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『さまよう』 [自作原稿抜粋]

   さまよう

 【注意! この作品は18歳以上の読者を対象としています。】

 

「一体どういう事ですか」

 三百キロぐらいは沖に来てしまった筈である。何せ丸二日間も艦に乗せられたのだから。

おれは担当の鈴木という男にそう問うしかなかった。

「これが最終のテストです。今から我々は帰りますから、この船に乗って自力で日本まで帰って

きて下さい」

「一寸待って下さいよ。こんな処からじゃ、僕には方角さえ分かりません」

 鈴木はタラップを戻りかけた。おれは鈴木の腕をつよく掴んだ。鈴木はおれを撥ねとばした。

背中の痛みに蹲っている間にタラップが水平にまで持ちあがった。掴むところのない艦にはもう

戻るのは無理だった。

「室井さん、ディーゼルエンジンです。連続駆動で丸三日です。燃欠になったら帆をつかって下

さい。食料は三十日分あります。コンパスは有りません。では、ご無事で。……言っときますけ

ど我々をすぐ追いかけるのは無理ですからね。二十四時間はエンジンがかからないようにセッテ

ィングしてありますから」

 艦が轟音とともに離れてゆく。

「酷いじゃないですか!?」

 離れてゆく艦に向けておれは叫ぶ。

「ウチの会社にはいりたいんでしょ!?」

「もう、それはどうでもいい!!」

「今頃遅いですよ!! 自分で何とかして下さい!! お達者でーー!!」

 大藪商事という会社だった。六年投稿だけの生活を送っていたおれは、遂に金に困り、駄目も

とで面接を受けた。宝石を扱う貿易の営業らしい。高卒で英検三級程度の四十すぎのおれが受か

る訳はないだろうと思っていたが、二次面接にも合格して採用枠の二人に残った。そのときの面

接官の一人、鈴木という男に呼ばれてもう一つだけテストがあるというので訳も分からずついて

行ったら艦に乗せられこの始末だ。もう一人の合格者、確か橘といったが、彼には何故このテス

トがなくておれにだけこのテストがあるのだろうか。

 八月の炎天下だ。ともかく暑い。仕方なくおれは船室にはいった。エンジンがかからないと言

っていたからひょっとしてクーラーも点けられないのかと思ったが、スイッチを押してみると稼

働した。宿痾の頭痛がひどい。とりあえず酒を飲もう。冷蔵庫には大量のビールがあった。揺れ

が酷い。当たり前だ。推進力を持っていないのだから波に翻弄される訳だ。ケイタイは預けさせ

られた。船内にはテレビもインターネットもないようだった。一寸酔いがまわってきた処で、気

をとりなおして外に出てみる。三百六十度水平線だ。

 コンパスもないなんて。おれはどうすればよいのだ。

「ええ加減にせえよーー! ダボ!」

 おれの声はまったく響かず、風に吸いとられるだけであった。ショルダーバッグも預けさせら

れてしまった。だから、持病の不眠症の為の睡眠薬も、財布にはいった一日分しかない。背広の

まま来てしまった。革靴で船か。何とも。

 おれはもう一度船内に戻った。書棚があり海外文学全集と日本文学全集があった。おれの文学

好きに配慮してくれたのだろう。こういう処は気が利く。あの鈴木という男は。エロビデオとか

エロDVDとかはなかった。当然だろう。テレビがないのだから。雑誌くらいはないのかと探し

てみたが、雑誌は一冊もなかった。漸く海外文学全集の二十巻と二十一巻の間に挟まっている雑

誌を見つけたが、中年のオバさん特集のヌード雑誌だった。それも一人だけの。樹木希林に似た

オバさんである。

「畜生!」

 鈴木はおれが年増好みなことまで知っているのか。

 それはそうと、新聞もないのではすぐに今日が何日かも忘れてしまいそうだ。今日は二〇一〇

年の八月六日、金曜日である。奇しくも広島に原爆が落ちた日である。おれは何度も今日の日付

を頭のなかで復唱した。というのも、おれのセイコー・スキューバは日付機能のカムが毀れてい

て正確な日付が出せないからである。

 ウィスキーの水割りを飲みながらヘミングウェイの『老人と海』を読んだ。しかし、二十分ほ

どでやめた。揺れるからしんどい。それよりも、クーラーを使っていてイザとなったらバッテリ

ー切れで始動できないなんてことにはならないだろうかという不安が頭を擡げてきたので、おれ

は船内を探索してまわった。後部エンジン室で発電用のエンジンがあることが分かった。それは

動いているらしかった。そんなエンジン音にも気付いていなかったのは矢張り最初の動揺が大き

かったからだろう。ともかく、こんなに揺れては身体が保たない。そこで帆を張った。方角も判

らず帆を張ったら、とんでもない処へ位置がずれてしまうことになるかも知れないが、船酔いよ

りは益しだ。電動だったので帆を張るのは楽だった。もう一度船室に戻って酒を飲みながら『カ

ラマーゾフの兄弟』を読んだ。『老人と海』はやめた。剰りにも現実的すぎる。

 外に出て船べりを見ると大きな黒い塊がいくつも併走しているのに気づいた。塊の一つが跳び

あがった。

 鮫だった。

 深層意識が顕在化する。シンクロニシティーか。甲板が高く金属製の船なので襲われることは

ないだろう。但し、燃料も食糧もなくなってしまうと危ない。

 樹木希林に似ているオバさんの裸を見て手淫した。こうでもしているしかなかったのだ。

コンパスなしで太平洋のど真ん中というのを、出来るだけ考えたくない。エンジンが動かない以

上、今は何も出来ない。仕方なく一旦眠ることにして薬を飲んだ。寝つきがけにサンドイッチを

食べた。

 覚醒して時計を見ると一時四十分だった。思いのほか永く眠ってしまった。外に出ると月が出

ていた。

 何と大きいのだろう。海面は月光とは別に光っていた。そういえば光る魚の話しは聞いたこと

がある。船の舳先と艫にライトが点いている。光る魚群が去った後は、イルカたちが来て進路と

同じ向きに何度も跳んだ。

 船室に戻って調理をしようと冷蔵庫を開けたりフライパンを出したりしていると書棚の下にケ

ースが有るのに気づいた。開けてみるとトランペットだった。ゴールド・ラッカー仕様のヤマハ

のカスタムだった。鈴木という男は気が利く。しかし、おれが学生時代にトロンボーンを吹いて

いた話しは面接ではしなかった筈だが。

『大洋の偉観』という曲のトロンボーンパートを海に向けて吹いた。何とも染み入る。夜中に月

に海。そしてトランペット。『大都会のテーマ』も吹いた。高い音は少し掠れた。色々なことが

走馬灯のように思い出された。

 死んでしまった友。死んでしまった妻。

 ひとしきり頬を濡らしてから船室に戻った。炒飯をつくって食べてから甲板で朝日を見た。

 操縦室にはいった。時刻は二時五十分。昨日鈴木という男がおれを船に置きざりにしたのが確

か三時の筈だ。

 円盤の舵がついていて、その前にスロットルレバーがあり、他にボタンが三つある。それだけ

だ。他には何もない。ただ、パネルの右下に今は赤いランプが点いている。これが未だ解除され

ていない事を示しているのだろう。三時を一秒まわった処でランプが消えた。

緑のボタンを押した。轟音と振動が船全体に起こった。スロットルを開けかけて徐々にスピード

を上げたが、何だか船体が異様に振り子のように揺れる。そうだった。帆を張ったままなのだ。

一度エンジンを停めて甲板に出て帆を格納した。

 二日晴れたので晴れた日だけエンジンで動いた。夜は帆を中途半端に張ってとりあえず船体の

揺れだけを抑えた。三日目は曇っていたので帆を張り、一日無為にすごした。四日目の正午すぎ

に、ついに陸が見えた。湾にはいると、横断幕が見えた。

 ーーー室井さん! 合格です。

 社員と思しき男たちが船を埠頭にゆわえた。

「実は、貴方の動きは監視していたのです。船底につけたGPSで」

 鈴木という男がそう言った。

「そうでしたか」

 おれはよれよれのスーツで屈託なく笑った。

「どうやって帰ってこれたのです?」

「フフン」

 おれは、一度笑ってからつづけた。

「幸い、これが、ベゼル付きだったもんで」

 おれはそう言って左手を胸の前に掲げて見せた。

 太陽の方角に短針を合わせて十二時の位置との中間にベゼルのマークを合わせる。その方角が

真南だ。太平洋のど真ん中、連れてこられたとき進んだ方角も分からない。しかし、艦で二日で

行ける処で、要は太平洋だということだった。太平洋なら日本は北か西か北西に在る。日本でな

くてもよいなら真西に動きつづければ必ず陸にぶち当たる。おれは山を張って北西に動きつづけ

た。そして運よく東京湾にまで帰ってこれたという訳だ。

「流石ですね。我が社での仕事、期待してますよ」

 おれは頭を掻いた。

「ところで室井さん。もう一回だけテスト、今度はその時計なしで」

「ええ?」

「冗談ですよ」

 おれは笑って鈴木という男の肩をたたいた。

 

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