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直し。僕の場合。(小説の推敲&校正) [近況…]

   小説の推敲&校正

 

 僕の場合は、小説を書くとき、いきなり『一太郎』の画面に向かって打ち込んでいけな

いんですよね。

 真っ白な画面(僕の場合は、設定を変えているので、真っ黒ですが)に向かって、創作

しようとすると、何も出てこないんです。

 それで、まず最初に、胡座をかいて文机に向かって、A4の普通紙を置いて、そこに万

年筆で殴り書き状態で原稿を起こすのです。

 

 それを、翌日の昼間に一太郎で活字に起こすのですね。

 で、その日は、その原稿のつづきに殴り書きを書いていきます。

 

 最終的に全編が出来上がると、一旦、赤ペンで校正を入れて、その部分をデータとして

直して、全体を一括印刷します。

 この、全編が印刷されるときのプリンターのフィードの音が、最高のご褒美です。

 

 それから、何日か、原稿を寝かせておいて、ふたたび読み返しながら、加筆・修正・推

敲・校正をするんです。

 赤ペンでね。

 で、赤ペンで書き込んだ原稿の直し部分をデータに打ち込みます。

 

 それから、もう一回、全編印刷ですね。

 それから、その原稿を見ながら、もう一度、修正をかけるのです。ミスがないかとかね。

 

 しかし、今回の作品に限っては、全編が印刷できたものを、冒頭から手書き原稿に写し

ていきながら直しています。

 原稿用紙に、ですが、ずっとコクヨのB4のを使っていたんですが、これが、値段が馬鹿に

ならないので、今回は、A4のダウンロードで提供されているものを使っています。

 かなり、文字枠が小さいですね。

 その原稿用紙に、冒頭から手書きで書き写しながら直していっているのですが、

 

 これが、大変にしんどいですね。

 二日で十枚がやっとです。

 

 何で、こんなじゃまくさい方法をとるのかと言えば、文体にこだわろうとしているから

なんです。

 

 しかし、無理がきかなくなりました。

 徹夜してそのまま次の日、起きていることができなくなりました。


 やっぱり、加齢でしょうね。


足うった、いた。。。(恋愛こいし) [ラフに語る、つれづれ記]

 晩酌も終わりになって、ご飯を食べにいくために、家のなかを移動していて、右足の中指を強打したのである。

 どこに打ち付けたのかが、思い出せないことが自身に対して腹立たしい。

 いつまでも痛いので困っている。

 こういうときは、異性に患部をなでてほしい。

 

「山雨、ここか」

「ここ痛いか」

「これで、気持ちいいか」

「山雨、ついでに私とニャンニャンするか。私したい。あなた、どうよ」

 って、それは中国人か。

 そこまでは別として、撫でてもらいたいものである。

 

 今夜も、さらに書き直しです。

 徹夜明けにお会いしましょう。


賛美歌、意外に登用されている流行歌の旋律。(追記あり) [ラフに語る、つれづれ記]

 普段歌っている賛美歌が、実は、あのアーチストの楽曲からの登用の曲である、ということもめずらしくないのです。

 近い実体験としては、バプテスト教会で歌われている賛美歌が、カーペンターズの楽曲から作曲されたものであることに気づきました。

 教会の信者の人にこのことを言うと、賛美歌から一般の曲への登用のほうが多くないですか、と訊かれるのですが、もちろん、賛美歌には200年以上の歴史があるので、その場合もあるのですが、一般の曲が賛美歌として、その旋律をつかわれる場合も多々あります。

 和音がふさわしくて、尚かつ、旋律の音の動きに賛美歌的な要素があるのでしょうね。

 盗作にならないように、登用するのですから、どちらからどちらへの場合へも難しいことですね。

 いやはや、こういうふうに、優れた楽曲というのは、引用されるのですね。

 追記です。

 替え歌状態で、クラシックの旋律に歌詞をつけてご自身の曲として歌われるパターンもあります。

 賛美歌の場合も、賛美歌からアーチストの曲へ、も、アーチストから賛美歌へも、この、旋律だけが、そっくりそのまま登用される場合があります。

 その場合は、作り手の著作権が活きている場合は、作曲者に許諾を得るか、著作権料を払って使用させてもうらうのでしょう。

 替え歌が商品化した場合には、作詞料だけが、その作者のところに入ることになるのでしょう。

 詳しい正確なことは、専門家にお聞きくださいね。


梅雨明け! [ラフに語る、つれづれ記]

 一時的に集中豪雨が日本全国で認められたのですが、

やはり、この雨があってこそ、セミが土中から出てこられるのでしょう。

 集中豪雨のあった日のあとの日には、こちらでも、今までにも増してセミが鳴きました。

 天気図で、太平洋低気圧を太平洋高気圧が上へ押しのけたから、梅雨あけです、と宣言しますが、全体の降雨量で、僕の考えで梅雨あけを考えるとき、やはり、梅雨の最終的な時期には、強い雨が降らないと、駄目です。

 その強い雨によって、土質を柔らかくされたセミが、成虫となるために木々によじ登るのでしょう。

 そういう意味では、やっと梅雨明けしましたね。


赤い服 [真夜中のつれづれ記…]

 大阪府御堂筋に設置されたブロンズ像に、赤い布が巻き付けられていたそうな。

 ニュースでは、こういう表現になっていますが、赤い布、といっても、完全に服ですね。

 それも、ブロンズ像の大きさ、嵩をはかってからでないと合わないと思われるぴったりと合ったサイズの服です。

 今回の事件の場合、犯罪に価することは何もないわけです。

 ブロンズ像が傷つけられているわけではありませんから。

 こういうことをやってほしいですね。

 サプライズで物事を起こす場合にも。

 縫製が大変だったろうと思います。

 無限実行で隠れたことをする場合、今回のようなことが歓迎されるべき事態です。

 しかし、まさか、日本が共和制になってほしいという主張ではないでしょうね。

 それは、考えすぎか。


コメント受け付け、再開!(ソネットブログ) [近況…]

 エクスプローラーをブログに喩えた場合に、階層の浅い位置の記事に関して、以前のように、Guestの方からも、コメントを受け付けることにしました。

 コメントは、私が承認したものだけが反映されますので、ご了承ください。

 また、コメントの反映までに、多少お時間がかかってしまう場合もありますので、重ねてご了承くださいますようにお願いいたします。


コミュニケーション力のない、所作・言動が伝染する。 [ラフに語る、つれづれ記]

 今日、銀行に寄ったんですよね。

 出金するために。

 駐車場が地下一階ですから、そこから銀行のある地上一階へ昇ろうとしていたわけです。

 エレベータが来たので乗りました。

 地上二階のホテルの従業員の方とその取引先の方が乗られていたので、地下二階の駐車場に行く状態になっていましたが、ホテルの方は、取引先の方と綿密なお話があられたようで、地下一階の僕の乗った階で一旦降りられました。

 エレベータに乗って、すぐに扉閉じる、のボタンを押したんですが、外を見ると、同じフロアから乗ろうとしている小父さんがおられたのに気づいたんです。

 エレベータは、ホテルの従業員が一旦地下二階に指令を出されているので、一旦は地下二階に降りました。

 その後、銀行へ上がろうとする、最前の小父さんを拾うために、地下一階にもう一度止まったのです。

 そこで、

「済みません。気がつきませんで、扉を閉めてしまって」

 と、僕は、小父さんに言ったのですが、

小父さん、完全に無視です。

 相手との距離五十センチのところで、そう言っているのに、まるで何も見えていないかのような無視でした。(ここで重要なのは、お互いに一旦視線を合わせているのに無視した、という事実です)

 他人から、エクスキューズの言葉をかけられて、それに応じるのもじゃまくさいのか。

 こういう今回の僕のような経験を多くしていると、自分も、他人にエクスキューズの言葉をかけられたとき、無視するようになります。

 どんどん他人とは一切話さない社会になります。

 話すのは、自分の孫か子か嫁だけ。

 あとは、お客さんとして行った店に苦情を言うときだけに口を開く、ということになります。

 他人に話しかけられるのがじゃまくさいと思うなら、家から一歩も出るな。

 口は、何のためについているねん。

 こういう大人は、大人とは言えない。

 ちょっとおこりすぎました。読者におこっているのではありませんよ。どうかご容赦くださいね。


短編小説『篠沢有希子さまへ』 [自作原稿抜粋]

前略

突然の手紙をお赦しください。

貴女に隠していたことがあります。

それを、お話しして良いものなのか、私は大分悩みました。

また、それをお話しすることによって、或いは貴女が私の許から去ってゆくのではないか

と思い、私は逡巡を繰りかえしました。

 

貴女のような器量のよい方が、私に好意をもってくださって、私はどんなに心の底から喜

んだか知れません。

とりあえず、大事な告白をする前に、私の人生について少し語らせて下さい。

 

私は貴女もご存知のように、中江市に生まれました。

幼少の頃は学業の出来もよく、地域では神童と呼ばれておりました。

中学に行きましても、相変わらず勉学が出来、末は教授か弁護士になろうと自身でも考え

ておりました。

 

家はあまり裕福ではなかったのですが、父が、持っている田畑を売って私の進学費用を用

立ててくれました。

 

しかし折角かよった大学でしたが、或ることがあって中退せざるを得ませんでした。

大学生活で、リツさんという恋人もできて順風満帆でしたのに……。

 

学舎は神奈川にありました。

今でも湘南の海を観ますと、あの穏やかだった時代を思いかえします。

 

二十四歳になって個人商店のようなことを始めました。

 

私が扱っていたのは酒です。

学生時代の友人に九州の造り酒屋の子がいて、それと連絡をとりあって九州から東京のカ

フェまで闇酒をトラックで運んでは大きな利益を得ていました。

 

もう、お気づきになったでしょうか。

 

そうです。私は戦前から生きているのです。

 

戦争直後は友人の造り酒屋でもマトモな酒がつくれないという情況でした。

原料となる米が不足していたのですから。

ですから智恵をはたらかせて米軍から仕入れたメチルなどを大量に混ぜてつくりました。

当時は、そんな物でも皆のんだのです。

 

私は陸軍に召集されまして、戦後、満州から命からがら身ひとつで本土に戻ってきました。

 

中江市は空襲の被害はありませんでしたが、家に残ったのは母と四つ下の妹だけです。

 

私には兄が居ましたが、南方戦線に出て行方知れずとなってしまいました。

父は戦中に発狂し、自宅の床の間で日本刀で頸を斬って死んだらしいです。

 

母や妹を食べさせる為には闇の仕事でもしなければならなかったのです。

 

私は、戦争によって人生を狂わされたとは考えておりません。

日本はアメリカに貿易を絶たれていました。

そして、あの時代は国の威信を武力で表す時代だったのです。

それは何も日本だけのことではありませんでした。

 

私は今でも昭和天皇を崇拝しております。

しかし、陛下も私より先にお亡くなりになってしまいました。

 

仕事で東京へ行った折、神奈川のリツさんのお宅へも足をのばしてみましたが、焼け野原

となり、誰に訊いても消息は分かりませんでした。

三つ編みの似合う、笑うと片方にだけえくぼの出来る可愛い娘でしたが。

 

あれから……、戦争が終わってからだけでも六十五年たちます。

 

そうです。

私は老けないのです。

 

今の私は八十九歳です。

母も妹も他界してしまいました。

私自身、一度、身を堅めましたが、その妻も去年亡くなりました。

 

私にもよく分からないのです。

 

どうして私だけが老けないのか。

 

私自身、自分を客観視してみても、やはり二十代後半か三十代前半のような面立ちです。

 

このことは、私を苦しめています。

だって、自分の同輩は皆、亡くなってしまったのですから。

 

身体の方は、健康診断でも三十代の血管の若さと医者に言われました。

勿論、性欲も充分にあります。

 

六十すぎから国民年金が支給されることになっていましたが、先々受給期間が長くなりす

ぎる可能性を考えると、国に申し訳なくて辞退しました。

今は、若いときからの経験を活かして、貴女もご存知のとおり古物商をしています。

 

私は大学教授には成れませんでしたが、学問は今でも好きです。

 

古物商という仕事柄、買いつけに行く以外は店番だけの割と融通の利く時間がありますの

で哲学書を読んだり、自ら小説を書いたりなどしています。

 

そうそう、貴女と行った『日信堂』というパンクロックのコンサート、あれは私には強烈

すぎましたが、ああいう新しい時代の音楽が生で聴けるのも、私が老けないからだと言え

ます。

そういう点では老けないということは、永く人生を満喫できてよいことなのですが、何よ

りも幼なじみや同輩に、なかなか再会できないというのは辛いことです。

 

それに、初対面の二周り以上歳が下というような相手に、いきなり横柄な口の利き方をさ

れるという辛さもございます。

 

もし、貴女と一緒になることになったら、車をもう一台買いますね。

あんな仕事用を兼ねたワゴンは、貴女とのドライブには似合いません。

 

ミッション式のオープンカーにしましょうか。

運転は大丈夫ですよ。

何しろ、運転歴七十年以上のベテランドライバーですから。

 

貴女をはじめて見たとき、リツさんがこの世に戻ってきたのかと思いました。

こんな言い方をすると貴女に失礼かも知れませんが、貴女はリツさんにそっくりです。

私の青春時代が戻ってきたようで、リツさんの生きうつしのような貴女の傍にいるだけで、

私の心臓は拍を狂わせます。

 

私は、貴女が好きです。

 

幸い、私には子はおりません。

しかし、心配なのは、先妻のときと同じように、いづれ貴女の方が私を追い越して老けて

ゆくという事なのです。

 

今は、貴女は二十四歳ですが、四十歳あたりから見た目ではあべこべになってしまうでし

ょう。

 

長い手紙になってしまいました。

 

もし、貴女がこのことを知った上でも私と所帯を持ちたいと願われるならば、喜んでお受

けします。

 

お返事はメールでも構いません。

私の店のホームページにメールフォームもありますので。

お待ちしております。

 

                  草々

 

我が愛する有希子さまへ、

 

 二〇一〇年八月十五日

 

               室井清造

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