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月末 [ラフに語る、つれづれ記]

 月末ですね。

DSC00029.JPG

 来月から、衣替えですね。

 月末に精神的バイオリズムがくずれることが多いって、先日読んだ『ブログ魂』という本に書いてありました。

 著者によると、コメント欄が荒れるのはだいたい月末だと……。

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「まあ、らっきょでも食べて」

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 先日、オークションで臨時収入があった、と知りあいの女子に言うと、

「本(自著)が売れたん?」

 と。

「なんて、自分の本、オークションで売ったらアカンがな」

 と、オチがついてお互い大笑い。

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「まあ、らっきょでも食べて」

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 原稿は完成したんですが、あまり発表したくない内容になってしまったんですよ。

 どうせ、新人賞、落ちつづけだから、駄目もとで送っておくか思案中です。

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「まあ、らっきょでも食べて」

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 ほお骨のなかに違和感が出てきて、ふたたび歯医者さんに通いかけたんですよ。

 一旦、勝手に治療をやめていたので義理がわるかったんですが、症状の経緯を知っていらっしゃる元の歯医者さんに通わないわけにいきませんからね。

 でもね、何か受付嬢が怒ってるように見えるんですが、僕の思い込みでしょうか。

 受付の女の人の目が、普段から目が大きい美人なんですが、さらに大きく感じるんですよ。

 気にしすぎかな。

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「まあ、らっきょでも食べて」

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 一寸いいこともありました。何とか生活基盤だけは確保できました。

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 でも、あれから、交差点には………。

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 あとは、読者の想像に任せます。

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「まあ、らっきょでも食べて」

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 次の構想は固まったんですが、他にいい題材がないか、それに、書きたくて仕方ないという気持ちになるまで待とうか、と思って、今は五日ほど休筆しています。

 哲学のぶ厚い本は、貸し出し期間を延長するのを、もう諦めました。

 長いから、ギブアップです。

 どこまで読んだか、メモってますので、アマゾンで買って、つづきを読もうと思っています。

 まあ、近況としては、こんなところです。

 それと、話題が跳びますが、今年はこちらでは未だに、セミが鳴いています。

 まだ、暑いし……。

 異様ですね。

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「まあ、らっきょでも食べて」

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 最近、ウイスキーのポケット壜が品薄になってます。

 今日なんか、一軒目のスーパーで品切れ。

 2キロほど離れたホームセンターに行っても在庫切れ。

 さらに、4キロ離れたスーパーに行って、やっと一本だけありました。

 大きな壜のを買うと無茶のみしてしまいますからね。

  ポケビン、人気が出てきたのかなぁ。

 それとも、山雨を困らそうとして買い占めしてる人が居るのか。

 でも、それも想定内。

 ポケビンに代わる必殺の商品があるのですよ。

 でも、それが何なのかは秘密です。

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「まあ、らっきょでも食べて」

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「らっきょ? 何で?」

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 では、また。(^。^)


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『「はやぶさ」式思考法』読了(追記あり) [最近、読んだ本]

 川口淳一郎さん著の、『「はやぶさ」式思考法(日本を復活させる24の提言)』を読みました。

「はやぶさ」式思考法 日本を復活させる24の提言

「はやぶさ」式思考法 日本を復活させる24の提言

  • 作者: 川口淳一郎
  • 出版社/メーカー: 飛鳥新社
  • 発売日: 2011/02/04
  • メディア: 単行本

 感想は、追記をお待ちください。

 

   追記・感想

 

 私事ながら、図書館の貸出期間を過ぎて延滞しているので、他の利用者からリクエスト

がかかって急遽、本を返さなくてはならなくなった場合に困る、ということに気づきまし

て、急遽、夜中にこの書評を書いています。

 

 この本を手にとって、まず思ったのは、世情に疎い私ですから正解を言っているわけで

はないのですが、どうも、政府の歳出削減の、例の事業仕分けに対しての反感が、少なか

らず著者にはあるのだろうな、ということでした。

 読んでみると、「未来への投資」が大事なことを力説されていますし、すぐに結果が出

ない分野だからといって、開発費・研究費を削れば、何十年後という未来に新しい活力が

産まれない、ということを力説されていました。読んでいて、まさに、その通りだなぁ、

と思いました。

 

 ウィキペディアからの情報も付加して私なりに解釈すると、「はやぶさ」はアポロ群の

小惑星であるイトカワに、接近して、着陸船を一時離反させ、着陸船で当初イトカワの地

表に下りて土(サンプル)を回収して着陸船が本機に戻り云々~という予定だったところ

が、着陸船は本機エネルギーの減りの問題から着陸させなかったのだが、「はやぶさ」自

身が交信不能に陥っていた僅かな期間(ここでは、帰還までの後半の長期の交信不能期間

とは違う)に一旦、小惑星イトカワに着陸していて、その際にはやぶさが巻き上げた塵が

サンプル採取用のカプセルに入っていて、後半の航行では長期音信不通、制御不能、本機

姿勢確認不能の状態から、再確認(ふたたびの機体の存在と状態の確認)がとれ、地球に

戻ってきてカプセルを切り離し、本機は大気圏再突入の摩擦熱で消滅し、カプセルの方は、

切り離された後にパラシュートを使って無事に帰還し、そのカプセルから小惑星イトカワ

の土の成分が検出され詳細に分析された、という宇宙開発プロジェクトなのである。

 

 宇宙航空研究開発機構(JAXA)教授、「はやぶさ」プロジェクトマネージャーの川口

淳一郎さん。JAXAも変遷して現在の組織になったらしい。

 宇宙開発は、その時々によりプロジェクトが作られ、普段、他の会社なり組織なりに居

て仕事をしている人が選抜されて集まる。こういう動きのことをマトリクス的組織と言わ

れていた。縦の関係でなく、横のつながりの組織なのだ。

 この本では、「はやぶさ」プロジェクトにかかわらず、川口さんが今までの人生で培っ

た知恵(や方法論や主義)を披露されている。経済的な意味だけにとどまらず混迷・閉塞

している日本に、とくに日本人という人間に教えておきたい知恵を書きつづられたものだ。

 

『減点法を止めて、加点法にしよう』の項では、これは「はやぶさ」のプロジェクトでは、

難しいことを何工程も乗り越えてきてはじめてサンプルリターンがあるので、そこまでを

完了して100点とするのもおかしい、と思われたこと。加点法では、満点はなくて、良

いところの評価を加点していきますので、当初、たとえば500点が満点だと考えていた

としても、それを越える場合もありうる。一つひとつの小さな行程の成功を褒めてやろう

という考え方です。日本の教育の場合、満点をとった人が複数いると、その中で誰が優秀

かは「減点法」では決められない。だから、正当な評価ができない。「減点法」では、満

点をとるだけの努力しかしなくなってしまう。

「失敗がカウントされるなら、失敗を減らすように努めるし、成功がカウントされるなら

成功を増大させようと勤める」「ハイリスク・ハイリターンな事業は、加点法で評価すべ

き」【本文引用】

 つまり、「出来て当たり前」という考え方を、分野によってはやめようということです。

 

『許認可制は妨げになりうる』の項では、イトカワの地表探査をする「ミネルバ」が電波

を発することが法律に抵触したようで、その許可をとれているものと思い込んでいたチー

ムと電波を管理する役所との間で長いやりとりになってしまいます。「ミネルバ」の動き

のシミュレーションのときに役所の人も立ち会っていたので大丈夫だと思っていたのです

が、シミュレーションは地球の地上で行われたので…、という役所側の見解。実際に「ミ

ネルバ」が活動するのはイトカワの地表だということは分かりそうなものですが、そうい

う了解にはなっていなかった。こういうやりとりを経験されて、川口さん、日本では、原

則禁止で何かをするには許可を得るというパターンが多すぎると思われます。『原則自由』

にしたら、もっと科学開発は進展するだろう、と。周りに危険や迷惑がかかることが予見

できる場合は、それをやる人が自ら「こういうリスクのあることをしますが」と役所に申

告する方式のほうが科学開発・研究の進展のスピードは速いのではないか、と。まあ、こ

の川口さんの案だと、人間は原則善人であるという性善説の社会が必要ですが。

 

・『「学びのプロ」になってはいけない』

 組織や集団が出来上がると、必ず規制や制限が生まれる。「全員にルールを守らせる」

という全体主義は、社会秩序を維持し、安全な国にする面もあるが、一方で、300キロ

で走ってもいいサーキットがない国からは、高性能の自動車は生まれない。

 似たようなことは、「お手本へのあこがれ」という面にもみることができる。教科書や

論文をどれだけ読んでも、そこに書かれているのは過去にすぎず、新たな発想を提供する

物ではないということ。練習問題だけを解き続けていると、教科書の世界から抜け出せな

い。その外にあるまったく別の世界が見えてこない。新たな課題に直面した場合、それを

解決してくれる教科書が用意されているわけではない。

イトカワ起源の微粒子を回収してから、「はやぶさ」のカプセルをいち早く国民に見せた

こと。(小規模な自由な発想にもとづく実験はともかく、おおがかりな事業の成果を、ご

く少数の研究者の研究目的にとどめてしまうことは、国としてみれば、育てたはずの人材

に裏切られたということにもなりかねない)

 宇宙開発プロジェクトには、一つのコンサートのような側面がある。演奏家は、自分が

納得する演奏ができるという成果も大事だが、同時に興業として成功させなければならな

い。

 減点法による教育が、上記のような視点を持たない人間をつくってしまうことになる。

 それが、「学びのプロ」になってしまうということ。勉強すること自体を目標にするも

のではない。【以上、本文引用を含む】

 

・手段に目を奪われて、目的が霞んではいけない

 物事はスケジュールどおりに進行させるべきだ、予定は守らなくてはならないーーーと

いう考え方も、効率的で安心できるものだが、スケジュールや予定は目的を達成するため

の一つの手段であって、それ自体が目的なのではない。

 惑星や彗星が地球に接近する、探査機打ち上げのもっともよいタイミングというものが

ある。(「窓」と呼ぶ。例:「火星への窓が開いた」などという言い方をする)

 探査機「のぞみ」は、火星への窓がひらいた時期に打ち上げるべく、なんとか予算を通

してもらおうと「好機なんです」と説明するが、ロケットの開発が間に合わないという問

題が起こり、時機を逸します。その後、好機ではないタイミングで打ち上げますが、ロケ

ットによる加速だけでは火星に近づけないのが明白なことから、窮余の策として、月スイ

ングバイを二度、地球スイングバイを一度させ、火星周回軌道に向かわせる。(スイング

バイというのは、惑星などの引力を利用して探査機の公転速度を上げる方法です。たとえ

ば、月の引力に引っぱらせて、そのまま公転の遠心力で加速したまま月から離れるといっ

た方法)

「のぞみ」は、最終的には地球から火星に向かおうとした最後のエンジンの燃焼でトラブ

ルが発生し、それを修復するなかで、探査機の電源系に別の問題が生じて(後略)という

ような具合で失敗に終わるのですが、このときの体験が後の「はやぶさ」では生きていま

す。それに、窓が閉じても別の方法で火星へ向かわせる案を考えた、というのも、スケジ

ュールが目的ではなく、探査することが目的という意識を感じます。

「スケジュールどおり、予定どおりの進行をしていいのは、手順やノウハウが確立されて

いる場合です。誰もやっていないことをしよう、新しい世界を切り拓こうとするなら、絶

対にスケジュールどおりにはいかないこと、経費もふくれるものと覚悟すべきです。(中

略)予定どおり進むことが、理想でしかない、そういうことです」【本文引用】

 

「はやぶさ」が実際にイトカワの地表に着陸したのか正確には判らない状況になります。

データとしても矛盾したデータが「はやぶさ」から送られてきたからです。その後、「は

やぶさ」とは交信不能になり、「はやぶさ」からの電波を探す長い期間が過ぎていきます。

こういった経緯から、周囲からは「もう諦めたらよいのでは」という声が出ますが、川口

さんは諦めませんでした。

「どの時点で諦めるのか。見切りは非常に難しい。(中略)真面目で責任感の強い人ほど、

いろいろな客観的データを収拾し、ドライに見切るための判断材料にしようとしがちです。

つまり、データによって意志を決めようとするわけです。悪い事態を急いで見ようとした

がる。それは冷静なやり方で、普段はそれでいいと思います。(中略)重大な場面では、

逆のアプローチをしたほうがいいケースがあると思うのです。意志、意図が先で、データ

は後、意志を貫くための材料だけを集め、走ってしまってよい、というやり方です。悪い

結論を急いで見て、何の得があるでしょうか。(中略)見方を変えると、これは組織人だ

からこそやれることです。自分は当事者としてアクセルを踏むことだけを考え、最終的な

ストップは組織に任せてしまうのです。これは周囲の人たちや所属する組織を信用してい

ないとできませんが~」【本文引用】

 上記ミッションのプロセスでも出てきましたが、ドライに割り切って安全策をとって答

えを得る、という選択では、「駄目だった」という答えと決まっているのに、それを早く

見ようとすることになるわけです。少しでも可能性のあることはミッションを持続して、

最終的に答えを確かめればよい、という川口さんの考え方です。

 サンプラーホーンの弾丸は発射されなかった。けれども着陸の衝撃で微粒子がサンプラ

ーホーンの容器に入っている可能性は高い。この状態で帰還のための永い航行中だった「は

やぶさ」。だから、早く容器をカプセルに移し、きちっと蓋をしたほうがいいだろう、と

いう意見がチームメイトから出ますが、川口さんは、それを地球の大気圏再突入の直前に

まで行われなかった。というのも、「はやぶさ」が満身創痍の状態だったので、電力をそ

の動作に使うことで他の異常事態が起こる危険を避けられたからです。力学的に飛び出し

て逃げていく粒子があったとしたら、とっくに出てしまっているし、微粒子は採れていて

も静電気で壁にくっついているだけのはずだから、と、考えられた。

「結果の白黒がわからない時間は落ち着かないものです。イライラします。しかし、急ぐ

必要があるのか、それを自問してみることです。早く知ろうとすることでリスクが増大す

るなら、あるいは、待つことでメリットがあるなら、イライラに耐えてじっくり待つべき

でしょう」【本文引用】

 この考え方、一般の人の生活にも当てはまるところがあると思いました。

 たとえば、就職の面接を受けたとき、会社からの採用・不採用の連絡が遅かったとして

も、急いで電話で担当者に確かめるのも善し悪しですね。会社は、他の雑務がたまたま多

い時期に来ていて、合否の吟味を後まわしにしているだけの場合もありますし、そういう

状況の会社に答えを急がせる電話をすると、「もう、この忙しいのに、この人のことはも

ういいや」となって不採用になる場合などもありますね。拙速はいけないし、余分な電話

は印象を悪くする、ということです。

 

・最適化の極意

 森鴎外の『生田川』という戯曲を例に、「どっちにするか迷うくらいなら、どっちでも

いいんだ」という考え方を披露されます。

 『生田川』の原形は「莵原処女(うないおとめ)の伝説」。美しい娘、莵原処女が二人

の男に言い寄られ、どちらとも決められず生田川に身を投げてしまうという悲話。

 娘がどちらかに決められなかったのは、二人の男がいずれも美男子で将来性もあったた

めらしい。一人に辛い思いをさせねばならないと悩んだ。【一部本文引用】

 理工系の人は、学生時代に、最適化への必要条件は何かを教え込まれる。しかし、現実

には、正解と言えるものがなかったり、無数にあったりする。そういうシチュエーション

のときに頭を抱え込んで止まってしまわないように、という意味で、「どっちにするか迷

うくらいなら、どっちでもいいんだ」と言われているのです。

 

『「こうすればできる」と考えよう』の項では、「企画する人」と「企画を検討する人」

のスタンスの違いを述べられ、前向きな動きの重要性が述べられる。「ここが足りない」

「どれだけ大丈夫か」「あそこが無理だ」という声が多数でて、大体の企画検討会議では

企画した人の意欲が萎えていく。企画している人は、問題点や無理な部分をこれからの努

力で乗り越えようとしている。最初から。企画している人に欲しい声は、「止めておけ」

という老婆心に満ちた忠告ではなくて、「こうすればできる」という解決策なのです。

 この部分の叙述は非常に首肯します。

 我がことで言えば、新人賞を受賞しようと思って毎日書いているのですが、他人に出会

うと、「どうせ、そんなん無理やて」とか「まあ、それはそれとしてよ」といった、意欲

を削ぐような言葉ばかりかけられます。推進力が鈍ります。だから、私の場合、今は他人

の言葉を聞かないためにも人づきあいを減らしているのです。

 本の感想とは直接関係ありませんが、賞を目指している人は、人となんか会っていては

駄目ですよ。やる気がどんどん削られますから。

 

 本編をあまり紹介ばかりしすぎてもよくないので、この辺りで終わりにします。

 本編中に、イノベーションという言葉が何度も出てきます。

 辞書で意味をひくと、新機軸とか、新製品の開発、という意味ですが、思いつきの段階

をも含んだ意味で語られています。

 イノベーションは、努力ではなくて、ひらめき、なのだ、ということが語られています。

 勿論、商品や製品開発には、ひらめきの前後には努力する期間は必ず要るのですが、ひ

らめきがなければ、新しい物は生まれないでしょう。くたくたになるまで仕事として長時

間とりくむことだけではなく、気晴らしをすることや、心を悦びの状態に保つことも大事

だと思います。それに、企画検討会議での忠告ばかりが多いとモチベーションが下がりま

す。

 宇宙開発は、すぐに結果の出る分野ではない。

 だからこそ、費用を惜しまず、時間も長時間、期待して待つほうも長時間で待つ、とい

うことが大事だとあらためて思いました。

 宇宙開発に限らず、画家になる、とか、小説家になる、とか、野球選手でも一流になる

までには途方もない時間がかかっていると思います。みんな、それを口にしない人が多い

ですが……。

 諦めてしまって、さらに、その戸口に蓋をしてしまっては、後に実現できる可能性を消

してしまうことになります。

 一旦物事をやめる場合でも、また同じ分野に復帰できる戸口だけは開けておくほうがよ

いのではないでしょうか。そういう意味のことも川口さんも仰有っていました。

 たとえば、恋愛でも、一旦こちらから告白して相手に断られたとしても、戸口を閉めて

しまわないほうがいいと私は思います。断られたからといって逆ギレしてその場で相手に

罵詈雑言を浴びせると、その人との縁自体がなくなってしまいます。

 十年なり二十年なりの時を経て、お互いにそれぞれの家族を持って、さらにまた離婚し、

そういう二人が再会することはあるのです。そのときに、縁が切れていない(つまり戸口

を閉めてしまっていない)と、復縁することもあるのです。

 宇宙開発の軌跡と、川口さんご自身が普段から持たれている教訓を書いた本でしたが、

そんなことを感想として思ってしまいました。

 十年二十年というスパンで先見を立て、たとえ予定通りにいかなくてもさらに工夫を重

ね物事を継続する。

「あの人、派手にやっとてやな」と富を得た人をうらやむことは世間でよくありますが、

人生というのは、トータルで良かった、と言えるものでないと、その人が幸せだったとは

言えない。

 そんなことを考えてしまいました。


 では、また。

  さらに追記。

 日本がこれからどうしていったらいいのか、についても語られていました。

 イノベーションが大事、イノベーションを起こすにはインスピレーションが要る。

 これが、できるのは、人と同じ動きに満足しない「変人」である、と。

 全体主義的発想から個人主義的発想に切り替え、多様性を指向する。

 そして、どんな分野でも天才が出てくるのには、裾野が広くなくてはならない。だから将来に向けての準備(社会環境などを用意するなどの)をしよう。そのために、投資することが必要である、と。

 財政再建に必要なのは、もちろん経費節減も必要ですが、未来を担う人材の育成がもっとも大事である、と。そのための投資が必要であると仰有っていました。

 この本で読んだ内容か記憶が定かでなくなったことですが、日本は、ヨーロッパやアメリカの真似をして製品をつくって、その真似た製品の品質がよかったから経済的に伸びた、ということがあります。

 全体主義的な気性なので、こつこつと努力するし、製品の品質管理に関しても自らが厳しい。

 2番目の国が追い上げるスピードというのはだんだん加速する。現在の中国でも。GDPで中国に抜かれたが、中国の人口を考えると完全に抜かれたとまでは言えない。しかし、いずれ追いかける国が一位の国を追い抜いてしまう。正確には、品質に関して、中国人の気性からすると日本が負けることはないだろう。と仰有っていますが、このままでは、日本が一位になることは出来ません。

 アメリカは、一つの産業で日本に追い抜かれるたびに、新しい産業を興して、また一位に返り咲いてきた。繊維→電化製品→自動車→IT→金融。

 日本も、一位の国を追いかけるだけではなく、新しい産業を興すべきだ、と。

 すみません。次に読んでる本の内容と混線してしまったようですが、この辺で。

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『ナンサワ』を飲んでいます! [小耳にミニ情報]

 朝は弱いです。朝とは言えない時間帯に起きだしてくるのですが、何といっても、エンジンがかかるまでに時間がかかる。

 そこで、最近は、メディエンス株式会社さんの、『なんて爽やかな朝なんだろう!』という飲料を試しています。

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 ナンサワの粉末を、一日一回、150㏄の水かお湯に溶かして飲むだけです。

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 『ナンサワ』を、水に入れると最初は、こんな感じです。↑

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 完全に水に溶かすと、こんな感じになります。ジュースみたいな綺麗な紫色です。

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 味も甘くて、ジュースのようで、飲みやすいです。

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 『ナンサワ』は、レスベラトロールを含んでいます。

 レスベラトロールという成分は、老化促進を抑止する遺伝子を活性化させる成分です。赤ワインにたくさん含まれているんですって。

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 確かに、『なんて爽やかな朝なんだろう!』を飲みはじめてから、起床からのエンジンの始動が早くなりました。

 目覚めた直後も、頭がすっきりしています。

 無理をしなくてはならない現代人。だから、自己管理で生活を正すとか、ウォーキングを自らに課すことには、実質上限界があります。

 身体に良い意味で有効な成分を摂取することで、健康管理の一段階はクリアすることが出来るのではないでしょうか。

なんて爽やかな朝なんだろう!ーα.JPG

 貴方も、是非! お試しください!

なんて爽やかな朝なんだろう! メディエンスファンサイト応援中
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打ち出し、完了 [近況…]

 手書きで書き写しながらの修正を加えた原稿の、ワープロ打ち出し、

やっと終わりました。(ああ、しんど^^)

 あとは、伏せ字で書いている登場人物の架空名称を決めて置換するだけです。

 

 これで、本来の僕の創作の日々に戻れます。

 ブロガーの皆さん、コメントに、また伺いますね。(^。^)


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横道、脱線… [ラフに語る、つれづれ記]

 映画『ミナミの帝王』の主人公、萬田銀次郎の真似をしてみました。

 書き写しは最終段階、いつもの頻繁な更新まで、すこしお待ちください。

 


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『サンデル教授の対話術』読了(追記あり) [最近、読んだ本]

 小林正弥氏・著、それに、内容をサンデル氏が語ったところが大半なので、敬意を表する意味からか、マイケル・サンデル氏も著者となっている、『サンデル教授の対話術』を読みました。

サンデル教授の対話術 ( )

サンデル教授の対話術 ( )

  • 作者: マイケル・サンデル
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2011/03/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 例によって、感想は追記をお待ちください。

 

   追記・感想

 

 サンデル教授の忙しいスケジュールを縫って、小林正弥氏がサンデル教授にインタビュ

ーした。前半は、その内容。

 東京大学でも、『白熱教室』が開かれることになったとき、世論としては、日本の学生

は恥ずかしがり屋なので、議論に積極的に参加して来ず、講義が成り立たないのではない

か、という意見もあったが、蓋を開けてみると、学生からは積極的な発言が多数でた。

 

 対話型講義は、日本ではなぜ少ないのか、といった疑問も、後半の小林氏の著述で述べ

られるが、日本の場合でも、小学校低学年などでは発言を促す対話型講義(授業)は以前

からあるのである。日本の場合、中学、高校と憶えなければならない知識が多くなり、必

然的に教師が生徒にテキストを読み聞かせるだけの授業になってしまっている。これは、

改善の余地があり、授業前に下調べをする、或いは、授業全体ではなくて、部分的に対話

型講義を導入するという手法もアリなのではないか、と書かれていた。

 対話型講義では、一般の人を含む講義を受ける側に、政治哲学という分野が向いている、

ということがある。

 

 サンデル教授は、共同体主義を主張するコミュニタリアンであるが、多数派の意見を無

条件に受け容れるという正義の導き出し方ではない。この点は、この著作で強調されてい

る。

 前回の書評で、正義を善と切り離して考える、というスタイルをサンデル教授の考えで

あるように誤解させてしまう書き方をしたが、サンデル教授は、正義を、共通善、公共哲

学的考え方から、精神性、倫理性を含む正義(善ありし正義)を追究されている。

 

 ご自身の息子さんの野球チームの監督をされていたマイケル・サンデル氏。野球好きで

あられる。コミュニタリアン的な思想の下に監督をされた。ホームランなどの個人的な達

成にはご褒美をあげず、選手の誰か一人でも、守備のときにバックアップをしてアウトに

持ち込んだ場合には、チーム全員に、スニッカーズのキャンディーをあげることにしてい

たとか。

 

 対話型講義の動機は、ご自身が大学で講義を受けられていた経験から、ご自身が今でも

学生だったら、どんな講義だったら授業にのめり込めるか、といった考えで始められてい

ます。

 インタビュー部分の紹介については、割愛します。(是非、本編をお読みくださいね)

 

 GDPが世界第三位に落ちた日本ですが、イギリスなどは大きな経済力を求めることに

関心はなく、別の道を見つけているようにも見える。

 サンデル氏は、経済力の順位は、善き社会や善き生にとって決定的な問題ではない、と

仰有る。イタリア、フランス、ドイツ、イギリスを見てみれば、GDPではどの国も世界

の三位以内にもはいっていない。それでも、イギリスやドイツやフランス、イタリア、ス

ペインが意気消沈するというようなことはない。だから、日本がGDPで二位から三位に

なったことで意気消沈すべきではない。国民の満足度や幸福度、生活水準の高さの方が問

題なのだ、と、意味としては、そういうことをサンデル氏は仰有います。生活の質、民主

主義の質、正義に適う社会の問題といったより大きな問題の方が大事であると。

 この点では、私感想として思うのは、現代は既に物は行き渡っている、とくに、贅沢な

物を持つことが出来るかどうかが重要であるとは考えない、という考え方を持ちます。

 

 コミュニタリアニズムには、相互扶助の考え方である一方で、階層制や権威におもねる

という考え方の側面、考え方だけではなく現状としての状況があるわけです。その点に関

して、サンデル氏は、「私の議論は個人の権利に反対するものではなく、権威に挑戦する

ことに反対する議論でもなく、階層制に賛成する議論でもない」と、立場を明確にしてお

られます。サンデル教授が「コミュニタリアン」と呼ばれているのは、英米の伝統である

過度の個人主義を批判しているから。

 共通善における公民的美徳を強調する。「市場が道具以上のものになり、私たち自身や

私たちの社会的関係を理解するための方法になっていく」という傾向について常に意識す

べき。「誰がいい教育を受けることができて誰ができないのか。誰がいい医療を受けるこ

とができて誰ができないのか」といったことを市場が決めるようになってしまう。これは、

正義、共通善、善き社会の性格についての問題。市場自身は、このような問題に対する答

えを私たちに与えてくれない。経済学は、「何が善き社会を作るのか。何が正義に適った

社会を作るのか」という問題には答えてくれない。これらは政治的・道徳的な問題だから。

 

 市場の道徳的限界について、サンデル教授はインタビューに答える。

 「ここ数十年では、市場は行き過ぎる傾向がある。市場は、非市場的な価値によって適

切に治められる生活の領域にも入り始めている。たとえば、教育、健康[医療]、公民権、

安全保障などです。こういった分野すべてにおいて、‘市場における価値が、私たちが

気に掛けている本来の善を押し出してしまうという危険を犯すかどうか’という大きな問

題がある」【本文引用】

 重要なのは、市場を道具と見なして使うこと。

 

 自らの国アメリカを移民の国として受けとめてこられたサンデル氏。しかし、サンデル

氏は、自国民ほど移民に寛容だったわけではない。それでも、現在は、一定の歴史や一定

の言語こそが自国を束ねると考えてきた国々でも、移民を受け容れざるを得ない、または、

移民が流入してくる現実を認めざるを得ない状況にある。移民を受け容れることによって

価値観を柔軟化させて対応しよう。そうなるべき世である、とサンデル氏も思われている

ようである。

 

 すべてのコミュニティーやアイデンティティーを重視した上で、普遍的な一体感(世界

全体に対して)から、救済などの正義が、それでも必要と言える。

 

 対話型講義というのは、自由な思考をを尊重して、それを育みながら、その思考を深化

させ発展させることが眼目。世間の多くの討論においては、お互いの意見を述べるだけで、

自分の意見の正しさやその優位性を明らかにすることのみを目指す場合が多い。

 まさに、哲学は、思考そのものを愉しむのが醍醐味だと思いました。

 だから、思考が変化していってもよいのです。

 

 世の中では、しばしば宗教的・政治的ないし商業的な対話の場において、人々が知らず

知らずのうちに、その場が目的とする方向に人々を誘導する技術が行使されることがある。

(これを、最近では、ファシリテーションと呼ぶ)

 ファシリテーションが悪いかどうかは一概には言えないが、サンデル教授の講義は、フ

ァシリテーションではない。自由な思考をはぐくむもの。

 

 サンデル教授は、対話型講義のとき、受講生から発言を出させるテクニックを駆使され

る。

 それは、一つは、言い換え。

 発言者が正確に自己の考えを整理できていないとき、或いは、どの哲学者の立場に自分

が近いのかを把握していないときなどに、発言者の論旨は崩さずにその発言の輪郭をはっ

きりさせる。

 もう一つは、発言者の意見を全否定は決してされないこと。

 この他にも、本文を読んでいただくと、サンデル教授の講義でのテクニックを知ること

ができるでしょう。

 

 日本で対話型講義が行われてこなかった原因。明治維新以来、近代日本の教育は欧米の

様々な知識・技術を日本が導入することからスタートし、その実現に時間がかかり、その

態勢を長く維持してきたこと。

 もう一つの側面として、「先生の言われることに従順に従おう」という傾向があったこ

とです。

 

 サンデル教授の講義は、実は、周到な準備に支えられている。

 大人数での講義にはいる前に、学生たちには、セクションごとにティーチング・フェロ

ーという指導者がついて、そのテーマに関しての予備知識の習得や、前段階での議論が行

われている。(1000人以上の講義で、50以上のセクションが存在する。セクション

の受講生は18人程度)

 ハーバード大学では、サンデル教授の授業に対しての成績をつけられるとき、ティーチ

ング・フェローという指導者が評価する。略してTF。その評価段階も細かく設定されて

いて、結論に至るまでの論理的な一貫性・統一性が明確な小論文が評価される。勿論、サ

ンデル教授がコミュニタリアンだからといって、評価される側の学生がコミュニタリアン

の考え方である必要はない。

 ハーバード大学の学生は、すべてサンデル教授の講義を受けなければならない、という

ことではない。各々、普段は別の分野の履修を受けているのだが、サンデル教授の講義は

望めば、カリキュラムのなかでの調整で受けることができる。

 一回の授業について、通常五、六の論文か本を原本で読み、週三百ページほどの必読文

献を課せられる。だから、「白熱教室」では、あんなに突っ込んだ深い議論ができるのだ。

 日本の大学と違って、その履修科目自体の受講時間は長い。その代わり、日本の大学と

比べてという意味だが多科目を履修する義務はないようである。

 

 FD(ファカルティ・ディベロップメント)を一部批判する内容も出てくる。

 大学の高校化。自ら学ぼうとしない学生に学習意欲を与える。さらに、レジュメやパワ

ーポイントをあらかじめ作っておいて、授業をわかりやすくする、ということだが、自発

的に学習してこそ大学生だろう、という意味の内容が語られます。たとえば、社会に出て

即戦力になる実技、たとえばわかりやすい例で言えば、大学時代に簿記を教えることなど

ですが、大学は考える姿勢を身につけることこそが大事なのではないか、だから、実務、

或いは実務的な履修科目よりも、一般教養を教えて、哲学にしろ哲学的に普段の生活や社

会現象を見る目を養うことこそ大事なのではないか、と語られます。(もちろんサンデル

教授の考えです)

 私もこの考えには賛成で、大学にはいって、わざわざ工業高校のような実務的な勉学だ

けをすることはないと思います。なぜなら、必要に迫られてそういう知識は身につける場

や時間があるでしょうし。勉強の仕方を習うところが大学で、社会に出てからも、学生の

現役時代でも、一分野に関して深い知識を得たいと思えば、自律的に勉強はできるからで

す。

「自分で考える」「他人と議論する」といった基本的訓練を積むのが大学だと言えます。

 たとえば、人生の矛盾や不条理に関して、時間をかけて考えられる時期は大学生活の時

期くらいしかありません。

 

 著者の小林正弥氏が実際に見られた事実。対話型授業は、日本でも行われていた。小学

校で。しかも、このようなマイケル・サンデル教授の講義に注目が集まるずっと以前から。

 前述したことですが、中学・高校と学年が進むにつれて、教える内容の多さから自動的

に減っていっているのです。

 

 サンデル教授の講義「正義」は、現代において影響力を持つ功利主義、リバタリアニズ

ムから始まり、リベラリズム(カント、ロールズ)の思想を経て、最終的にはアリストテ

レスの古典的な目的論にまで遡っていきます。正義論としてみると、近代的・現代的正義

論から始まって、もともとの古典的正義論に戻る構造と言えるでしょう。【本文、引用】

 ひとつ、「ああ、そうだったのか」と分かったのは、ロールズの正義論において「格差

は認めるが、その格差は、もっとも社会的立場の弱い人にとっても便益を有する格差でな

くてはならない」という議論があったのですが、この考えには、「無知のベール」に包ま

れた状態で考えるということに対して、その想像をする人が必ずしも自分の便益をしっか

りと認識できているとは限らない、という意味でサンデル氏はロールズの主張を崩された

のですが、そのことよりも、ロールズが「もっとも恵まれない人にとっての便益を確保す

べきために、格差を抑える必要がある」と言ったのを、敷衍して考えて、それでは、自立

して生活できる人、その最低限を確保している人が社会の底辺にくれば事足りる、と思っ

ていたのですが、格差は開くのです。そのことに私、気づいていませんでした。この部分

は経済学の分野とも重なってくると思うのですが、市場に流通している富の全体量は同じ

なのだから、多数の高額所得者が居る社会というのは、貧困にあえぐ層も出てくると考え

られます。流通貨幣が増える。または増やす、という方法もあるでしょうが、まったく元

手のかからない新しい産業が勃興してこないと、結局は流通貨幣も増やせない。そういう

ことを考えましたが、浅薄な基礎知識ですので、推論としかなりませんでしたが、重要な

ことに思えます。そういう意味では、賭場のような器が社会だと考えることもできるわけ

ですから、あまりにも富む人が多数出ると、貧困に喘ぐ人も必ず出てくるということにな

り、その為には、格差を抑えなくてはならない。その方法として、社会の底辺に居る人の

生活を社会保障でまかなうか、或いは、強烈にお金持ちの人をつくらなくする必要がある

とも言えます。だからこそ、市場主義だけでは、すべての問題は解決することは出来ない

のでしょう。

 

 最後に、サンデル教授の考え方は、「法を超えた正義」を追究するものであることであ

ると記しておきます。

 リバタリアニズムやリベラリズムでは、法律さえ護っていれば、それ以上の道徳的善を

行う必要はない、という考え方になりがちですが、「善ありし正義」では、精神的・倫理

的な正義も追究するのです。

 リーマンショック後だから、こういうサンデル教授の講義に関心が集まるのでしょう。

 

 感想としては、対話型講義はどんどんやるべきだ、と思いました。

 そして、市場主義では誰かが泣きを見る。市場主義を行うとしても、倫理的になすべき

行動、抑えるべき行動をわきまえておくべきであるし、そういう「善ありし正義」を心が

けよう、と、思うことが大事だと思いました。少なくとも、(社会のなかで、社会のシス

テムに弾かれた)犠牲者が出ていないか、そういう人のことを思いやれるか、が大事であ

る。そして、それが自然に出来る「哲学」を、万人が心のなかに持つべきである、と感じ

ました。

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『人生の四苦八苦』読了(追記あり) [最近、読んだ本]

 車谷長吉さんの、『人生の四苦八苦』を読みました。

人生の四苦八苦

人生の四苦八苦

  • 作者: 車谷 長吉
  • 出版社/メーカー: 新書館
  • 発売日: 2011/04/02
  • メディア: 単行本

 例によって、感想は追記をお待ちください。

 

   追記・感想

 

 幼い頃から蓄膿症を患われ、手術も受けられたが、治らなかったらしい。その事につい

ては、他のエッセイでも語られている。

 私も幼少の頃、蓄膿症だった時期はあったが、二年ほどで完治した。ところが私は、最

近、歯根の奥が膿んで、それで歯が痛くなったのだが、歯痛は治ったのだが、ほお骨の空

洞が重いという症状が出てきている。こんな症状でさえ、違和感が伴って、物事への集中

をできにくくするが、車谷氏の場合は、常時両鼻とも詰まっておられるというのだから、

それだけでも日々の生活はしんどいだろう、と推察する。

 

 全編で、もっとも多く語られるのが、ご自身の高校受験の失敗の話。

 「合格するだろう」と、自身でも思われ、周りからも思われていた進学校、姫路西高等

学校へ不合格となります。この不合格が、「人生の落伍者」のような烙印を捺されたよう

な気持ちにさせ、市立飾磨高等学校の一年、二年のときには、ほとんど授業を受けずに、

バスで近隣の田舎に出かけ、昆虫採集に明け暮れた、とあります。この話がくどいくらい

全編に何度も頻出してきます。

 「そんなにダメージでしょうか」というのが、私の正直な感想です。が、十五歳の時期

なら堪えることかも知れませんね。

 

 「四苦八苦」というのは、釈迦が言われた言葉だそうです。

 「四苦」は「生老病死」。

 「八苦」は、「生老病死」のあとにある、あと四つの苦しみ。「愛別離苦」「怨憎会苦」

「求不得苦」「五蘊盛苦」です。

 このことの説明が、大変分かりやすかったです。

 とくに、「五蘊盛苦」の「五蘊」に関して、「色・受・想・行・識」であるとし(「色・

受。想・行・色」と言えば、お経の般若心経に出てくるのでピンときましたが)、「食欲

と性欲」が盛んになること、「感受性」が鋭くなること、「想像力」が強くなること、何

かをしようとする「意志」が盛んになること、「世の中ってのはこんなもんや」という「認

識」が激しくなること、という、これらのことが、人間を苦しめることを言う、という説

明も初めて聞いて納得しました。

 こういう苦しみは、人間にしかないなぁ、とあらためて思いました。

 

 車谷さんの経歴については、私は今まで何冊も著作を読んでいるから知っていることの

重複もあったのですが、「随分苦労をされていて、何事もやり遂げる執念の持続は偉いな

ぁ」と思うのですが、ときどき、反面「ご自身が選ばれてした苦労しかされていないし、

自業自得だなぁ」とも思うこともあるのです。

 高校受験失敗から立ち直られて、慶應義塾大学に進学される。そこまで、また勉強をさ

れたということは偉いです。ですが、最初に入った広告代理店の仕事に「不本意さ、と、

自己矛盾」を感じられて退職され、文学賞佳作入選という経歴があったから何度か文芸誌

にも原稿が載るという作家としての生活をされますが、仕事がなくなりご実家に帰られま

す。そこでお母様に叱られて、「旅館の下足番でもしろ」と叱咤激励された言葉を内容は

その言葉の表面的な意味ではなかったのに、ホントにその通りに下足番になられ、次いで

料亭などの下っ端の料理人をされている。その当時のご心境は、世を棄てて生きたい、と

いうことのようでしたが、それならホントに出家してお坊さんになられればよかったのに、

ご自身でご友人の務めておられるお寺に行って相談してみて、修行がかなり厳しいことが

分かって出家はやめられる。私が思うのは、料理人だったときに、出世を目指したらよか

ったのに、ということです。変に、世を棄てる、と言いながら結局、世棄てでも何でもな

い。その間、長期に亘って作家になることは諦められている。作家になることは諦めて、

世棄てになりたい、と言いながら世棄てにもなれないし、それなら何も下足番や料理人の

仕事をしなくてももう少し給料のよい店員などの仕事でもいいのではないか、と思ってし

まう。別に、車谷氏のことを全面的に批判するつもりはないですが、苦労といっても、自

分から自分が困る方向へ舵をとったから出来た苦労だと思うのです。世を棄てる生き方を

する、と言っておきながら作家として売れてくると結婚もする。言ってることに一貫性が

ない、と感じることもあります。

 それでも、下足番や料理人の仕事のときの仕事の厳しさの描写はリアルで、その経験が

あってこそ書ける文学だと賞賛する気持ちに変わりはありません。

 

 話しが脱線しますが、ご自宅は警察に護ってもらっている。さんざん私小説でモデルに

した人たちを傷つけたから多くの人から命を狙われているから。という記述がありますが、

それは嘘でしょう。車谷さん。

 伊丹十三監督のように、玄人の世界に、玄人が困るような作品で浸食する、ということ

以外には、個人的に命を狙われて、また、そのことを相談して警察が、そうかも知れない

というような段階で動いてくれるわけはないでしょう。と思いました。

 小説家は嘘つきで、嘘が上手くなければ、とは私も首肯する考えですが、エッセイでも

嘘を……。

 実は、文芸セミナーに行ったときに、或る作家の方から、エッセイでも、作品が面白く

なるならば、一部嘘にすることはあります、と答えられたことがありましたから、やっぱ

りエッセイでも嘘もアリかなぁ、とは思いましたが。

 

 強迫性障碍のことも、一項目もうけて語られます。

 私も幻覚や幻聴の経験があるので苦労を我がことのように読みました。

 生活を支えていた奥さんが大変だっただろう、ということも思います。

 精神障害の酷い症状の時期には、家族は一緒に居ること自体が大変ですから。

 

 下読みのお仕事も経験されています。

 その詳述を読むと、プロの作家と言えども、全応募作品のうち三分の一も預かってきて、

それをたった一週間で読む、というのですから、これでは、いちいち全作品完読はしてな

いなぁ、ということを思いました。

 現実にはあり得ないフィクション性が全編のなかに一部でもないと文学ではない。虚実

を織り交ぜないと文学とは言えない、と仰有います。この考え方は、決めつけすぎに感じ

ました。別に私は僻んで言うわけではありませんが、私の作品も、殆どの作品に現実には

あり得ない設定を混入させていますし。けれども、現実を詳細に語るだけの文学もありま

す。まあ、この点は意見の不一致でしょう。

 話しが戻りますが、下読みがかくのごとく行われているのなら、やはり、重要になって

くるのは原稿の冒頭、書き出しの三ページだと思いました。そこで、目にとまらないと一

次選考を通らないなぁ、と。

 

 白州正子さんに、読後の賞賛・激励のお手紙をもらわれた話し。その白州さんが、或る

方に、若い頃、「君はモダンガール(今どきの娘)だ」と言われたことに対する反発され

ての能楽師としての後の人生についても語られます。

 車谷さんご自身、「新潮」で佳作になったあと、車谷さん担当だった編集者から料理人

をしている職場に「もう一度、小説を書きなさい」と誘いに来られ、また、この(その当

時は元)編集者がかなり説得をしますし、東京にふたたび出てからも、原稿の出来がよく

ないと、車谷さんを殴ったり蹴ったりされたそうですが……。

 こういう話しを聞いていると、やはり、人は人に引っぱられる。影響される。良い意味

でも悪い意味でも、人間同士の関わりが、その人の後の人生を大きく変えていくものだな

ぁと思いました。

 

 何度もご著作を読んできて、車谷長吉という人の立体像が読者の脳のなかに出来上がっ

てきます。

[わたしは、「四苦八苦」をテーマに小説を書いています。]【本文引用】

 ご作品を読んでいて、そうだ、と思います。

 どんな作者でも、一作を読んだだけでは著者の立体像は分かりません。

 私も、ようやっと車谷ワールドの醍醐味が分かってきたのだと思います。

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『山雨のブログ教室』(ナンバーいくつか忘れたけど) [ラフに語る、つれづれ記]

   ソネット・ブログ活用術

 

・新記事作成

 

 管理画面トップから、「新記事作成」タブを選ぶ。

 記事タイトルを決めて書き込む。

 マイカテゴリーを選択する。(新しくマイカテゴリーを作るときは、すぐ後ろの欄にカテゴリ

ー名を記入し、追加ボタンをクリックする)

 

 記事本文を書き込む。

 写真をアップロードするときは、本文中の写真を貼りつけたい位置にポインターを合わせて、

カーソルの点滅を出す。

 写真は、下の「ファイル」という項目から参照で、自分の使用したい写真を選択し、ファイル

を開き、アップロードボタンをクリックする。(アップロード中は、他の操作をしてはならない)

 

 カーソルを合わせた位置のまま、ファイル項目で表示されている自分が貼りつけたい写真をポ

インターを写真の真上に持ってきてワンクリックする。

 

 写真の表示には、原寸大表示とサムネイル表示がある。

 

 サムネイル表示で別ウィンドウで原寸大表示にクリックを入れた状態で写真をアップロードす

る。(推奨)

 写真のすぐ横に本文を流れ込ませる場合は、「回り込み指定」をする。

 左回り込み(推奨)

 

 尚、最終的に記事をアップロードする段階で、回り込み指定が、自分の欲する方式になってい

るかを確認しておく必要がある。

 

 

・リッチテキスト・エディタの利用について

 

 リッチテキスト・エディタとは、記事本文を、完成状態を再現しながら、そのまま作成するこ

とが出来る機構のことである。

 

 従って、ほとんどの場面では、リッチテキスト・エディタをオンにしていた方が有利である。

 

 リッチテキスト・エディタの利用する、また外すことが必要になってくる場面とは、たとえば、

サイドバーで何かを表示したい場合に、記事の新規作成画面で下書きとして一旦リッチテキスト

・エディタをオンにしたまま作成し、完成したところで下書きに保存し、管理画面の設定タブか

ら基本設定に入り、リッチテキスト・エディタをオフに設定し、ふたたび、記事管理タブから今

つくったばかりのサイドバー用の文を、文字記号(ソースコード)として表示させ、全文をコピ

ーして、新規に作成しようとするサイドバーの「カスタムペイン」に貼りつける方法がある。

 

 

・ハイパーテキストアンカーリンクについて

 

 ハイパーテキストアンカーリンクとは、文字をクリックしただけで、自サイト内、あるいは他

サイトへ一発で跳ぶことの出来るリンクのことである。

 

 基本設定は、リッチテキスト・エディタをオンにしたままで使用する。

 

 まず、表示させたい文字を、新規作成画面の本文中に書き、場合によっては文字サイズを大き

くさせるなどをする。

 次に、リンクとして表示させたい文字部分をドラッグ選択し、太字にするか斜体にするか、ア

ンダーラインをつけるか、等の指示を入れる。(本文作成画面のすぐ上のところに、これらの指

定のボタンは有る。(B)が太字、(U+_)がアンダーライン、Iの斜め表示が斜体である)

 

 次に、ドラッグ状態はそのままで、右の方にある鎖型の記号をクリックする。

 リンクで跳ぶときに、画面がそのまま切りかわるか、新しいインターフェイスを読者に開かせ

るかを選択する。

 そして、リンク先のところに、自分がリンクで誘導したいリンク先URLを打ち込む。或いは

貼りつける。

 

 これらの作業をした後、記事を公開すればハイパーテキストアンカーリンクは機能する。

 あるいは、前述のように、一旦記事を下書き状態で保存し、基本設定でリッチテキスト・エデ

ィタをオフにした後に、もう一度当該記事画面に戻ってソースコードをコピーしてきて、サイド

バーでカスタムペインをレイアウトの中に組み込み、そのカスタムペインに当該のソースコード

を貼りつけ、タイトルをつけ保存し、レイアウトそのものをさらに保存すれば、サイドバーにハイパーテ

キストアンカーリンクをつくることが出来る。


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