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『せいめいのはなし』読了(追記あり) [最近、読んだ本]

 福岡伸一さんの、『せいめいのはなし』を読みました。

せいめいのはなし

せいめいのはなし

  • 作者: 福岡 伸一
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/04/27
  • メディア: 単行本

 例によって、感想は追記をお待ちください。

 

   追記・感想

 

 生物学者で大学教授の福岡伸一さんが、思想家の内田樹(うちだ たつる)さん、作家

の川上弘美さん、同じく作家の朝吹真理子さん、解剖学者の養老孟司さんらと対談し、そ

れぞれの対談を列記する形で本にまとめたのが本書である。

 

 まずは、全編を読んだ感想を、ざっくりと述べようと思う。

 誰と対談しても、共通して出てきた福岡さんの考え方は、「生命は(人間は)、新陳代

謝で絶えず生まれ変わっていて、生命のどのパーツでも、永遠に同じものはなく、常に新

しい分子に置き換わっている」のだ、ということ。

 もう一つは、物事には、原因と結果があるが、必ずしも原因があったから、その結果が

導き出されたわけではなく、ユングの共時性やシンクロニシティーに照らし合わせて、結

果が原因をつくっているとも言え、原因が原因とも言えない、という論理だった。

 後者の理論は、現実派には素直に受けとりにくい理論ではある。

 オッと、感想であった。

 生命の構造というのは、枠組みありき、ではなく、押しくらまんじゅうなのだなぁ、と

思った。

 ユングの共時性の概念が、絵空事ではなく、真実と言えるのかも知れない、と思った。

 ユングを熟読すべきである、と思った。

 

 これから、全編をとくに分けずに紹介し、ときには誰との対談での言葉であったかを取

り上げる方法で紹介しようと思う。

 「生命は機械なんかじゃないよ。生命は流れだよ」と言ったルドルフ・シェーンハイマ

ー。ネズミを使った実験で、食べ物として摂取した原子は、一部は燃やされるがあとは体

内のいたるところに散らばるということを発見した。

 貝殻で出来た装飾品をやりとりする「クラ貿易」。実用的価値もなく、貨幣の代わりで

もない貝殻で出来た装飾品をやりとりする。

 人間の身体の構成物は常に入れ替わりながらも、元の形を保っている。このことを「動

的平衡」という。

 全世界の富は増えているのに、人類が享受できていない。富が一部分に集中しているか

ら。

 細胞がどうやって将来を決めているか。パスをし合っている。空気を読み合っている。

前後左右の細胞が何の器官になろうとしているかを読み取って、自身が成ろうとする器官

を決めている。

 分子生物学者が顕微鏡の向こうに見ているのは科学者自身の自画像ではないか。このこ

とは、たとえば顕微鏡で細胞を見ても、区分けがあるわけではないので何が何なのかわか

らないし、現在科学で判明している以上のものが見えている。それを細胞の中には核があ

り、ミトコンドリアが、この位置にあり、と知識を与えられて、そのように見えるように

なるのである。そのことと意味が似ている。

 蔵書量は思想家のなかでは多くないが、博覧だけど論文ぜんぜん書かないというタイプ

の内田さん。知識や情報をためるだけためこんで、出力しない、というのが楽しい。【一

部本文引用】その逆に、1の情報入力を5にして出力する、福岡さん。

 「複雑系」という概念があるが、因果関係が複雑すぎて見えないけれども、そこには必

ず隠された因果関係がある、という概念だけれども、福岡さんは違うと仰有る。世の中の

事象には、もともと因果関係がない、ことが多い、原因が結果を生むのではなくて、結果

と原因はたえず逆転し、相補関係にあって、どちらが先でどちらが後か特定できない、と

仰有る。

 カウンセラーは、「人間関係で苦しむ人」が増えることによって仕事が成り立っている。

カウンセラーの無意識の領域に、「人間関係で苦しむ人がもっと増えたらいいな」という

欲望を感じて、診断や指導にバイアス(ねじれ)が起こっているのではないか。【内田氏

談要約】

 カウンセラーは、患者の毒(悩み事などの愚痴など)を受け入れなければならないが、

大量に受容すると、カウンセラー自体の体に悪い。カウンセラーは、受け入れて、そのま

ま出す、能力に長けているのではないか、とのこと。右の耳から入れて、左の耳から出す。

毒が流れるから、毒を吐く相談者も出しやすい。

 GP2を欠落させたマウスでGP2の働きを見る実験をしていた福岡さんだったが、無

菌室で実験していたので、GP2が活躍する場面がなかった、というお話。

 

 「人は死んでもいろんなものに生まれ変わる、ということも、科学的に説明できる。人

間の体は、それほど多くの物質からできていなくて、主に酸素と水素と炭素と窒素くらい

なんです。だから、人間が死んで体が分解されると、最終的には水と二酸化炭素と、あと

アンモニアなどとなり、それが地面や大気に染みこみ、また蒸発して雨水となる」【本文

引用】こういうことを、中学・高校の教諭だった時代に生徒に教えられた川上さん。後に、福岡

さんの『生物と無生物のあいだ』を読んで、驚かれる。先述の、分子が体のなかの構成物

質として移動する、という現実を知ったからである。

 野村萬斎さんのイベントで、人形浄瑠璃遣いの桐竹勘十郎さんに、文楽人形の動きを見

せてもらった、と語る福岡氏。どうして生きているように見えるか。そこに「動的平衡」

があるからだ、と納得された。パーツを動かす細い糸が互いに他のパーツの動きを律して

いる。たとえば、手だけを動かしても、体全体の傾きに微妙に作用するところなど。

 片付けが下手、と自らのことを仰有る川上氏。しかし、人間は混沌に耐えられない。だ

から汚さが極限に達すると片付けてしまう。これは、私も同じです。

 現実の世界は、混沌の状態なわけですから、それをそのまま再現して見せるのが小説家

の仕事だと認識された。今は、不自然に整理しないものも多少は書けるようになった。と

仰有る。

 前述のように、細胞は互いにとなりの細胞の動向をうかがって自身の変化の仕方を決め

ている。細胞を本体から切り離し、一個だけにしてシャーレなどに置くと、どう変化して

いいか決められずに死んでしまう。しかし、その状況になっても死なない細胞がある。そ

れが、ES細胞、または、ガン細胞である。【福岡氏談要約】

 時間を止めると、生命は機械仕掛けに見えてしまう。時間を止めると、故障箇所がよく

わかる。しかし、車の修理を動かしながら出来ないように、時間を止めることは出来ない

のだから、生命の個体の修理は、原則的に出来ない。この箇所を読んでいて、手術をする

ことは麻酔をかけて時間を止めていると言える、と思った。だから平生は、分子が交換さ

れていくに任せる。流れに任せるのだと仰有る。それが、よいことでもある、とされる。

【福岡氏談要約】

 棋士の羽生さんから、盤面を記憶する方法について聞いたことがある福岡さん。「9×

9の81マス目を4分割して、頭の中に描いています」と羽生氏は仰有った。実際の対局

時は、目の前の将棋盤はあまり見ておられず、五手先十手先の局面を思い浮かべながら駒

を動かすらしい。「棋士は盤面の記憶をスライド写真のように貯えているのではないか、

と考えられがちです。でも、人間の記憶は地層のように蓄積されているわけではなく、ど

ちらかといえば、水面に瞬間ごとに移り変わるものをぼうっと見ているようなもの。羽生

さんは人間の記憶のシステムにとても自覚的です。(後略)」【朝吹氏談】

 「生命にとって情報は「消える」ことに意味があるんです。すぐ忘れて消えることに意

味があって、いつまでも変わらず残っては「情報」にならないのです。」【福岡氏談】

 たとえば、10年前の記憶であるか、5年前の記憶であるか、を区別できるのは、手帳

の記録や事件との関わり、年表などによって参照できる地層があるから。記憶が不確かだ

と、自分の同一性や、来し方・行く末をクロノロジカルに考える上では、とても不安。記

憶を整理しようとすることは、生命が瞬間的な現象であることに対して、抗っているのだ、

と、福岡氏は仰有る。

 朝吹氏の芥川賞受賞作『きことわ』の、おそらく作中に出てくるのだろう『せいめいの

れきし』というバージニア・リー・バートンの絵本についても対談になる。

 デザイン的にもすごく優れ、青海波(せいがいは)みたいな絵がずっと続いている。ま

た、生命が現れる前から物語りが始まっており、語り手が天文学者、地質学者、古生物学

者とだんだん変わって、最後は自分の祖母と自分自身になるという工夫をしています。【本

文引用】

 朝吹氏は、小さい頃から、この世の理(ことわり)を知りたいという気持ちが強かった。

 自然のメカニズムもそうだが、どうして美しかったり(美しいものが何故美しいのか、

或いは、何故そう感じるのか)、寂しさや、何故同じ雨や雲の景色を見ても日々感情が変

動するのか、こういったことを抒情的な気持ちで知りたい。未知なものを理論的に知りた

いという欲求とともに、そういう欲求があった。このことが『きことわ』を書く動機にも

なっていたのではないだろうか。まだ私は読んでいないのだが。

 そういう欲求を、充たす、或いは納得させるのに、ものそれぞれに名前をつける、とい

う行為があるのではないか、と。

 実際には、時系列で名付けをするときに、その時間の流れは、どこかで区切れるもので

はない。よって、正確な名付けなど存在しないことになる。こういう意味のことを福岡氏

は仰有る。

 フェルメールとレーウェンフックは同時代に生きた。長沢芦雪(ながさわ・ろせつ)が

ものすごく大きな扇子に顕微鏡で見た蚕(かいこ)を細密に描いた「蚕図扇図」がある。

光を見事に再現するフェルメール。瞬間的にどこかにへ行ってしまうものを捉えて、紙な

どにとどめたい欲望が、時に芸術を生む。画家のフェルメールと科学者のレーウェンフッ

クに親密な親交があったという福岡氏の仮説に、朝吹女史も賛同する、と仰有り、大いに

対談は盛り上がったようである。

 将棋は、選び取れなかった可能性の方が選び取った可能性よりも圧倒的に多い。だから、

選び取れなかった可能性を考えることが大事。ゲームの本質も、最初に平面世界から構築

して積み上げ、何かが立体的になってゆくと同時に、お互いがどんどんぶち壊してゆくと

いうもの。昨日、今日、明日というリニア(直線的)に流れている時間と、可能世界の選

び取れなかった一手を考えている時間は異質。【朝吹氏談要約】吹き出しだが、難解で困

る。つまり、意識として物事の変遷を捉えるときに、結果からみて過去へ戻っていって軌

跡をみる直線的な捉え方もあるが、現在や未来を捉えるには、選択肢を潰していき、縦横

無尽に変化する渦のなかに自身を投影するしかない、という意味だろうか。

 健康診断を受けたくない福岡氏。

 その理由は、以前別の本で取り上げたが、物事の状態は変化していて、はっきりさせな

ければ、その変化は永遠に起こりつづける、という考え方だ。

 トランプでシャッフルされた裏面しか見えないカードの重なりの塊があるとする。この

状態でも、実は、まだシャッフルがトランプ自身の意志によって起こっており、それはま

た、手中にしている人の意志でも変化を起こせるもので、たとえば、一番上にスペードの

エースを持ってきたいと思えば、物理的にシャッフルしていなくてもすり替わりが起きて

いる、という考え方である。無論、トランプは最低限、傷がなく、裏面にまったくマーキ

ングがない全カードに見かけの差異がない状態であることが前提である。

 この理論から行けば、人間の病理も、たとえガンが進行していても、CTなどで結果を

はっきりさせ、つまり時間を止めてしまわなければ、快方への変化も起きるかも知れない、

という考え方が成り立つ。福岡氏は、こういう考え方なのである。

 やはり、ここでもユングの理論が出てきているなぁ、と思った。

 ユングの理論を現実離れしたものと一蹴するのではなく、読み込んでみるべきだと自戒

した。

 余談だが、俳優の近藤正臣氏がカードマジックが得意なのだが、ひょっとしたら近藤氏、

止まったトランプを意志の力でシャッフルできているのではないか、などとも思った。

 人間の中には、マップラバー(地図好き)とマップヘイター(地図嫌い)がある。方向

音痴かどうか、も判断の目安にはなるが、方向音痴でなくても、地図を持たずに旅先で次

に行く土地を自由に決めたい、というような人もマップヘイターなのだろう。

 生命は、マップヘイターであるらしい。

 十七世紀という同時期に、ガリレオは望遠鏡で天体を観察し、レーウェンフックは顕微

鏡でミクロな世界を観察した。マクロな宇宙にミクロな世界があり、逆もしかり。【福岡

氏談要約】

 この世界の成り立ちがどうなっているかを知ろうとする時、結局は「これは美しいなぁ」

という感覚、美醜の判断が私たちを支える根幹ではないかと。【福岡氏談引用】

 数学は完結した美を求めるもの。数学は自然ではなく、人間が頭の中に作り出している

マシンワールドでもある。世界(自然界)は、もってウエットでいびつなもの。【福岡氏

談要約】

 メカニズムにこそ真実の自然があると勘違いしてしまった。【朝吹氏談要約】

 メカニズムさえコントロールできれば、世界のすべてがコントロールできるという錯覚

の果てに今の文明の問題がある。【福岡氏談要約】

 生命の可変性についても旧来の教条的な思考からすこしずつ脱して、古い遺伝学の枠組

みの外側を考えようという動きが出始めている。硬いメカニズムの思考から、もっと柔ら

かい文学的な想像力が求められている。また、進化して、個体として成熟すればいいとい

うものでもない。人間もサルより成熟年齢が高い。子供時代が長くなった生物。いつまで

も遊びながら好奇心に満ちた探索行動を続けられるし、性的に成熟することが遅いせいで、

雌を巡る雄の争いとか、縄張り争いなどが起こるのが遅くなる。闘争せずにいられる時間

が長いほどさまざまなことが学べて、技術も習熟できる。つまりネオテニーこそがヒトを

ヒトたらしめたという考え方がある。【福岡氏談要約】

 人間が文化を育んできた歴史は、他者に対して自らを家畜化した歴史でもある。【福岡

氏】

 科学者でも芸術家でも、ものすごく面白いことをしている人って、みんなウーパールー

パー的。(ウーパールーパーが成熟が遅いという意味から)【朝吹氏談】

 建築でも生命的がものが求められているが、伊勢神宮を生命的とは言わない。伊勢神宮

が20年ごとに改修されているが、構造ごと取り替えられている動きでしかない。生命的

である、とは、細胞のような小さな単位で順次、新陳代謝が行われていることを指すから

である。【福岡氏談要約】

 

 電子顕微鏡を自宅に設置している養老孟司氏。

 あまり、大きすぎる倍率は要らない、とのこと。昆虫の種の分類をするには、あまり拡

大しすぎると細胞レベルになるから、わからなくなってしまう、とのこと。

 虫の分布はの境界は、地上図の境界と一致しない場合が多い。この意味は、おそらく現

代の分布に於いても、地層で見る過去の分布に於いても、ということだろう。一つ言える

ことは、陸と陸が離れていても、そこに同じ種類の虫がいる場合がある、といったことで、

虫の分布から過去の世界の土地の状態を知ることもできる。

 擬態が話題に上る。

 一部の擬態は、たまたま似ているのではない。似すぎている擬態もあるからである。

 また、人間が似ていると思う擬態でも、鳥から見ると、識別できる色が4原色なので、

似ていない場合もある。鳥が捕食者である生物の擬態なのに、なぜ鳥から見て似ていない

のだろうか、と。

 ゴミムシがアリに擬態して、アリの巣のなかに共生していた。養老氏がその巣を壊すと

ゴミムシが兵隊アリに食いつかれていた。おそらく昆虫は関節のギザギザの歯車のような

ものを使ってコミュニケーションをとっている。擬態もしていない状態でアリの巣にいた

ゴミムシは、そのコミュニケーションで、アリに仲間であると安心させていたのだろう。

養老氏が巣を崩したことで、緊急事態となり、ゴミムシはゴミムシ本来の動きをしてしま

ったから、アリにばれたのだろう、と養老氏は仰有る。

 ダーウィニズム的原理が隅々まで行き渡っていたら、こんなに多様性に地球が満ちあふ

れているわけがない。【福岡氏】

 自然選択するなら、なんで人間だけにならないのかと思うよね。【養老氏】

 学校が、情報化したものを扱う場所になっている。情報処理作業ばかりをさせている。

昔の学校は、作文を書かせて情報化作業を教えていた。と、養老氏は危惧されている。

 この辺りのことは、私が普段から気にかけている、「その仕事はクリエイティブなのか」

ということと同義のことだと思う。

 情報化とは、作品なり物なり情報なりを作ることで、情報処理とは、それを仕分け選別

することである。他の本にも書かれていた論旨だが、物事を知っていることと、雑多な知

識がある、ということは違う。たしか、養老孟司氏の『バカの壁』だったと思う。

 知人などと話しをしても、文学のカテゴライズに関しての知識はやたらある人がある。

**という作家は、**世代と呼ばれていて~などという蘊蓄が延々とつづく場合もある。

タイトルとあらすじだけを知っても、読んだことにはならない。たとえば、いくら楽器の

構造から制作の歴史などからを熟知していても、実際楽器を手にとって演奏してみたこと

があるかないかは、歴然たる差である。要は、身についた知識と言えるかだと思う。

 先述の話に重なる部分が出てくる。

 生物学では、発見された細胞の部位に名前がついていて、その形が解説されているから、

そう思って顕微鏡を見るときに、同じものを発見する。しかし、まだまだ名付けられてい

ない細胞の部分がある。そこを映して、「ここに何が見えますか」と周りの人に聞いた団

まりなさんの教え方に感銘を受け共感された、と仰有る養老氏。

 J・M・ダイヤモンドの鳥(おそらくは著作の名前だと思うのだが、知識不足のため、

読者はご確認いただきたい)の話を出されて、人間の認識の感覚が誰でも一致して普遍的

なものであるのだろう、と養老氏は仰有る。ニューギニアの極楽鳥に現地人が名前をつけ

ているが、名前ではないが、その分類の仕方が後世の分類学者とまったく同じだった、と

いうことがあったらしい。

 事実と認識は、相互に補完する関係であるべきだろう、と養老氏は、意味としてこうい

うことを仰有る。

 形態というのは、止まって見えるが、実は止まっていない。【「動的平衡」の考え方か

ら両者の意見が一致】

 皮膚組織は、もの凄い速度で下から上にあがって、上にあった皮膚組織は落ちていきま

す。(前後逆順)しばしば私たちが見ているものは、「時間よ、止まれ」と光線銃で時間

を止めたもの。動いているものを止めてから見ると、そこには秩序があるように見える。

【福岡氏】

 情報自身が止まっていることをほとんどの人が意識していない。情報は新しい物でどん

どん生まれてくるものだと思っている。(中略)生まれたら最後、止まって動かないもの

になるはず。だって、止まって動いていないからニュースで「こうでした」といえるわけ

で、そこを忘れると話が違ってしまう。【養老氏談要約】

 ここを読んで、知人から漏れ聞いた、昔、甲斐よしひろ氏(ミュージシャン)がテレビ

中継で、観客に時刻を聞いて、「*時**分から、おれの気持ちを伝える」と言って曲を

始めようとしたら、その観客が、「すみません。今、**分になりました」と言って、甲

斐氏が怒って、「うるさいよ。そういうことはいいんだよ」と言われた、というエピソー

ドがあったのを思い出した。まさに、情報は止まっている状態を切り取ってしか発信でき

ないとは、このことだと思う。

 この話から対話は敷衍して、プラトンとアリストテレスが対立するわけである。と帰結

する。

 動いている時代、止まっている時代。同順で、身体の時代、脳の時代。鎖国の江戸時代

は、脳の時代で、情報化社会。【養老氏談要約】

 秩序は、脳と身体のせめぎあいと同じで、「動的平衡」のようなかたちでいつのまにか

成立するものなのに、現代では、静的でスタティックなものになってしまっている。しか

し、秩序のあり方というものは、必然的にそうなるのではないか。意識はそれをさらに外

部に押しつけようとする。やたらと法律をつくる。【両氏談要約】

 人間は、「時間」というものも外部に押しつけているのではないか。効率化をかなり言

う時代だが、そんなに毎日が効率的なわけがない。あがったりさがったりでちょぼちょぼ

になるのが現実だろう。【福岡氏談要約】

 分子の「流れ」があり、身体は一時として同じ状態ではない。分子は身体を「通り抜け

ていく」。「記憶」ですら、「流動的」で「作り替えられる」もの。或る人との関係で決定

的な嫌なことがあって決裂すれば、その人との以前の記憶も、悪い印象だけが再現されて

くる。ということがある。

 どうして脳が秩序を保ちたがるのかが分からない。と養老氏は言う。脳が秩序を保とう

とするから「記憶」が維持できているのであるが。

 歴史が文字によって書かれる時代になると、ピラミッドや万里の長城などの建設は止む。

 カエルの視覚領では、動くものにしか反応がない。生物が暗闇に棲むようになると、目

は退化するのは、暗闇のなかで動くものを、目は必死に探そうとするので、目が疲労する

から。と、養老氏は自説を提示する。

 生物の手が、なぜ分節になっているのかがわからない。【養老氏】

 右利きや左利きがあって、両利きでも、箸を持つときは右利きで鉛筆は左などと決まっ

ている。それは、決めておかないと行動ができないからである。【養老氏談要約】

 なるほど、『バカの壁』のときに書かれていた左右の脳の連絡系を遮断した患者、の話

と同じですね、と、思わず突っ込みを入れたくなった。

 ランダムであることへの疑いから、議論は、確率を確定するのに「時間軸」による時間

の固定が必要であるから理論的に成り立たないのではないか、という論旨になり、ああ、

ややこしい。

 そもそもが効率をよくするためにエネルギーを使っていて、時間が増えているかどうか

も怪しい気がします。【福岡氏】なるほど、「効率化して余暇が増えて、余暇を満喫するた

めには電力が要る」。電力会社が電気を創るということは、時間的に拘束されて働かなけ

ればならない人も居るわけで、「効率化すると自分の時間が増えますよ」というような本の

意見がおかしい、と福岡氏は言っているわけです。

 効率的に生きるなら、早くお墓に入ればいいのに。(笑)【養老氏】身も蓋もないが、

その通りだと言えます。(笑)

 フォークダンスを踊りながら椅子とりゲームをしているのを傍から見ている状態が「動

的平衡」。意識が脳のなかを瞬時に伝わるのは、椅子とりゲームの一脚の椅子から、たと

えばそれまでのゲームの定員を超える変化(一人急に加わるなど)したときに、はじかれ

た人が隣の椅子とりゲームに急に参加し、そこでもはじかれた人が出る。そのような変化

の伝播が一瞬で起こるからだろう、というような意味のことを福岡氏が仰有っていた。

 まさに、これだと説明に合点がいくと思った。

 脳のなかでは、普段の大半は、非平衡状態で、ある一瞬だけ平衡状態が起こる。だから、

優れた絵画や小説を見たり読んだりしたときに、デジャ・ヴが起こるのだ、と。【両氏の

帰結】誰もが、普段の非平衡状態のときには、自覚せずにその絵画などの印象を見ている、

というわけである。

 言葉と現実が、相互に補完するべき。【養老氏談要約】

 たしかに、言葉だけが一人歩きしたり、言葉のイメージに引っぱられている状態、が現

代では起こっていると思う。

 「ある」「ない」。「生きている」「死んでいる」。という言葉は、それぞれ反対語ではな

く補完語である。それを反対語の面だけを強く取りだす世の中になってきた。【養老氏談

要約】

 解剖学というのは、要するに、死体を分けて名前にしてるだけである、と思った。【養

老氏談要約】

 言葉が重くなった例として、インターネットで悪口を言われたから死を選ぶ、というよ

うなケース。「口で言われたことなんて何も関係ないよ、実際とは」という前提がないか

ら、言葉で死んでしまう。言葉が軽くなった例として、約束だってきちんと守らなくなっ

た、と。【養老氏談要約】

 ネットで悪口が発展するのは、みんな溜まっているから。他で発散できないから。合理

化しすぎるから、半端な仕事がない。人が要らなくなったから、失業者が増えた。みんな

溜まっている。白黒つけたがるのが現代の「経営」。単調な社会がつくられた。天気も変

わらなきゃ、気温も変わらない、風も吹かないところに一日中いて、インターネットを見

ていたらおかしくもなります。そういう生活環境の変化から来る身体の変化は、身体のこ

とだから原因に気づきにくい。「具合が悪い」「腹が立つ」などの結果だけが出てくる。

そういう状態を解消する場所も昔はあったが、現代では、そういう隙間もない。疲れた人

は田んぼに放りだしゃいい。【養老氏談要約】

 ラオスへ行っても、ブータンへ行ってもホッとする。人が少ないから、一人一人の価値

が高いから、と。【養老氏談要約】

 遺伝率をとりあげ、その人の本性のように扱う文学作品。たとえば、大岡昇平が「餓鬼

みたいに食べる兵隊」のことを悪く書いているが、養老氏の見解によれば、その兵隊は寄

生虫を持っていたのではないか、ということ。さらに話は敷衍するが、本編に譲る。

 

 「動的平衡」を地球環境として考えた場合、理想的なのが、「新宿ゴールデン街」だと

福岡氏は著述する。

 相補的な相互作用が成り立っているから。既存の店の集まりのなかに、新入りの店が開

店する。既存の店は新入りの店を受容し、寛容な態度で見る。

 学校でも、毎年新入生が入ってきて、毎年卒業生が旅立っていくが、全体の平衡は保た

れている。

 完全に幾何学的で工学的な発想とは、動的平衡は相いれない。

 

 以上で、全編の紹介と感想を終わろうと思う。

 以前読んだ「脳」のことを説明した本で、「脳とは、建て増しを何度もつづけてきた家

のようなものである」と記してあったのを思いだす。

 生命の実情に於いては、数学的な組成はありえない。

 生き物は、顔だけを見ても左右対称ではないからだ。

 細胞の話にしても、ES細胞とガン細胞以外は、横を気にしながら変化を繰りかえして

いる。人間社会も他人同士が影響し合って成立しているのだと思った。

 たとえ、不完全・不充分な人が居ても、前後左右の触れあいで人間は影響し合っている

し、不完全な人でも存在する意味があることが力説されているとも言える。

 この本を読んで、また考え方を柔軟にした。

 

・関連リンク   活かす読書 

          しんごパパの風に吹かれて 

 

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山雨 乃兎

>ビター・スイートさん
ナイスを有り難うございます。(^。^)
by 山雨 乃兎 (2012-10-03 01:37) 

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