出来るものである。向こう三軒両隣のつき合いがなくなって、社

縁と核家族の縁しかない世の中になってしまったけれども、ボランティアや趣味の集まり

などもこれからは人付き合いの要素になるだろう。

 本編は膨大な内容量なので、枝葉末節は本編に譲ることにする。是非、本編を読んでい

ただきたい。

 感想としては、本編内容に首肯した、としかならない。

 社会保障を充実させることは、正社員はその多くのパーセンテージを負担しているし、

尚かつオーバーワーク気味で、いつ脱落してもおかしくないのが現状なので、現役世代を

しっかりフォローする要素を盛り込んだ老齢年金だけでなく障害者支援も育児休養保障も

雇用保険も盛り込んだ一体型の保障にすることを打ち出して、その財源として消費税を上

げ、収支報告も国民に完全に開示することが良案である、と思った。消費税を社会保障費

を捻出するためだけの税にして、現役世代への保障も盛り込み、現役世代に納得して

もらった上で増税するのである。早い段階で高い税率にし、保障の必要なところ

には行き渡るようにし、それ以上増税する必要がなくなるように社会の経済を

強化することも同時にしなくてはならない。(少子化を食い止め、就労人口を増やす)

ということも、それに含まれる。

 以上である。

 

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つれづれ(除湿機) [近況…]

 今日、Gyaoで久しぶりに意味のある映画を見つけた。

 他のGyaoでやっている映像が意味のない、という意味ではないが、Gyaoはいささか、最近は再アップロードのコンテンツに頼りすぎで面白くない。

 ラストゲーム、という映画作品。

 戦時下で、学徒動員が間近に迫っているときに、心おきなく戦地に向かえるように、と部活の顧問が奮闘するストーリーだ。

 人間、厳しい状況に於いては、誰でも磨かれる。

 ダイヤモンドが硬度の差の少ない石に研磨されるように、否応なく戦地に向かわせられる男たちだからこそ、家庭でも社会でも、一目置かれる存在になる。

 家庭内でも年功序列を重んじ、兄に逆らう弟などは居ない。

 兄も必死で戦地で戦っているからだ。

 男女平等などというフェミニズムも台頭しない。

 明日は死ぬかも知れない男に、尊敬の念を持っているからだ。

 ホモソーシャルな場の最高レベルの場が、戦時下ではないだろうか。

 明日、死ぬかも知れない男からの恋文は、受けとる女にとっても気持ちが昂まるものである。

 物語りのなかでは、慶応の選手が練習不足なので苦戦する。

 その原因をつくったのは自分だから、と早稲田の顧問は、控えの選手を出すのは相手に無礼になる、という意味から、ベストメンバーで試合を続ける。

 本編は、こちら→ 映画『ラストゲーム 最後の早慶戦』

 

 

 

 

 夜中のチキンラーメンを、またしても食べた。

 というような近況なので、痩せるため歩いてきた。

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 近場の公園である。

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 露出を落とすと、雰囲気のある写真が撮れる。

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 6月の梅雨が迫っている。

 もっと晴れてくれる日がほしい。

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健康診断&溝掃除。 [ラフに語る、つれづれ記]

 Wブッキングの溝掃除と健康診断を終えました。

 溝掃除は、落ち葉がたくさん落ちていて、回収が大変でした。

 健康診断は、友人と行ったのですが、時間帯がずれていて、早く着いた僕は三十分ほど待ちました。

 その間に、左隣の老紳士と右隣の主婦と話します。

「時間通りなんて、硬いこと言わないで、すぐ診てくれたらいいのにねぇ」

 と老紳士。

 主婦のほうは、

「お酒や煙草の楽しみじゃなくて、奥さんとご旅行に行かれる、とか、趣味を持つとかなさったほうがいいですよ」

 と仰有います。(僕は独身なんだけどなぁ……)

 ようやく始まって、煙草の喫いつづけの指数の聞き取り。22歳から本格的に喫いかけて、今では一日40本。40本で26年掛けるとえらい数字に。

 お酒は、26歳ぐらいから毎日飲むようになって、発泡酒500ミリひと缶とウイスキーのポケビン一本と申告したら、一日二合という計算になったようです。

 普段の運動は、週に三日、三十分ほど歩く、と。

 身長、182、6センチ。体重は確認するのを忘れました。

 腹回りを測るところでは、若い女子と小母さんがおられたのですが、遠慮して小母さんに測ってもらった。(折角なんだから、若い子に測ってもらわないと、と友人に後で指摘されました。(笑))

 腹回り、ナント、1メートル。

 知り合いにそのことを話すと、

「よう成長したやん」

 と冗談を言われてしまいました。

「縦の成長は無理だから、横に広がらないとネ」

 などとジョークを返せればよかったのですが。

 尿検査では、血糖はマイナス。

 血圧は、下だけ記憶したのですが、90台でした。(直前に煙草を喫っていたからね)

 あとは、血液検査と尿の検査の詳細な結果を待つだけです。

 やっと懸案は過ぎました。

 問題は、肝機能の数値か……。

 では、また。


予定通りには、いかん。。。 [近況…]

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 通院の途上で、車がエンスト。

 道路上で車が止まってしまったよ。

 どうやら、「ドライブ」と「二速」を頻繁に変えた運転がよくなかったようです。

 病院には間に合いませんでした。

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 英語の意味と同じ言い方で言えば、今週、溝掃除なんですよね。

 それで、当日寝坊することも考えられるので、先に自宅のテリトリーだけでも、先に草を刈っておこうと思って、混合油も買ってきて、草刈り機をまわしかけたのですが……。

 動きません。

 プラグがかぶっているようで、もっと速くスターターを回さないとエンジンがかからないのですね。

 それで、今日の草刈りは断念。

 どうも、予定通りには行かない。

「想定内です」って言ってみたいなァ。

 今週日曜日は、溝掃除と健康診断のダブルブッキングです。

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 写真は、近隣の図書館前からでした。

 では、また。(^。^)

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『女ぎらい(ニッポンのミソジニー)』読了(追記あり) [最近、読んだ本]

 上野千鶴子さんの、『女ぎらい(ニッポンのミソジニー)』を読みました。

女ぎらい――ニッポンのミソジニー

女ぎらい――ニッポンのミソジニー

  • 作者: 上野 千鶴子
  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • 発売日: 2010/10/06
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 お約束どおり、徹底的な批判を展開する予定です。

 また、批判だけでなく、「なるほど、納得できた」と思う点についても、書きます。

 例によって、感想は追記をお待ちください。

   追記・感想

 まず、ミソジニーという語句について、その意味だが、正確には、そして詳細には辞書

などに譲るとして、全編を読んで私が解した意味としては、次のようになった。

 ミソジニー=女ぎらい、である。

 女は社会的に弱い立場であるので自分は女でなくて良かった、と思う、女ぎらいの心理。

さらに、女には月経があって、かつ、なまめかしい面があり、さらに、腕力でも平均値と

して男にかなわない(弱い)生き物だ、だから嫌いである、とする考え方。自分が女の場

合も、この前述、後述どちらの意味も含めて、女であることが劣位であると思う考え方の

ことを指している。

 男には、ホモソーシャルがある。男同士の集合体のなかでの人間関係やお互いを尊敬や

尊重する関係。

 女には、男のホモソーシャルに匹敵する、女同士の社会的な集合体(少なくとも集合意

識)はないのだ、とする。

 世の中で、頭角を顕したり尊敬を受けたりする社会は、ホモソーシャルのなかにしかな

く、たとえば女学校でいくら後輩や同級生に一目置かれても、その立場は卒業とともにな

くなるのだから、という考え方である。

 まず、最初に明記しておかなければならないのは、この本の全編が上野千鶴子女史の見

解であるわけではない点だ。

 先達の社会学者や作家などの意見・見解を披見するに留めている内容もある。

 従って、厳密には、上野女史が仰有る自説だけを批判しなければ筋が通らないが、膨大

な全編をいちいち検証しながら批判を展開するのは無理に近いので、おおまかな捉え方と

して、「この本で展開されている考え方」を批判することにする。

 女の生き甲斐としては、二つのジャンルがある。

 自分が出来る女(たとえばビジネスパーソンなど)になって、社会から直接、尊敬を受

ける喜びのために生きる生き方。

 もう一つは、社会的に成功している男の妻となって、ホモソーシャルな場での男の地位

に、彼の女である、と紹介されて間接的に存在意義を認めてもらう生き方だ。

 しかも、そのどちらもの欲求を持ちながら、女性は生活している。

 些か大仰に前振りをした「批判するぞ」という意味の文章を私は書いたが、殆ど、批判

したいところは、ただ一点か、その一点から派生することのみである。

 セクシャリティーとしての男女は、わかりやすく言えば性交(セックス)のときの男女

の関係は、男=主体で、女=客体でしかない。とする、この考え方。女のオルガズムはシ

チュエーションなどにも大いに影響されるし、性器結合での往復運動だけでは女はオルガ

ズムを得ることはなく、たいていの女は、家庭でのセックスでオルガズムにまで往ったこ

とがなく、それを男のほうは、「こいつは、俺の、これが良くて離れられないんです」な

どといった風にホモソーシャルな場で自慢する。という、この見解について、立腹し、ま

た、意見の相違があったのである。

 下世話に言えば、上野氏自身が男との床で男と同時にオルガズムを得たことがないのか、

或いは、オルガズムを得ることを強硬に拒んでいるのではないか、と思ったからだ。

 私の内心としては、こうだ。

「アンタ、男に往かされたことないのか」という感想が正直なところである。

 私は、前戯なしでも、亡き妻を含めて何度でも往かせた。【加筆】(女が性感帯が

一カ所でなく分散している、というのも迷信である。乳房だけをいくら弄くっても、往け

るわけがないし、女も殆ど陰核とヴァギナだけで往くのである。経験から実証済み

である。往けるように男が開発してやれるかどうかだけである)

 男に心を開くことが嫌なのか、と思う。

 そこから敷延して、性交では、同時にオルガズムに至ることができるということになる

と、セクシャリティーとしての男女は、どちらもが主体であり、どちらもが客体である、

という私の持論になる。

 ここで、完全に意見が食い違う。

 後半に出てくるが、女同士の集合体で大人で社会全体で、男のホモソーシャルに匹敵す

るような価値の査定の仕方は、本編にも出てくるとおり、確かにない。

 これは、意見がまったく一致する。

 地球上に女しか存在しなくなった場合にだけ、上述の世界は展開できる。

 他の本にも書かれていたことだが、女は、結婚・出産をすることで、一時的にせよ働け

ない時期ができて、元の職場に復帰することが難しくなり、パートなどの社会的地位(語

弊が有れば、社会的羨望を受けるポジション)が脱落した仕事をすることになる。

 よしんば、ずっと独身でキャリアを積んで会社での地位が上がっても、ホモソーシャル

な集合体のなかでは、男の側からは率直に認めてもらえない、という現象が起こる。建前

上、認められていても、男社会の本音としては、男は内心では、そんな女の有能さを認め

ていないのである。(むしろ、可愛げがない、として怨嗟の対象となる)

 よって、ホモソーシャルな場に食い込むためには、社会的ステータスのある男の妻にな

る道をとるほうが確実、ということになる。

 ここで、社会的ステータス云々を認めてほしいという願望よりも、女の性愛、或いは恋

愛、子供への愛しさといったものの喜びのほうだけで満足できる女も居るのではないか、

と、私としては思うのである。

 主婦業が、無賃金労働と言ってのけるが、男の稼いだ生活費は、女自身が生活する資金

としても使われているのである。その上に、夫婦共用の物だけでなく、化粧品やブランド

物とまではいかなくてもバッグなども旦那の給料から買ってもらうのである。これは、無

賃金労働とは言わない。

 ホモソーシャルな場での帰属物という立場に置かれたとしても、充分な快楽を夫から得

られていれば、そんなに目くじらは立てない筈だと思うのだが。

 一方、女のミソジニーに匹敵する、男の、「男ぎらい」、つまり、「男になんて生まれて

くるのではなかった」という感情も、或いは、「男に生まれなくてよかった」という感情

も、そういうミソジニーもあるのではないか、と後半では語られていた。

 人間(男)は、意志のとおりに全能感に満ちて自身の体を動かしたい。つまり、意志>

体という関係性がある。それが思うようにならない。その思うようにならない体の、コン

トロールしにくい欲求というファクターに性欲があるが、男は、それを自分よりも劣ると

思っている女を相手にすることでしか解消できない。ゆえに、自身の体に対する自己嫌悪

を持つのである、という論旨である。(この論旨の一番目の発信者は上野女史ではないが、

上野氏も同感・首肯・類推はされているようである)

 話が前半の著述部分に戻るが、作家の渡辺淳一氏がモテるのは、作家であるというステ

ータスをぶらさげているからである。と発言されている。

 この点は、首肯するが、この辺を読みかけてからだんだん腹が立ってきたのだ。

 社会的ステータスを持っているか、高収入であるか、或いはルックスがよいか、という、

この点で男は女にモテるだけで、それは、男の本来のアイデンティティーではない、とす

るのである。

 そして、その極めつけに、性技が達者であるか、という要素を議題に出してきて、「女

は、そんな簡単に往くものではないから、そんなことで自惚れている男は、女が見えてい

ない」と文脈はつづくのである。

 別に、その男の行動から、心の優しさを感じたり、世の中に認められているかは別にし

てもオリジナルな作品(絵画や音楽など)を創作していたりする個別性に惚れることもあ

ると思うのだが、それが大事な要素だと思うのだが。

 この、「(男の)優しさ」についても、床をともにしたいときは男は誰にでも優しくな

ったりする、と切り捨てる。

 実際、それはある。それは認める。

 しかし、すべての場合の男の優しさが、それからだけ出ているわけではないだろう。

 だが、ここまで批判してきたが、全編に対して批判しているわけではない。それは、読

者も読んでいて気づくだろう。

 ミソジニー(女ぎらい)という概念が、深層意識に作用していて、父と息子、父と娘、

母と息子、母と娘、という家庭の人間関係に、遠回しに心理的に作用していることは確か

なようである。

 たとえば、ミソジニーを持つ娘は、母のようにはなりたくない、と思う。が、しかし、

自分が女であるゆえ、時が経つにつれて母のようになっていくことを受け容れなくてはな

らなくなる。社会的成功を追い求めても、ホモソーシャルな世界では完全な到達はあり得

ない。自らが女であるからだ。そこで、母に対する嫌悪が産まれ、自分の肉体の性別に対

する嫌悪が産まれてくる。東電OL殺人事件の被害者についても、ミソジニーの心理から、

その生活に対する謎解きが出来る。

 後は、枝葉末節を一部紹介したい。

「プライバシー」の語源が「剥奪された」からであり、公的権利を剥奪された領域、転じ

て公権力の介入を拒否する領域、私領域であり、それが家族ということになる。公的権力

の介入を受けないのだから、虐待やDVが起こっても、第三者の介入や保護がない恐怖と

服従の場になった、という。プライバシーは誰を守るのか? 強者を。ということになる。

【一部本文引用】

 まったく、その通りだと思う。

 他の本で今読んでいる内容を、この上述のプライバシーという概念に対立させてみる。

 日本の古代は、「家」という制度が作られるまでは、集落の構成員が財産を共有し、集

落の男女が自由恋愛をして、生まれた子供をみんなの子供として育てる形がとられた。【『一

冊でつかむ日本史』武光誠、より引用】一夫一婦制ではないのだ。自分の女を自分だけの

女としたいという自然な欲求から、村を離れて「家」という形をとって住む人たちが出て

きたのである。こういう「家」がなく「集落」単位で生活していたときには、プライバシ

ーがあるゆえの強者の暴走というのはなかったと考えられる。

 後半の『身体化された生活習慣』の項では、男女の性的な関係や夫婦関係は、支配する

ものとされるもの、という図式があるから、それが支配されるほうにとっても恋愛感情を

隆起させる要因にもなっているから、熟年夫婦では、男=強者、女=弱者という関係では

なくなってしまうから恋愛熱が冷めるのである、と論説展開されている。すべての場合で

はないが、とは著者も書いていると思うが、たしかに、これは当てはまることが多いと思

える。

 同じくこの項で、皇太子が雅子さん(当時の尊称)に、求婚したときの科白を引き合い

に出され、「男が女を守る、と言うときには、支配する、という意味が含まれている」と

仰有る。実際の本編では、そんなやわな書き方ではなく、「「守る」とは囲いに閉じこめ

て一生支配する、という意味だ」【本文引用】と書かれている。

 これは、この通りであるし、むしろ、この通りでよいのである。とは私の見解である。

 私が部分的には反フェミニストなのだからからかも知れない。

 ここで、本編とは関係なく少し脱線するが、皇太子のあの言葉は私は今聞くと、非常に

滑稽に感じてしまうのだが、私だけだろうか。何から、『お守り』するのだろうか。強姦

魔から守るといっても、法律が底辺にあるし、そこでブロックは出来ている。生活破綻を

経済的にきたして食べられなくなることがないようにする、という意味が一般社会では多

い意味なのだが、皇室に経済的生活破綻の可能性などないし。

 脱線ついでに書くが、インターネットで少し見た情報だから真偽はわからないが、皇室

では、お召し物を着替えるときとか、お風呂に入って体を洗うのも、すべて、お付きの人、

数人に全行程してもらうことがあるらしい。もし、こういうことが事実だとすると、雅子

妃が精神的にまいるのも解らないではないが。(真偽のほどのはっきりしないことなので、

読者は鵜呑みにしないで頂きたい)

 『ミソジニーの理論装置』の項では、「男は女と対関係のなかで「男になる」のだ、と

思っていた。まちがいだった。男は男たちの集団に同一化することをつうじて「男になる」。

男を「男にする」のは、他の男たちであり、男が「男になった」ことを承認するのも、他

の男たちである。【本文引用】と語る。女は、男が「男になる」ための手段、または、「男

になった」証明としての報酬である、と。

 女を「女にする」のは男。「女になった」ことを証明するのも男。

 ここまでは首肯するのだが、ここから、この書評の前半で採りあげた論旨になっていく。

 それには首肯できない。

 『男の自己嫌悪』の項では、規格外の者たちの行動パターンについて述べられている。

規格外というのは、ここでは、ジェンダーの意味での、「生理学的には男なのに、社会学

的に、否、世間の見方として男と見られない人たち、や生理学的には女なのに、世間の見

方としては女として見られない人たち」のことである。

 それが、ミソジニーから来る作戦だったりもする。たとえば、わざとブスに見えるよう

にメイクをしている女性などがそうだ。

 長々と本編を紹介してきたが、ともかく、ミソジニーという概念については分かったし、

その心理が男女どちらにもある、というのも頷ける。

 批判すべき部分については上述したので、もう繰りかえさない。

 以上である。

・関連リンク  粂 和彦のメモログ 

         charisの美学日誌

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随想(5月12日) [近況…]

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 今日、晩酌の途中でうたた寝していたら、夢をみた。

 三歳になる娘が、突然亡くなってしまう、という内容だった。

 現実には、自分は子なしだし、あり得ない設定なのだが、夢のなかで奇跡が起こって娘が復活して還ってきたとき、嬉しくて抱きしめ、傷が残っている娘の頭を撫でていた。

 子を持つ親の気持ちが、少しわかったような気がする。

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 上記写真は、ウォーキングのときの風景。

 ウォーキングのコースは3種類あって、ときどき大通りを歩くこともあります。

 

 話題かわって、最近、「facebookの画面が出ない」というキーワードで、検索から拙ブログに訪れる方が、非常に多いです。

 僕の場合、一度facebookの画面が真っ白になって操作できなくなりましたが、数日後には元に戻っていました。

 なぜ、真っ白になったのか、理由はわかりませんでしたが……。

 

 また話が戻りますが、

上から2番目の写真に、奥の方に高層建築が写っていますね。

 実は、そこは高級マンションなんですが、今、執筆中の作品では、そこに入居する話を書いています。

 先日、友人に訊いたところ、このマンションは分譲しかないそうで、現実の僕では夢の夢ですが(笑)。

 小説のなかでは、希望を充たすことができますね。

DSCN0371.JPG

 近所の公園です。

 折角の青葉が陽光に映える季節なのに、曇天が多いのが、少し不満ですね。

 暖かかったり寒かったりで。今日なんてストーブを再び焚きましたよ。(笑)

 

 さて、健康診断が近づいてきました。

 最近、「健康診断は受けるべきではない」という論調の新刊が多いですね。

 健康診断を受けるまでの不安な状態が精神と身体に悪いという論旨ですね。

 それから、精密検査が心と体に負担が大きい、という論旨ですね。

 どっちにしても、もう今年受けることにしたし、受診して安心感を得ることも大事ですしね。 

 少しは節制して備えようと思います。

 今日は、こんなところで。


時代は変わった。 [真夜中のつれづれ記…]

 昔、僕が二十代の頃は、アルバイトやパートしかしていない人は世間に馬鹿にされていた。

 職業に貴賎はないけれども、その前提は建前として誰も思っていても、きちんと会社勤めしている人で当たり前、という世の中の見方だった。

 店員という職業も、会社で事務や営業や正社員で工場勤めをしている人よりはランクが落ちる、と見られていた。

 僕が、正社員としてガソリンスタンドに勤めているときでも、知り合いに、「あそこの会社へ行ってはどうですか」と転職を薦められたりした。

「ガソリンスタンドですか」と、鼻で笑われたこともある。

 それがどうだろう。

 今は、コンビニで6時間くらいパートで務まっていれば、「ようやっとってやね」と、人からねぎらわれる風潮になった。

 昔も今も、僕は世の中のスタンダードからは外れていることになる。

 僕が高校を卒業して最初に行った職場は、三菱自動車の販売の仕事で、それを、その後の転職のときに履歴書に書いていると、

「おお? 三菱ですか。 何でやめられたんですか」

 と問う面接担当者が非常に多い。

 職業に貴賎はないとは誰でも思ってはいるが、内心では職業に対する差別意識はあるのだろう。

 なにやら、今産まれた子が成人する頃には、今までにまったくない職業が出現しているだろう、と、あるメルマガに書かれていた。

 僕のよく行くガソリンスタンドが、今までは半分セルフで、会計のときだけは店員と対面してやりとりしていたのだが、最近、完全なセルフガソリンスタンドになった。

 クレジットカードの支払いの延滞があった場合、機械で先に照合するので、支払いが出来ないという最悪の事態になることがなくなった。その点は良かったと思う。

 が、しかし、店員にしてみたら、仕事の楽しさが半減しただろう、と思う。

 人間というのは言葉を発することで発散する。

 お客さんから元気をもらったり、ということもあるし、勿体ない動きだと思う。

 しかし、これも時代の流れだろうか。

 何だかまとまらないままに。

 ネタがないときに、無理に随想をひねると、このくらいかな。

 では、お休みなさい。