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裁判員制度などを導入するから、被告になめられる。 [真夜中のつれづれ記…]

 強盗殺人などの罪に問われている、元NHKの委託カメラマン若生康貴被告の裁判が始まっているが、第三者のXに唆された、或いは脅かされていた、との供述をする若生被告だが、後付で出してきた事実でない作り話だろうと思われる。

 今の段階に来て、自分の身の潔白を証明したいのであれば、Xという人物が、どういう人物であるかについても語るべきだろう。

 検察側の論告求刑が終わった段階で、裁判員に対して、

「ありがとうございます」

「本当に、いい人たちに裁判をして頂けた。あとは、皆様のご審議を待ちます」

 などと言ってのけている。

 これは、些か裁判員を低くみた言葉ではないだろうか。

 自分が裁かれる側であるという立脚点に立っていない。

 裁判官からも、この発言に対して異議が出ないようなので、日本の倫理道徳は地に落ちたというしかない。

 これでは、被告が、裁判員を、自分の横または下にみた発言であるからだ。

『いい人』というのは、言いくるめ、懐柔である。

 いい人であるかどうかが大事なのではなくて、人を裁く権威を仰せつかっている者が裁判員だからだ。だから、裁判員が、いい人でなくても、裁く権限はある。

 以前の裁判官だけを相手にする裁判でも、被告は同じ科白を吐けるだろうか。

 卑近な例で言えば、昔、私は先輩と中学のピアノの調律に行ったことがあるが、体育館に設置してあるピアノの調律&掃除をしているときに、生徒たち数人が来て、二階部分で煙草を喫っていった。

 その生徒たちが、体育館を離れるときに、私たちに対して、

「お仕事、ご苦労様です」

 と言ったのである。

 ご苦労様というのは上から目線であり、尚かつ、未成年の生徒は、自身に与えられた課題にもくもくと取り組んでいれば、それでいいのであり、可愛げがない。

 今回の、若生被告の発言も、裁判員を裁判官と同格と見なしていない発言で、尚かつ、横からの感覚で取り入れば、酌量してもらいやすいから言っているように思える。

  今回のエピソードについては、小中学校から教壇を廃止したことと似たことのように感ずる。

 すなわち、授けられる側と授ける側の立ち位置の高さの差がなくなってしまったのだ。今回の場合でも、裁く側と裁かれる側の立ち位置の高さの差がなくなっている。

 同じ人間なのだから、という科白をよく聞くが、はっきり言って、「同じ人間」ではない!

 区別するところは区別しなくてはならない。

 裁く側の人間が『いい人』であろうとなかろうと、裁判というのは、証拠の立証に因る、犯行があったのかなかったのか、と犯行の経緯、証拠がなくても状況証拠と動機から被疑者が犯人と思われる必然性、そこに、情状酌量の余地、というものを、法律に照らし合わせて行わなくてはならない。

 どこかのお代官様が、お涙頂戴の判決をくれるものではないのだ。

 自分は、被告の立場であることを忘れてはならない。

 裁判員とて、裁判官と同じ、裁く権限を持った立場なのだ。

 今回の事件では、確実な証拠は挙がっていないから、限りなく黒に近くても有罪にすべきでない、とする考え方もあるが、それなら、白黒がはっきりするまでは延々と拘留されるのも筋としては間違っていない。法の観点からすると違うが。

 完全に、裁判員が被告に舐められている構図になっている。

 私個人の意見としては、裁判員制度はやめるべきではないか、と思う。


『フリーランス・ライターになる方法』読了(追記あり) [最近、読んだ本]

 吉岡忍(よしおか しのぶ)+古木杜恵(ふるき もりえ)グループ著の、『フリーランス・ライターになる方法』を読みました。

フリーランス・ライターになる方法 (生活人新書)

フリーランス・ライターになる方法 (生活人新書)

  • 作者: 吉岡 忍
  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 2003/03
  • メディア: 単行本

 例によって、感想は追記をお待ちください。

 

   追記・感想

 

 まず、この本ではないが、以前読了しなかった他の本で読んだことを書いておきたい。

 ライターというのは、資格が要るわけでもなく、自ら名乗れば誰でも自称ライターにな

ることは出来る。仕事があるかどうかは別だが。

 その仕事を受ける場合でも、出版社にアポイントメントをとって、自ら売り込みに行け

ば、ライターだと名乗れば、出版社はとりあえず話だけは聞いてくれる、ということだっ

た。

 だから、ライターとして仕事をするには、関東に住んでいるのが望ましい。

 何故なら、出版社はほとんど東京に集中しているからだ。

 本編では、現在ライターとして活躍する人の、様々な経緯が紹介される。

 大手出版社に入って、編集の仕事をしていた人などが、やはり自ら書くほうの仕事に携

わりたい、という思いから会社を辞めてフリーになる場合が多い。

 しかし、初めのうちは、なかなか仕事にありつけない。

 コネを頼りにしたり、自ら出版社や雑誌に売り込みに行ったりする。大きな雑誌の編集

部に入り浸る、というのも作戦としてアリなのだそうだ。

 ライターは、編集者に書き直しを要求されることが多い。自らの文章とはまったく違っ

てしまう仕上がりになることもよくある。また、原稿に問題がなくても、読まずに、とり

あえず一回目は書き直しを要求する編集者も居る。

 それぞれの人がライターになるまでの経緯を見ていると、女の人の場合、多くの企業で

は未だに、「職場の女の子」として見られていて、どうせ結婚・出産を機に辞めていくの

だから、とスキルの必要な仕事を任されることが少ない、という現状がある。そこで、ス

ペシャリティーとして将来も長くやっていきたい人が、一度自ら会社を辞める場合がある。

 編集者とライターという仕事・立ち位置を対照的にとりあげられる。その一番の違いは、

編集者は会社に雇われた社員であり、ライターは請け負いで仕事をする職人である、とい

う点だ。

 ライターを目指すにも、最初は出版社の編集にもぐりこむ、とか、他の業種の仕事を或

る程度の期間体験してきたほうがよい、と書かれていた。そういう時期を経ることによっ

て、「タメ」ができるのだ、と。文章を書くのにも洞察力ができる。

 特定の雑誌を主な仕事場として確保しているライター。特定の雑誌の契約ライター。こ

ういう人たちも居る。書く場所を確保しているという点で収入は安定しているが、膨大な

枠を抱えているので、かなり忙しい。

 週刊誌、月刊誌が、どのように出来上がっていくのか、そのサイクルも本編では紹介さ

れている。

 取材に多くの時間を割き、それを後でまとめる、というのがライターだから、決して机

のまえに座っているだけで出来る仕事ではない。

 雑誌・書籍ともに、九十年代から実売総部数が減っている。この一つの原因が、携帯電

話の普及で、雑誌を買うお金を電話代にまわす人が増えたから、と述べられている。(こ

の他にも理由はある。詳しくは、本編を)

 それでも、発行点数は増えているのである。いかに一冊の本の実売数が減ったか、を物

語っている。

 この本で読んだことではないが、ライターなり記者は、署名原稿を書くのに憧れている。

 編集部に、認められた証であるし、そうなると他からもオファーを受けやすくなる。

 仕事を確保し、そのペースを維持してゆくことが大変だ。

 ライターには、賞与も給与もないのだから。

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夜中の二時すぎに、チャットで…… [近況…]

 昨日は、夜中にチャットをしていました。

 一度、風呂にはいってから、原稿を書こう、と風呂に行って、上がってきたら、ROM状態のマイルームにお客さんがあったのですよ。

 それで、少し喋っていまして、二人のうち一人が落ちて、二人だけになったら、

その一人が、絡んできます。

 話の流れから、僕がブログによる自己喧伝をやっていて、個人情報も書き込んだブログをやっている、という話をして、そうすると、相手は、「プロフィールを伏せたブログとかSNSしか、私の場合は出来ません」と言ってきたのです。

 僕が、それに対して、「それで、いいと思うよ」

 と言った、その、「それで、いい」という言葉が、この人の場合は地雷だったようで、

「それでいい」という人の、一体何がそれでいいのか分からないし、何でそう言うのか分からない。私は、自分で決めて行動しているのに、まるで相手に査定されているようだ、という意味の反論がつづきます。

 これが、まるで、酒飲みが他人に絡んでいるようで、しんどくなってルームを出ました。

 そうすると、相手、プライベートメッセージから連絡してきました。

「貴方は、小説家としては、失格ですね」

「底が浅すぎる」

 と、私を批判。

 

 それでね、いつもの僕なら、そこで傷ついて終わりなんですが、俯瞰して考えてみると、いきなり、そんなことを言う相手は居ない筈だと気づいたのですよ。

 お互いがフラットな関係で、初対面であるときに、そういう相手を侵襲することをいきなり言うわけがない。

 と、なると、考えられるのは、僕に対して怨嗟を持っている人ですね。

 だいたい、誰だか、分かりますけどね。

 一般の人でないことだけは書いておきます。あとは読者のご想像にお任せします。

 チャットの会話で、マックで他のお客さんの話に聞き耳をたてていました。とか、そういうことを作品のエッセンス吸収のためにする、本人もエッセイにもそのことを書かれていますからね。しかも東京に住んでいる、と言えば、あの人ですね。

「底が浅い」のは、自分で重々承知しているのですよ。

 登場人物の作り込みが不充分なことはあるし、フィクションと現実を交ぜてフィクションを構成する場合にも、読み手に憶測がつかないくらいの作り込みが必要であることも承知しています。

 また、外部の現実とリンクしているかどうか、という処も弱いです。

 そういうことは、貴女に言われなくても承知しているのですよ。

  また、逆に言わせてもらえば、何不自由ない暮らしをしていて、友人・知人のちょっとした一言にイラッとした、と書くような小説が、底が深いのですかね。

 あんな、すくなくとも精神とは言えない心の上層部の動きを刻銘に描写することが文学だとする風潮があるのはなげかわしい。

 夜中の二時半にチャットで……。

 閑なのですか。

 まあ、そこまで考えてみると、こちらが傷つくよりも、著名人に、「こいつ気ィわるい奴」とでも思われてきた、というのが、何だか喜ぶべきことのように思えてきまして。

 相手も、こちらを意識せざるを得なくなっている、と言えるわけですね。

 というわけで、爽快な気分で、昨夜も原稿を書かせていただきました。

 


最近の演奏 [近況…]

 久しぶりにエレキベースの演奏シーンを撮ってみました。

 技術回復しないままの演奏です。ご容赦ください。

 後ろの、買い物袋が気になって仕方ない様子です。(笑)





『青の時代1985』読了(追記あり) [最近、読んだ本]

 最近チャットで知り合った、穴田丘呼(あなた きゅうこ)さんの小説、『青の時代1985』を読みました。

青の時代1985

青の時代1985

  • 作者: 穴田丘呼
  • 出版社/メーカー: 清風堂書店
  • 発売日: 2010/05/25
  • メディア: 単行本

 例によって、感想は追記をお待ちください。

 

   追記・感想


 掌編小説集。

 修飾の多い文体。比喩、直喩による形容も多い。

 読みはじめて、「なかなか、しっかりした文章を書くなぁ」と思いながら読み進むと、

今度は、いわゆる「何が、どうなっているのか分からない」記述がつづくので、「わから

ないなぁ」と思ってくる。しかし、それでも最後まで読み切ると、何とも、ほのぼの感が

残った。

 蔵中、一作目の『雨の降る日と雲の上』を例に挙げてみると、この物語は、新婚家庭を

描いているのだが、夫である主人公がどんな仕事をしているのか、まったくわからない。

繰り返し描かれるのは、夫婦での行動だけである。料理をつくってくれる妻。それも、毎

回きちんと料理を用意するわけではなく、億劫さから手を抜くこともある。しかし、主人

公は、妻の寝顔を見たりして、その心の平穏さに安堵している。主人公が妻に惚れている

ことは文章から伝わってくる。そして、最終的には、スーパーマーケットに二人して買い

物に行って、レジで精算を待つために列に並んでいたのだが、妻は、買ったものをすべて

陳列に返すように主人公に促す。これが、作中で直接かかれているように、世界の貧しい

国で貧困によって飢え死にする子供と比べたら自分たちは贅沢すべきでない、という理由

なのか、或いは、この夫婦の夫の稼ぎが少なくて経済的に本当は困窮しているのか、とい

うことが読者には分からないままに物語りは終わる。この部分は一種のメタファーである。

まだ、さらに読者を諭す寓意の意味での理由が隠されていて、再読するうちにそれに気づ

かされるのかも知れない。

 登場人物に、殆どの場合、固有名詞を与えない。

 また、説明が少ないので、読者に的確に何がどうなっているのかは伝わらない。だが、

却ってそれが読者それぞれのなかに自分のスクリーンを創り出すことになって、読者それ

ぞれの世界が広がる、と言える。

 私の作品の場合は、文体もエンタメの文体から脱却できてなくて、しかも説明が多いの

だが、穴田氏の場合は文学の文体で、説明でなく描写の積み重ねで、読了後、「ああ、そ

ういうことだったのか」と何となく作品世界を理解できるという文学の醍醐味を実践して

いる。

 また、作品それぞれは、皆、みぢかい時間を切り取ったもの。さらに、タイトルが表す

とおり、どうやら1985年を舞台として設定しているようである。

 たとえば、主人公が彼女に電話するのにも、電話ボックスに行かなくてはならない。

 シニフィアンの戯れ、と呼ばれる登場人物の動きを微細に描写してゆくところも見事で、

それによって、読者はそこに居るかのような臨場感を得る。

 作品世界に奥行きを与える著名人の名と、その著名人に関しての蘊蓄も、さりげなく書

き挟まれている。「ソビエト書記長、フルシチョフ」「有名な詩人」「精神神経学者、フロ

イト」などだ。

 全編、おやっと思わせられる。そして作品世界に引き込まれる。

 穴田さんの年齢は、私と同じだから、1985年当時の心境も社会的環境も目に浮かぶ

ように思い出すこととなる。そして、1985年でありながら、作中の世界はすこしだけ

奇妙なのだ。軸をすこしずらせることによって、作品世界に、「揺らぎ」を創り出してい

る。

 一つ言えることは、著者は登場人物に少しでも自身を投影しているのであれば、若い頃

の自分を俯瞰してみていることになる。

 そうでありながら、俯瞰している自分は一切書き込むことはなく、あくまでも、「あの

当時の自分」にのりうつって書いている。

 文字を食べたような感覚になる不思議な小説群だった。

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機転が利く娘は、重宝がられる。 [ラフに語る、つれづれ記]

 前職の営業のときに、薬品を薄めて売ることになりまして。

 その薬品は原液で仕入れますので、薄めて小分けにする必要があったわけです。

 それで、社長に、「大きな容器から小さな容器に移し替えたいから、漏斗(ろうと)を買ってこい」と言われたのです。

 ところが、ホームセンターに行っても、大型スーパーに行っても、漏斗は品切れで売ってなかったんですね。

 それで、会社に帰ってきて、「売ってませんでした」と報告したのですが、

「漏斗たのんだからといって、それが売ってなかったら、ありませんでした、だけを報告するんだったら、ガキの使いっ走りじゃないか、代替案を実行してくるもんだよ」

 と社長に言われました。

 でもね、すでに代替案は実行していたのです。

 漏斗の代わりに「灯油ちゅうちゅう」を買ってきてました。

 それを報告すると、「おお、まあ、なかなか馬鹿ではないな、こいつは」というような顔をしておられましたよ。社長は。

 このように、言われたことだけを実行して、自分で何も考えないということを避けるのは大事なことです。

 機転が利く人は、会社で重宝がられます。

 最近、或るスーパーで、混み混みのとき、レジに並んだんですよね。

 そうすると、そのスーパーでは、レジの機械に、お客から受け取ったお金を入れると自動的にお釣りの計算をしてくれるシステムなんですが、それが、機械の計算に、だいぶ時間がかかるのですよ。

 それなのに、そのとき並んだレジ係の女の子は、すぐにお釣りを出したんです。

 後で考えてみると、レジに、手打ちで、客からの、入りの金額を打ち込んでいた、ということですね。

 だから、彼女のレジに並ぶと、速いんです。

 入りの金額を打ち込む、といっても、その動作自体に時間がかかるようだと本末転倒になってしまいますが、この娘、かなり速い。

 また、うちミスをしない自信がなければ、そういうことは出来ません。

 こういう風に、その仕事の義務以上のことができる人って、重宝がられますよね。

 というわけで、最近思ったことでした。


セールスマン諸氏に、ご教授する。 [ラフに語る、つれづれ記]

 お年寄りに高い買い物をしてもらおうと思ったら、偶数月の15日が狙い目である。

 国から年金が支給されるときだからだ。

 かくいう僕も、障害基礎年金は、偶数月の15日に支給を受けている。

 サラリーマンなどで、大きな会社に勤めている場合は、給料は、20日〆の25日払いでしょう。

 田舎の小企業の場合は、月末締めで、翌月10日などというところもあります。

 最近は、大きな買い物をしてくれる見込み客は、だんぜん、厚生年金での老齢年金をもらっている年寄りになってきています。

 偶数月の15日は、マークしましょう。

 接客態度も、そのつもりで力を入れましょう。

 そんなこと、出来るセールスマンなら知っているかもですね。

  言わずもがなだが、このタイミングは株価にも影響する。(自信はないが……)

 デイトレやってる人も、注視すべきタイミングである。

 では、この辺で。


つれづれ、という名の、つれづれ [近況…]

 バレンタイン、収穫

 ↑「ええ? これは、『オウ』ですか」

 「いいえ、『ゼロ』です」

 という痛い状況紹介から始まります。

 だいたい、バレンタインにチョコレートをもらうなんて、中高生の時季のものでしょう。

 40すぎたオッサンがもらうのなら、あらかじめ付き合いが始まっている人が居た場合の話。

 と、自身を納得させる。

 

 話題かわって、最近、ネットラジオにはまっています。

 僕が導入したのは、ツールバーで聞けるタイプだったので、パソコンで他の作業をしながらも聴けます。

 アメリカのラジオなどを聴いていると、ラップでも様になっていますね。

 音程なしで叫んでも、発声する発音が心地よい。

 それと関連していることですが、英語が公用語の国は、ITの技術者が多く育っている。

 自身でHTML言語の勉強をはじめて分かったのですが、HTMLにしてもCSSにしても、或いはプログラムにしても、英語で命令が書かれているのです。

 こうなると、日本人でも若いうちから英語をまずマスターしたほうが、断然得だなぁ、と思えるのです。

 同じことを憶えるにも、英語が理解できていると、スイスイと頭にはいっていきます。

 

 何だかんだぼやきながら、こうやって、原稿を書くのを、出来るだけ後回しにするわけです。

 だって、原稿を書いたら、一日が終わってしまいますからね。

 書くことそものもが辛いと思うときもありますし。

 ごそごそとアマゾンの出品をやって、さらに飲む。このままでは病気になってしまうのではないか、という危うい感覚もある。

 今夜も締めくくりには、チキンラーメンを食べるつもりである。

 煙草が値上がりしてから、生活サイクルがおかしくなった。

 だけれども、それもしだいに直るだろう。

 最低限、原稿を書いていれば。

 導入した、ネットラジオは、こちら→ Toolbar-radio.com

  では、また。(^。^)

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