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現代ストレス解消術ーーー山雨乃兎編 [自作原稿抜粋]


 現代ストレス解消法(術)ーーー僕の場合。
 山雨乃兎篇

 凄惨な事件ばかりが起こる今日この頃、ストレスをどう解消するか、或いは、折り合いをつけてゆくのかが、重要な事柄だ。
 そこで、僕なりに、僕の場合は、こういう時どうする、というやり方を例として挙げてみたいと思う。
 最初に断っておかなくてはならないのは、この本に挙げた解決法が万人に向いているとは言えない点だ。文中で~しよう、と僕は書いているけれど、その通りにやってマズい事になることだって有るかも知れない、と思って、読者の皆さんには最終的には自分で決めて行動してもらいたいと記しておきます。

   序

 ストレスで困るという現実に対して、どこにその原因が有るのかという悪者を決めてしまうのは、はなはだ難問であるし、又、その問い自体が愚問であると一部の人たちは言うだろう。
 まず、原因には、直因と誘因が有るだろうし、併行して並ぶ程、原因一つひとつが拮抗した威力を持っていて、直因と誘因という風には言えない場合もある。
 そして、何より僕たちは、地球という惑星の中の人間社会や自然環境の中で生きているのであって、けだし、現代社会でなければ、愛する人と二人だけで植物の実の採取とせいぜい魚類だけを獲って食べて生活しているのであれば、害虫や野獣の襲撃だけがストレス源であって、こんなに複雑な原因の絡まり合うストレスに悩まされる事もないのである。
 そう考えてみると、産業革命以後の文明社会や集団生活をするようになった原初の文明社会自体がそもそも悪ではないのかとさえ思えてしまう。
 とは云え、土地所有を言い出した者によって徐徐につくられた物を所有する社会、ひいては、貧富の差を生んだ資本至上主義だからこそ、『持つ者』は、冷暖房完備の清潔な大豪邸に住み、仕事らしからぬ虚業で生計を建て、妾をはべらせ美酒を飲み、遊興に没頭する事ができるのである。それは、確かに”快い”という感覚であり、『持つ者』は、生命の続く限りその”快い”という感覚を堪能する事ができるのだ。
 実業であれ、虚業であれ、何らかの仕事をしなければならないのが人間の、否、貨幣社会の中の人間の性である。
 ところで、健康上の理由で働けない人には、国が少しばかり援助してくれている現実もある。
 仕事をする上でのストレスは、仕事だから(収入の為だから)と、少しは割り切って考える事もできる。
 現代人が最も困っているのは、おそらく仕事以外のストレスだろう。
 そこで私は、拙筆ながら、社会の中での様々なストレスに対して、私ならこうする、という例を提示したいと思う。
 仕事、それ以外も含め、私なりに思う対処法を書き出してみた。
 読者によっては、もうそんな事ならやっている、と一蹴してしまう様な内容も有るかも知れない。
 私としては、項目分けをした一項でも読者の為になってくれるなら、これに優る幸いはない。
 どの頁からでもつまみ読んで頂きたい。
 では、又、『あとがき』でお会いするとしよう。


 一、プライドというやつ
  ・能(自信)のない奴ほどひけらかす。

 自尊心と自負心とはどう違うのだろうか。
 勿論、そんな事は、辞書をひけばいいのである。
 正確な意味は、辞書に任せるとして、私は、自負心の方は、何らかの能力が自らに、ここまでは有るというのを客観的に知って、そんな自分を尊ぶ、或いは自信を持つ事だと思っている。
 それに対して自尊心は……。否、自負心と自尊心を対立する性質の言葉だと決めてかかるのが、まず可笑しいだろう。
 自尊心は、自分を尊ぶ心であって、それは、多少の差こそあれ万人が持っている。もし、自卑心というのだけが許されるべき倫理観なのだとしたら、すなわち、自己嫌悪、自分を下劣な人間だと、自分の全ての領域に亘って常に思い続けなければ倫理的でない、という事になって、その奨励に乗ってずっと、自分を下劣な者だと思い続ける事になったら、生きてゆけないだろう。
 厳密に考えれば、自尊心はナルシズムなのか、という問いも出てくる。
 ナルシズム、ここで使うのは自惚れの意味だが、それも誰でも持っているだろう。
 私の昔、通った教会に、「自負心は持っていいが、自尊心は持ってはいけない。自尊心はプライドだから」という牧師が居た。彼は、言葉に引っかかっているのである。
 ローマ神話で、私はこの世で一番強いと自惚れて(完璧に強いのだが)宣言したアポロが毒へびに踵を砕かれて天に挙げられるという話が有るが、それは、世界で一番になっても横柄な態度をとるな、というゼウスの戒めだったのか私には詳しくは分からない。が、そう思う事も自負心と呼べる程の力なり力量になっていれば、良い事ではないのかとも思える。
 キリスト者にとって、『私は神だ』と言い出すことは明かな罪である。それは大原則だ。
 まあ、これ以上、この問題を考えるとノイローゼになってしまうので、ーーー本気で考えたい人は、哲学をやって考え抜くのも術だろう。ーーー切り上げるとして。
 話の向きは少しずれるが、客観的に大した能力(技能、或いは知識、或いは実績)のない奴に限って、自身では誤った自己過大評価をしているか、場合によっては、自身は大した能力を持っていないのを認識していて敢えてそれを黙す事で上手く隠し、自分の小さな分野の雑学をひけらかしたり、相手がそれを知らない事を執拗に責め立てたりするものなのである。
 例えば、……。
 そうだ。
 譬えによって理論を納得させようとする方法は、本当は、その理論の正しさを証明した事にはならないのだが。
 まあ、この本は、哲学理論の本でも心理学の学術の本でもないので、(エッセイなので)ざっくばらんな語り口調で行こうと思う。
 例えば、僕は、十数組のバンドのメンバーと嘗て演奏をしてきた訳だが、或る時、知り合ったギター弾きにF君が居た。
 彼とは、直接バンドを共にした事はなかったがライブハウスへプロの演奏を聴きに行った時だったか、街のバーで一杯飲んだ帰りだったか、ともかく同じ車に二人乗って40分位の道のりを帰ってきた事がある。
 僕が、今やっているコピーしてるプロのミュージシャンの名を言ったり、興味を持ってるバンド(プロ)の名を言ったりする度に、
「あー、それ知ってる」「あー、それも知ってる」「あー、それコピーした」
 と言うのである。
 F君(仮名)、もう今、これを書いても怒らないだろうし、彼も今や、アマチュアの中では地元では有名になったし、今や、凄く上手いので、否、当時から上手かったのかも知れないが、僕は、間近で彼の演奏を見た事は、当時なかったので、ともかく気を悪くしないで欲しいのだが……。
 僕の言ったミュージシャンの名前は、殆どばらばらのジャンルだった訳だし、『角松敏樹』なんか、当時、僕自身、名前しか知らなかった。
『マンハッタン・ジャズ・クインテッド』『スティーヴ・ガッド』『チック・コリア』『アイアート・モレイラ』『カシオペア』『BBキング』『ドアーズ』『スパイロジャイラ』『フレディー・ハバート』『ジョン・コルトレイン』『サディスティックス』『ハッピー・エンド』
 ともかく、バラバラだ。
 僕は、今でも聴く曲に偏りが有るし、音楽通の人から観れば、知識は皆無に等しい。
 その後も、
『チャイナ・グローブ』とか『リスン・トゥ・ザ・ミュージック』とか、ともかく、バンドではやってた曲だがアーティストを知らないとか、逆に、アーティストは知っているが、楽曲を挙げられないとか、……僕の知識は、そんなものなのである。……今でも。
 ともかく、ロックで速弾き指向の彼が、『アイアート・モレイラ』や『チック・コリア』は知らないだろう。
 それから、五、六年経った或る日、偶然、F君と再会したので、ざっくばらんに先日の事を訊いてみると、嘘だったと彼は認めた。
「あの当時は、自分もハッタリ根性みたいなもんが有ってな……」
 まあ、それで僕の心の引っかかりは瓦解した訳だし、お互いにその嘘で困った訳でもないのだから、それ位まではいいのである。
 しかし、人間が困る嘘というのも有るし、そういう嘘をプライドが有る為につく人も居る訳で、そうなると、ストレスを感じない訳にはいかない。

 例は出さない。

 そして、能(自信)のない奴ほどひけらかすのである。
 誰でも、これだけは他人に負けない、という何かを持ったらいいのである。
 仕事上の技術でもいい。
 40歳にもなれば、仕事にしろ趣味にしろ徹底してやった事が有れば、それは自信になる。ただ、若い内は、そういう自信を持てないのは自然な事だ。
 若い内でも、例えば、部活で三年なり六年なりスポーツでも芸術でもやった人は自信になるが、しかし、むしろ若い内は自信がない方が却っていいように僕は思う。
 謙虚さを持って他人に接すれば、人は色々と教えてくれる。

 能というのは、大人の(二十歳以上の)雑多なカテゴリーの老若男女が千人集まった時、その中で一番になれる何かを身につけているかという、能力の事である。
 百人のトップでは、未だ他人に誇れる程の能力とは言えない。
 つまり、千人の村があったとして、その中でトップか、という事である。
 例えば、ドラムで、4ビート、2ビート、8ビート、16ビートがそこそこ叩けるという自負を持った人を千人集めて、その中で一番上手いと評価されるという意味ではない。もし、それに該当する人が居たら、もうその人は充分プロだろう。
 生徒総数が千人の小学校とか学生総数が千人の大学で、と仮定してみれば、それが一番しっくりくる譬えになると思う。
 それだけの実力のある人ならば、「僕も、少しは昔、ぶいぶい言わしてたんで……」と言う事ができる。
 厳しい様だが、千人の中でトップになれない様なら、それは、娯楽の趣味というしかない。
 しかし、努力を重ね、実際に千人のトップ位の実力になってくると、本当に、心に安定感が出てくる。他人の前で萎縮する事もなくなるし、他人が少々、己を軽蔑する様な事を言ってきても腹が立たなくなる。揺さぶられなくなる。
 しかも、その能力は確実に自分に幸福をもたらしてくれる。
 そして、ジャンルによっては、大きな経済的潤いをもたらす。
 音楽なら、異性にモテる事もあろうし、印税収入やコンサート収益の場合もある。
 何かの資格なら、それは、サラリーを上げてくれる事もある。
 茶道、華道なら、心の落ち着きと品格が滲み出る事による他人からの厚待遇であるかも知れない。
 まず、自負に値するものを持とうではないか。

 それとは別の考え方も有る。
 何をやっても社会の平均をとる、という生き方だ。ダントツに何かに優れている訳でもなく、かといって、何かが、他人より著しく劣る訳でもない。
 それも、又、良しだ。
 それならば、貴方の暮らしは、懊悩する程、悪くはないだろう。

 
 二、スーパーで

 近頃のスーパーは、もの凄く繁盛している。
 しかし、困った事がある。
 ポス・システムというやつである。
 大手のスーパーは、どこもバーコードに光センサーを当てて商品名目と価格を読みとる方式を導入した。そのお陰で、レジでの会計に懸かる時間が、昔より長くなった。
 昔は、計算機式レジスターに手打ちで金額を打ち込んでいた。昔のレジ係りの人でベテランの人ともなれば、人間技とは思えない速打ちでテンキーを打つ人が居た。しかも、そういうベテランの人が多かった。
 しかし、ポス・システムになってみると、どんなに慣れた人でも、昔のレジスターのベテランの人ほどは速く入力できない。それは、あのバーコードというやつが、商品によってはぐにゃぐにゃの包装ポリエステルに付いているからだ。それと、同じ種類の競合他社商品に、全く違った位置にバーコードがついていたりするからだ。
 本当に困ったものである。
 スーパーの側は、その(入力・計算に時間がかかるという)不具合に対して、どうやら人員を一時的に増やして対応している様に見受けられる。
 それでも遅い。
 問題は、それだけではない。
 彼女たちを見ていると、生ものを入力した後は、必ずそれを小さなポリエチレンの袋にその場で詰めている。どんなに、後ろに客の大隊列が出来ていてもだ。どうやら、それは、マニュアル化した教育で命令されている様だ。
 もし、個人の裁量で機転を利かせてよい事になっていれば、(それでも、その場合でもわからないが)「後ろがつかえてますので、袋詰めはお願いします」と、客に言って、収納できるだけの分の袋を何枚か最後にでも買い物篭に押し込んでしまえば済むのではないか、……と僕には思える。
 ともかく、苛々するものである。

 そこで、僕なりのストレス解消術としては、僕は、こういう場合、posに通されている商品をいちいち見る事にしている。すなわち、他人の買い物の中身を見るのである。
 そうすると、
ーーー一、冷凍食品。二、冷凍食品。三、缶ビール。四、赤ワイン。五、インスタントラーメン。六、スナック菓子。七、~の素。
(この人、主婦に見えるけど、レンジで解凍する物ばかりだな。……料理もしない女か。……今から、乾き物を充てに酒盛りか……)
 とかいう想像を愉しむ事ができる。
 しかし、くれぐれも、本人に気づかれないように……。
 ちなみに、このリサーチをしてみると、多くの主婦が料理らしい料理をしない事が分かる。

 三、コンビニで

 コンビニというのは、大元は、どこから来たのだろう。海外資本が食い込んで来たのか、形だけを真似たのか。
 さて、その問題は、置いておくとして、
 奴は、二十四時間、開いているのである。
 大体、若い奴が学生服かジャージで、店の前の入口付近にタムロしている。うんこ座りして煙草や酒をやってる奴が居たりする。
 そして、稀には、店内の通路で座り込んで漫画を読んでる奴が居たりする。
 そんな所に買い物に行きたい訳がない。
 しかし、夜中に酒か煙草が切れてしまったらどうだろう。仕方ない。行くしかない。それも歩いて……。(笑)
 いかつい奴らには目を合わせずに、商品を買う。
 しかし、店員の態度もそっけない。
 否、場合によっては、何か小馬鹿にした様な笑いを浮かべる事もある。それも、ほんの一瞬という位の短い嗤い。
 それに、大体、何だ!?
 ドアを開けると、
「いらっしゃいませ、♪コンバンワ」
 これは、人間の話し方か?

 まず、貴方が経済的に困窮していないなら、煙草は、スーパーで1カートン買い置きしておこう。
 酒は、毎日のビールは販売機で買うとして、それ以上飲む時は、ビールでなくて、ウィスキーかワインか、焼酎か日本酒を飲もう。そのボトルは、量販酒店か従来の酒店で買い置きしておこう。
 そして、どうしても行かなくてはならなくて店に入った場合は、普段、目にしない商品を一つ買ってみよう。
 本のコーナーでは、一風変わった本(マンガも含む)が売っていたりする。
 エロ雑誌も二、三冊まとめ買いしてみよう。DVDがついていたりする。
 コンドームも、今まで自分が使った事のない商品を買ってみよう。最近は、各社、競争意識が強く臭いの少ない安心できる品質の、尚且つバリエーションが多い。
 酒の買い足しの場合は、必ず自分の飲みたい量の倍を買っておく必要がある。
 なぜなら、貴方は、酔っているのに歩いて家に帰らなきゃならないからだ。歩くのがしんどいと、途中で一本は飲みかけて、場合によっては、帰り着くまでに飲み干しているかも知れない。(^0^)
 煙草を買ったら、必ずレシートを貰おう。
 というのも、煙草は、元々、専売権が有るものだし、コンビニで売っている所も権利を獲って販売している筈だ。それに、煙草は、煙草だけは消費税がかからず、内税でもなく煙草税だけの、税が隠れた構造になっている。そして、煙草は、小売店の利益が酷少なのである。
 そして、私見だが、スーパーやコンビニは煙草を売った時にレシートを渡したくないように感じる。だとしても、正確な理由は知らないが。法に触れない事で、相手の困る事はしてみたいものだ。

 セブンイレブンで『アメリカン・クラブ・サンド』というサンドイッチを買ってみよう。
 私は、大好物なのだが。
 買うと必ず、店員は、
「温めますか?」
 と、訊いてくる。
『アメリカン・クラブ・サンド』は、トマトがたっぷり使われているサンドイッチで、そのトマトの冷たさとチキンとソースの混ざった咀嚼感がとてもいいのだ。
 温めると、むわーっとエグく、胸が悪くなると思う。試した事はないので、今度、私は温めて喰ってみようと思う。
 今のところは、何で、「温めましょうか?」と訊くのか理解できない。

 四、嫌煙者に対しての憂さ晴らし。

 嫌煙権。世の中こういう言葉が縦横無尽に飛び交っている。この言葉は、社会の中で至上の権威の様に、喫煙者を攻撃する。
 煙草の煙が体に悪い事は知っている。
 煙草は旨い。
 二十歳から吸い始めて、二十二歳の時、或る先輩の知人から、同じ吸うなら肺まで煙を入れなければ、吸う意味がない、と諭されたのだ。
 肺に入れて、初めの内は、何度か噎せた。咳き込んだ。
 そして、無理なく肺に入れる吸い方が出来る様になった。そうなると、煙草は旨いものになった。血中に入ったニコチンが、脳の或る部分に作用して快感を感じる様になった。
 ぶーん、と脳に滲みる感じである。
 それから、僕は、ニコチン中毒になった。煙草がないと苛々する。思考が働かない、という状態だ。

 煙草が、嘗て専売公社で売っていた頃、煙草(喫煙)が、はっきり害の有るものだとは、公の場では認められていなかった。
 有害論が叫ばれても、無害論も力強く叫ばれていた。
 外国で、公に有害だと宣言されて以来、日本でも公に、有害だと宣言され、煙草をやめましょう、という様な運動が盛んになり、今では、大して有害ではない、等と口にすると笑われる世風になった。
 しかし、有害だと分かっていて吸うのは個人の自由だろう。何よりも、法律に抵触しないのだから。
 問題は、副流煙である。

 今年の冬、僕は、副流煙に困った。
 僕の部屋は、縦長の四畳で、外側二面はアルミサッシだ。
 去年、僕は、何かの問題で立腹して、腹いせに自分の石油ストーブを蹴り倒した。二十発くらい蹴って、石油ストーブはスクラップになった。そういう事もあり、今年の冬は、僕は、自室にファンヒーターを置いて、それで暖をとった。
 コンセントの有る場所が限られているので、北西の隅にファンヒーターを置いて、それで暖をとり、煙草を吸って過ごした。インターネット検索をしたり、小説を文机に向かって書いたり、その草稿をパソコンのワープロソフトで写し打ちしたりだ。
 ところが、文机で執筆しながら煙草を吸っていると、自分の指に挟んだ煙草の副流煙が、丁度、自分の鼻の方向に流れてくるのである。吸ってる時は、美味しいが、口から離すと厭な紙の焦げる様な臭いの副流煙が襲ってくる。
 窓を開けて換気しながらでも同じだった。
 お陰で、今年の冬は、頭痛が特に酷かった。

 煙草喫いでも、副流煙は嫌なのだから、禁煙者や、始めから吸わない人には、副流煙は災難だろう。

 やっと、本題に入るが、嫌煙者の中にあからさまに迷惑だという表情をする人が居る。そういう人達に対して喫煙者の方は実に嫌な気分になる。
 喫っていけない所で喫っている訳でもない。避けようと思えば嫌煙者の方が自由に退いて(動いて)避ける事ができる。例えば、レストラン等の喫煙席。列車等では喫煙可能な車両等だ。そんな所で、こちらが煙草を轡え、ライターで点火すると同時に咳き込む奴。未だ煙も出ていない一息目を吸い始めた瞬間に、
「ォオオホン! ウゥゥゥウン!」
 と、恣意的な咳をして流し目でこちらをちらと見る輩。
 思わずこちらは、「犯罪ですか!?」と、福田元官房長官でなくとも言いたくなる。
「風邪ひかれてるんですか?」
 と、訊いてやるのも一案だ。
「貴方の煙草がケムいんです」
 と、はっきり言い返してくる人は少ないだろう。
「エヘン虫ですか?」
 何てのもいいかも知れない。
「私の煙草がケムいなら、ここは喫煙席ですから禁煙席に行って下さい」
 と、もしここまで言えたら大した者である。
 しかし、この言い方は完全にアメリカ人的な無神経な言い方だ。
ーーーその人の方に向けて煙を吐くーーー
(できるかーー!?)
 僕なりの解決法は、心中で相手の人となりを想像して罵る、という方法だ。あくまでも心中でだ。
(あー、この人は、煙草も吸わない人なのか。多分、酒も毎日、家へ帰って奥さんとコップ一杯のビールを飲むだけだろう。……今日は、出張帰りか。経済新聞を読んでいるが、どうせ、株の仕組みも分かってない、ただの物販の下っ端の営業といった処だなァ。……趣味もゴルフかスキーという定番のもの位しかしないだろうし。……娘と嫁がかわいいだけのこぢんまり型マイホームサラリーマンか……可哀想に、取るとこない奴)
 これで、大分すっきりである。


   五、ダニに困ったら

 節足動物の害虫ダニの事である。
 近年の日本の家は気密性が高いアルミサッシの家が多くなり、掃除も庭へ掃き出すやり方ではなく、電気掃除機で吸うようになった。住宅メーカーがタイプ別に売り出している物件だと、床張りの部屋が多くなった。
 最新型の掃除機と空気清浄機を使うと居住空間も快適なのだろうが、そうでない場合、煙草の煙がなかなか抜けない、とか、仕事で家を空けている内に室内が長時間温室化する、とか、そういう問題でダニは短時間で発生し繁殖する。紙には、紙魚という虫が発生・繁殖し易く、この本の頁の間に密生している紙魚を退治するのは難しい。
 それから、現代人の体質がアレルギー化しているという問題もある。現に、僕も、幼い頃は、紙魚が繁生している古本を手にとっても、痒いという事はなかった。
 自室なら、まず、換気である。それも恒常的に、通気させる様、心がける。窓を、小さくてもいいから二方向、開ける習慣をつける。隣の目が気になるならブラインド等で工夫してみるのも良い。
 それから、ゴミを出しだいゴミ箱に入れる。
 自分の座る位置の近い範囲に清潔なハンド・タオルを八つ折りにして置く。それを何枚か置く。

 どうしても痒い本は、頁を開いた状態で日向に干す。丸一日。
 酷く痒い本は処分する。
 痒い本一冊を痒くない本の間に挟んで並べる。その場合、痒くない本五、六冊、次いで痒い本一冊、そして痒くない本五、六冊という具合に。
 痒くて眠れない程だったら、睡眠薬(合法の)に頼る。そして、次の日、徹底的に掃除する。
 貴方が結婚していて奥さんが専業主婦なら居室は毎日、掃除してもらう。特に畳みと寝具は徹底的に。二日も続けてそれをやってもらうと大体痒みはなくなる。
 バルサンは一時しのぎにしか成らない。僕の経験上からすると、そうだった。バルサンを焚くと、ダニは本という本の頁と頁の間に逃げ込むし、壁の隙間などに逃げ込んで、奴らは、一日もしない内に再び出てくる。それに、ダニの卵はバルサンでは死なない。


   六、仕事が嫌なら辞めろ。早く行動を起こせ

 僕は、仕事の事を死事と当て字で日記に書いた事がある。
 どんな事でも、仕事と名がつけば辛いものだ。
 特に、際限なく手を動かしつづけるライン作業での製造業とか、重い荷物を長い時間扱い続ける仕事(トラックの運転手ではない。確かにきつい仕事ではあるが八時間ぶっ通しで荷下ろしや荷積みはしないだろう)。
 真面目にやっているのに上役から怒られつづけ、しかも、その上役と八時間なり九時間なり同じ部屋に居続けなければならない仕事(例えば事務職だ)。
 こういう仕事・職場に就労していて、しかも、忍耐を学ぼうとか、出世しようとか思ってもいないなら、今すぐ辞めるべきである。
 貴方が健康で、高卒以上の学歴で、未だ四十歳になってなければ、選り好みをしなければ、就職先、或いはアルバイト先は幾らでも有る。
 さっさと辞めよう。
 辞めるのを先延ばしにして、我慢して出社し続けていると、十二指腸潰瘍か、自律神経失調症か、腰の病気か、ノイローゼになってしまう。
 そして、ぎりぎりまで我慢しては、その時点ではもう辞表を書く余力もないかも知れない。
 しかも、何とか辞表を提出してからも、悪くすると三ヶ月間も引き継ぎの為に出社してくれと上司に言われるかも知れない。
 会社にとっても、勤める方にとっても、本当は、納得した上で、その会社の道具になれるのが一番いい。
 会社とは、大きな精密機械の様なもので、コンピュータパネル部も有れば、歯車も有り、機械全体を支える底部のローラー部も有る。
 歯車が一つ欠陥品になると、ある命令は実行できても何種類かの動作は全く出来なくなったりする。
 その意味で、会社に求められるのは、部署部署に応じての的確な仕事なのだ。決して、道具が命令を出している最上部に対して、「その指令は私には違うと思うので実行できない」等と、実務命令が出ている時点で進言してきて、拒否したりしてはならない。
 会議の場で意見を戦わせるのはいいが、決定した命令に異を唱える様では、その部品は、すぐ交換しなくてはならない。
 歯車になるのが嫌で何か独りでできる事を…。よく聞くセリフだが、独創の世界以外に独りでできる事はない。会社を興すなんて事をしたら、又、部下を操縦する苦労をしなければならない。
 小説とかは独りで書くものだが、どうやって発表する?
 持ち込みするか、出版社に。……それしかない。

 新人賞に応募か? 

 一次通るか?
 第一、下読みの人は、公正な判断をしているのか、どこにも保証はない。
 それに、貴方。原稿書いてみた事もない、では、どうする。
 僕の場合、書きかけては止め、という状態が七年位あった。ストーリーが浮かばん。ストーリーを考えつかんからだ。構成を全く決めずに書いていると、どうしても丸っきりの自伝になっていく。始まりは、そうでなくとも、自伝の方向へストーリーが傾く。自伝など、他人に読まれたくない。だから、一作も完成しない、という期間が約七年。
 それじゃあ、音楽は?
 軽音楽は、コネか運の世界だ。
 作詞、作曲していて、それなりどころかプロレベルの作品を創っている人間は、小説の比ではない。
 独創の世界は難しい。
 それでも目指したい人は目指したらいい。
 経済的に、何とかなるなら、五年や十年は書くだけの期間を持った方がいい。
 というのも、仕事で疲れると、全く書かなくなるからだ。疲れているので晩酌してそれで終わりという毎日になる。その内、貯金も出来てきて欲しい車も買える。もう一寸、働いて、或いは就職して、身を固めようか、と思う様になる。
 休みが週二日有って、奥さんが居て、酒が飲めて、それでいいかという気になる。その上、子供まで出来れば、子育ての時間に、仕事以外の時間は忙殺される。男でもだ。
 夜泣きされるし、睡眠もマトモにとれない。仕事には勿論行かないと食べて行けないし、という事になる。
 それでも、貴方は、その片手間に小説を書くだろうか? もう、プロに成れていて発表の場が有って金に結びつくなら、御の字で書くだろうが。


   七、知ったかぶりの全共闘世代

 昭和二十二年から二十六年くらいに生まれた日本人を、世間では”団塊の世代”と呼ぶ。
 同じくその世代は、彼ら自身が大学生の頃、日米安全保障条約改定に反対し、ゲバ棒を持って、警察の機動隊と衝突をやらかした東大紛争を起こした世代である。
 60年・70年安保闘争と言えば、日米安全保障条約の改訂をアメリカが日本に迫ってきた訳で、初め(戦後すぐ)の日米安全保障条約では、日本に基地を設けたアメリカは、単に日本を護ることを条件にしてくれたのだが、改訂後は、在日米軍が攻撃を受けた時は、日本も相手国に向けた戦闘に参加する、という約束になった。それを迫ってきたアメリカに、その条約改訂を受け入れるという行動のネックになっている法の改編を、当時の吉田茂首相が、国会で強硬採決したので、「条約改訂、受け入れ反対!」と、日本の大学生が徒党を組んで騒ぎ始めたのである。
 そこに、ソビエト連邦のその当時の国治体制への憧れを重ね、共産主義に傾倒する者あり、反共を叫び、当時の警察が戦時中の官憲と同じ体質だと決めてかかって国家に対して牙を剥く者あり、はたまた、隠れて共産主義の過激派を応援するシンパあり、我関せずのノンポリあり、と、実に大学生を中心に、国は大きく揺れた訳である。
 しかし、そんな、国を想う気持ちだとか、或いは、国家主義を毛嫌いするだとか、そういう主義主張を貫くという一面は、実は、彼らのーーー早く大人っぽく振る舞い、大人として認められたいというーーー切実な思いや、社会を動かしている様な気になれるその内実は、大人ごっこだった一面も孕んでいるのである。
 自分で金を儲けて自分の脚で立っているのではないという事を、彼らは(本人が)一番知っていたのである。
 と、同時に、日本は高度経済成長期であり、学歴偏重社会のかかりでもあった訳で、一流大学に四年間通って卒業する事でそこから先の自分の人生に、安心立命が約束される事を、彼ら自身が一番知っていたのである。
 しかし、その社会から観れば、就労猶予の状態が、彼らには歯がゆくもあったのである。
 そして、彼らの全てが学生運動に染まった訳でもない。しかし、自分の立場をはっきりさせないと大学での身の置き場がない。同じ学生から詰め寄られるからだ。
 そこで、我関せずという生き方をしたい者も、一応、ノンポリだのシンパだの公に対してのカテゴリーを名乗っていた訳である。
 教授や講師たちも、集団の暴力が恐ろしく、その為に大学生たちに大きな発言権を与えたという事だ。
 そして、時代は流れ、あれから三十年、四十年経った。
 この世代の多くは、難しい言葉で相手を打ち負かそうとするが、この世代の全員が知識人という訳ではないのだ。何よりも、大学へ進学した人の方が少ない時代なのだから。
 主義をはっきりさせるという事から発して、この世代の人たちは、他人(世の中の大勢)の真似をするのが嫌いである。
 それは、私と似ていて、他人真似をしない処を私は好いている。


   八、性欲の処理に困ったら

 結婚しない人が増えている。
 結婚できない人も増えている。
 結婚とは、公然とセックスが出来る相手を確保する為の、社会的な形式だと私は思っている。
 玄人の処へ通えばいいし、結婚相手など、必要ない、という人も居るだろう。しかし、そんな事をしていたらその内に花柳病になってしまう。
 恋愛関係だけでいい、とか、セックスフレンドが居ればいい、とか、言うか? 恋愛は終わりが来るし、セフレなら、どちらかが飽きて去って行く。
 それに、安心立命がないと、恋愛ばかり繰り返していたのでは消耗する。
 ともかく、セックスの相手は確保し難い。
 結婚してからも、相手が応じなくなって家庭内別居とか云われる形になっている人も多いだろう。
 彼女から別れ話を切り出されると、何とか思い留まらせようと、男は必死になる。
 そんな訳で、或る時間の一部を切り取って現状を観ると、セックスからは離れている人の割合の方が圧倒的に多いだろう。しかも、欲は有るというのに。
 彼女をつくれないからと云って、幼女に悪戯する人も出てくる。ストーキングとか。
 そんな事は避けよう。
 まず、手淫をやってしまおう。
 誰にも邪魔されない場所を確保して。
 これは、真剣に考えるべき問題だ。
 視覚、聴覚に頼るやり方はほどほどにして、ーーー何故なら、そんな画像を観ていると、一番いい場面まで何回もVTRを巻き戻したり、DVDのイヤホンジャックからイヤホンのプラグが抜けてしまうかも知れないからだ。
 軒上泊さんの小説の中にも有ったが、その日、出会った特定の女の人の笑顔を思い浮かべて、彼女の服をとり、裸身を想像して手淫してしまおう。
 頂点の瞬間にティッシュペーパーで左手で受けるというような、折角の爽快感を妨げる様な事はやめたい。ならば、コンドームを使ってやればいい。最高の瞬間に速い動きで扱きつづける事ができる。出来れば、往った後も扱こう。そうしていれば、セックスの時、もう少しで相手も往く時に相手も往かせられるテクニックが身につくからだ。
 下品な文章が続くと思わないでもらいたい。
 こういう欲求の処理が出来ないと、性犯罪に向かう傾向に陥るからだ。
 出先等で、欲求が突き上げてくる場合は、公衆トイレで出してしまおう。音を立てないで、壁にでも発射してしまえばいい。後でしっかり紙で拭いて、紙を流しておけばいい。ドアに隙間がないかチェックしておく事も大事だ。
 女性でも、欲求をもてあます事もあるだろう。
 やはり手淫しかない。しかも、自身の感じる所を何カ所か開発しておくと早く済ませられる様になる。

 玄人の所へ行くなら、完全に安全な所などどこも保障は出来ないが、なるべくソープランドの方がいい。ソープランドは、洗剤を介して接触し、局部には避妊具を介すという事が徹底しているからだ。ヘルスだったら、何人もの男の精液を一旦、口で(粘膜)受けているのだ彼女らは。病気になっている場合、その女の口とこちらの性器が直に触れる事になる。


   九、腹が立ったら自分の私物を毀せ

 どうにも立腹の収まらない時がある。
 会社で嫌な事が有って、その場では言い返すのをぐっと堪えて、家まで帰ってきたりする。
 日常的に殴るという動作と同じ動作は少ない。
 ゲームセンターにでも行って『パンチ力測定マシン』を叩く(殴る)というのが一番ベストだろう。
 バットで球を打つというのもテニスラケットでボールを打つというのも、憂さ晴らしの行動とは少しずれている。
 ハンマーで杭を打ち込むというのが、かなり近いが。ボクシングジムでスパーリングをやるというのもかなり近い。スパーリングだと、相手にも攻撃される事になるが。ミット打ち(ボクシング)だと少し違う。
 相手を呼び出して殴り倒せば、どんなにすっきりするだろうか…。しかし、犯罪になってしまう。
 そんな時、私は、私物に当たる事にしている。
 会社関係の物は、どこか別の部屋に除けよう。
 古い安物のTV。これはいい。
 しかし、硬質強化ガラスでブラウン管を覆っている奴は駄目だ。びくともしない。こちらの足か手がいかれる。現に私は、ブラウン管(硬質強化ガラス)に向かって足蹴りを入れたせいで、二週間も右足が痛んだ。
 電気スタンドを毀し、酒瓶を壁で割り、電気炬燵を使い物にならなくし、石油ストーブの原形を無くした。(火の点いているストーブは蹴るな! それと漏れた灯油に火を近づけない様に。勿論コンセントに灯油がかからない様に)
 随分、すかっとするものだ。
 後片づけが大変だが。
 処分にお金が要るのと、同じ機能の物を買うのにお金は要る。
 それでも、他人や他人の物に当たるよりは断然いいのである。


   十、厭な飲み屋

 酔っている時は、色欲が出たりして、
「一寸、手、触らせて…」
 と、言ってホステスの手を握りかけると、
「やめて、もう帰って!」
「ああ、帰るわ。幾ら?」
「二万二千円」
 とかいう事になったのである。

 早い時間で、店には他の客も居ず、店長も未だ出勤していない。
 瓶ビール一本と、カラオケ2曲と、グラスの水割り一杯で「二万二千円」である。
 しかも、
「別れても好きな人」と、リクエストすると、
「アカン。その歌は歌わんといて、他のにして…」
 個人的に失恋した事を感慨深げに強調して科をつくったりする。
 こういう女は、何を勘違いしているのだろう。
 思わせぶりな態度をとるが、手を握らせてくれ、というのはきっぱり断って帰ってくれ、である。しかも法外な料金。
 こういう店には二度と行かない。

 夜遅くまで開けている店が、どこの街にも一、二軒だけ有るのはどういうからくりなのだろうか。
 取り締まる側の警察官とて、人の子、非番の日には遅くまで自分がそういう店で飲みたいという事が有っての事だろうか。
 流石に警察に密告るのだけはやめたが。
 そういう、そこだけしか開いていない遅い時間まで開けている店では、当然すっかり酔った者ばかりが集まる。
 私は、いつもそこで喧嘩を売られる。
 で、言い合いになると、ママが「帰って!」である。
 私のカウンター席のスツールに、私がトイレに行っている間に氷を置く奴が居る。
 私は、彼の顔をもう覚えてしまった。
 何らかの僻みが動機になっているのだろう。
 内心で僻みたければ幾らでも僻めばいい。しかし、そういう悪さをしてくるのは間違いではないか。名前こそ知らぬが、以前よく行っていた理髪店でお互い客としてちらと見た事がある。はっきり言って、今でも私は、奴をボコボコにしてやりたい。
 大体、私は歌が上手いので、カラオケで歌うと他の客の妬みの対象になる。

 飲み屋(スナック)など行かないでいいではないか。
 あの大理石に見せかけた様なつるんとした床張りと、薄暗い照明にカウンター奥に並ぶ洋酒の瓶。それらが、家では味わえない独特の雰囲気を作り出しているのだ。
 ホステスの時間給が千二百円~二千五百円だ。
 私は、今までやった仕事で一番多く貰ってたのは、ひと月十八万円だ。
 次の朝、結局、彼女らにうまくあしらわれていた事に気づく。
 しかも、その日、持参した金額のぎりぎり以内の高額を請求されて、次の日の朝には、財布の中は空っぽだ。
 飲み屋の何が悪いったって、カラオケを導入した事が一番悪い。大音量で歌われている間は、誰とも会話が成立しない。
 いっその事、楽器だけにしたらどうだろう。
 歌いたい人は、楽器を自らか流しの人に演奏してもらって歌うのである。
『打楽器しか出来ない人はお断り』とか、『一曲も演奏できない人はお断り』とかにすればいいのである。
 そうなれば、随分、高尚な人の集まりになるのではないか。

 飲み屋に行く位なら気の合う人と自室で、スーパーで買い込んだ酒を飲めば充分だと思える様になった。
「二万二千円」分、買い込んだら、凄い量のストックが溜まるだろう。
 せめて、飲み屋に行くなら、値の低いキャバレーかラウンジでいいのではないか。
 乳をもんでもいい所もあるし、店によって制限が違うからその辺りは、一回目(一見で行った時)に、ママさんとじっくり話してどこまでがいいのか聞いてみるのもいい。
 それと、やっぱり女ずきのするファッションと髪型で行ってモテる男と思わせる位はしないといけない。触っていいかママに訊くのも野暮ったい話だし、女の方にその気にさせれば、他の客に大仰にうつらない様に、かくした手でスマートに触るのもいい。
 どちらにしてもホステスに拒否されたらそこでやめるべきだ。それでも強引にやっていると、強面の兄さんが二人ほど出てくるか、馬鹿高い料金を請求されて三分の二払って二、三発殴られる羽目になるだろう。


   十一、飲み屋で歌うな。ボックスで孤りで……。

 人前で歌って、誉めてもらったり拍手してもらったりするのは、気持ちがいい。
 しかし、他人に拍手などしない人も多い。昔も今も。
 私は、一九八四年に東京に家出していた。
 埼玉の圧延所に、派遣社員として就労し、週末には池袋へ遊びによく出ていた。池袋で知り合ったH君とK君と共に飲み歩いたりもした。
 その東京で、或るカラオケホールへ行って歌ったが、歌い終えても誰からも拍手はなかった。
 私は、当時、今よりは幾分落ちるが歌唱力は自己を客観視しても有ると自負していた訳で、歌を歌って誰からも拍手されないというのは、私にとって初めての経験だった。
 H君とK君は、互いに話しに夢中だったし。
 関東という処は、こういう風土なのか、と思い自身を慰めはするものの、敗北感はつのった。
 他人の歌に拍手するというのを繰り返して、
ーーー上手くない人に対しても懸命に拍手するーーー
 やっと、お返しの意味の拍手をもらったりした。

 話は、今に戻るが、カラオケ喫茶などで何曲も上手い歌を歌うと、他人は、反感の目になり、こちらの目も見てくれなくなる。
 だったら歌手というのは何だろうか。
 エンターテイメント性を要求される部分は有るが、演歌にしろポップスにしろ、上手いだけという人も居る。心は勿論こもっている。それは私もだ。圧倒的に声量が有る、声が出る、という事は有る。一般の上手い人に比べて。それもよく聞く意見だが、声量もプロに負けていない歌の上手い一般の人も居る。私も声量は充分にある。
 歌唱訓練というのをやるのだろうが、やってることは、歌の練習と、歌詞を憶えきる事と、ステージのどこに立つか、どういうお辞儀をするか、どう微笑むかという、ステージングの練習くらいだろう。
 そんな事が仕事として、成り立っているのが不公平だ。私は、そう思う。
 作詞か作曲か演奏かを兼ねるのなら話は分かるが。
 同じ事を漫画家の蛭子能和さんが言われていた。
 全く同感だ。
 あくまでも私の意見だ。それ以上のものではない。
 ともかく、歌が上手い事など、今や他人に誇れる事ではない。
 そんな、折角上手に歌っても、他の客がビール呷って大声で喋り合ったり、自分の歌の入力番号を捜すのにかかりっきりだったりする様なスナックやカラオケ喫茶では歌う事は虚しい。
 いっその事、カラオケボックスに行こう。
 それも、独りで行こう。
 存分に練習が出来る。
 防音してあるが、それでも少し漏れてしまう音で、それを聞いて寄ってくるホントの歌の分かった歌好きが声を掛けてくるかも知れない。
 それがなかっても、飲食自由だし、目一杯、好きなようにやれる。孤りなら。


   十二、究極。直接行動は控えて、ひたすら呪う。(追記あり)

 人間は、霊性が発芽して、より善き者、次元の高い動機を持つ者に成るべきなのだが、そうはなれない状態でも最低限の行動の抑制をしていかなければならない。
 その絶対に護るべき行動規範がその国(自分の住んでいる国 旅先では旅先のその国)の法律だ。
 人間、大人になると相手を許せない程の怒りに囚われる事が有る。
 怒りが何日も続く様な場合も有る。
 神に、祈りで自身の心内を吐露して癒してもらう、というのが信仰を持っている人独特の方法なのだが。

 祈りというのは、呪いと変わらない様ななされ方をした事も有った。
 それが証拠に、聖書に旧約の時代を見ればいい。自分が国の統治者に成るか他の者にその座を獲られるかで軍勇たちが争い懊悩し、又、直接戦ったりしたのが旧約の時代だ。
 そんな時、祈る言葉は、「主よ! どうか敵を亡ぼして下さい!」となる。詩篇などを読めば、そんな敵を殺して下さいという意味の歌や祈りが一杯だ。
 キリストは、『汝の敵を愛せよ』と言われているが、『私がその気になれば、天の軍勢をすぐにかき集める事が不可能だとでも思っているのか』とも言われている。
 パリサイ派に対しては、『サタンよ! 退け!』とまで言われている。又、『わざわいだ! コラジンよ! ベッサイダよ!』と、言って御自身を受け入れなかった土地を呪われている。
 キリストの意志に合った祈りか、という事が一番大事で、ゆえに呪う様な祈りはしてはいけないという今日のキリスト教の教義(どの宗派も)になっているが、呪いが成り立つか、という一点だけに的を絞って考えると、呪いは成り立つのである。しかも、祈りが呪いとして充分な力を帯びるのである。
 今日、現代、「あの人に呪われて病気になったので、あの人を裁いて下さい」と誰かが申し立てても、それは罪として成立しない。
 そして、この呪いが、祈りが、一番恐いものなのである。
 だから、怒りでどうしようもないなら直接行動で犯罪など起こさず、神に祈ればよい。相手を陥れる願いを神に祈った場合、それが神の意志に合致していれば、その通りになるであろう。

 加筆・追記

 この項の考えに関して、最近変わってきたので加筆しておく。
 祈りは、祈りであって呪いではない、としてきたのだが、よほど理不尽な行為を受けない限り、他人の不幸を願う祈りはすべきではない。
 というのも、祈りは、神だけに聞かれているわけではなく、同時にあらゆる霊に又聞きされている。
 神が、そのことを為すべきでない、と判断されても、その祈りを聞いた悪霊によって他人を陥れる祈りが聞かれる場合がある。神は悪魔にも行動の自由を許されているからだ。それならば、最早、それはキリスト者の行動ではなく、結果から言って一般人のしている呪い、と変わりないことになってしまう。
 もちろん、社会的に制裁を受ける罪ではないが、推奨できる行動ではない。
 やはり、報復は、神に任せておけばよいのだ。願う形で任せる、ということさえ、新約では罪となってくる。
  いづれにしても、旧約をベースに信仰するか、新約のカラーに染まりきるか、で結論は違ってくる。


   十三、セールスの電話には……

 家でも会社でも、セールスの電話はよく有る。
 会社なら、仕事の繋がりが有る相手か、お客さんか、若しくは、ウチの社にとってプラスになる話か、ネックを掴まれていないか、内部機密に介入してくる相手か、相手は揺する情報を持っているか等を早く掌握し、「忙しいので貴方の話は聞けません」と言って電話を切るかどうかを判断しなければならない。

 自宅の場合、よくかかるセールスは、株取引、不動産投機、金売買、ファンド、恋人紹介、ネルトンパーティー、電話の回線サービス、オール電化キャンペーン、ジュエリーショップ、と、それ位の種類のセールス電話がかかる。
 恋人紹介などは、決まった相手が居て、往く往くは、その人と結婚するつもりだ、と言ってやればいい。
 そうすると、個人情報が他へ流れて、ブライダルサロンとか、ジュエリーショップから電話がかかってくる事になる。
 それで、ブライダルサロンには、昔から行っている洗礼を受けた教会で式を挙げるので、と言えばよい。
 ジュエリーショップには、同級生が宝石商をしてて、と言えばよい。ジュエリー店で働いてて、と言うと、「ちなみに何というお店ですか?」と、相手は食い下がる。
 先物取引などには、「そんなに儲かる話やったらお宅がやったたらエエやんか」というのが常套句の様に揚げられるが、私は、その文句は可笑しいと思う。
 私自身が、何度かセールスの仕事をしたので分かるのだが、金を儲けようと思って手堅い物に投資して売買差益だけで儲けようとすれば、大して大きな儲けにはならない。
 例えば、会社を始める時、昔は資本金が要った。それに、初期投資が要る。それを、自分の持ち金だけで始めれる人は居るだろうか。それに、まず、大きく金を集めてこないと大きな結果は出ない。
 物販で小売店で利益20%だとして、100仕入れるのと1000仕入れるのとは、確実に売れる見込みの有る場合、大きく違う。
 借りた金を充当して大きく仕入れて、売れば、赤はないし、仕入れの為に借りた金は全額返せるし、返す時に利子をつけてやる事も出来る。しかも、自分が一番儲かる。否、利益を同分配でもいい。
 金を動かしただけの人と身銭を切った人が同じ儲けになる。
 動かす人が実は、一番多く儲かる。
 出資者を束ねたからだ
 しかし、投資者も儲かる訳だ。
 だから、私も、商品説明の時によく言っていた。
「御社も得をして、弊社も利益が出るシステムなんです」
 と。(ちなみに、これは、或るメーカーの節水弁のセールスの時の私の科白)
 だから、断りたい時は、断りたい理由を正直に相手に言おう。出来れば理論的に相手を説得するのがいい。
「TVコマーシャルなんかで、その商品の事は、よく耳にするし、私自身も興味が有って充分、良い商品だと認識しているのですが、私、今、投稿生活をしてまして、体は神経症で普通の仕事ができなくて、経済的にぎりぎりでして、今は導入は無理ですので」
(ちなみに、これは、オール電化のセールスに対して)
 自分が貧乏な事を話すのは厭だ、なんて言ってられない。相手は、つけ入っていくらでも長話ししてくるからだ。
「全てのエネルギーを電気にしてしもたら、地震があった時に困ると考えているので、ウチは、台所と風呂はガスにしてるんです。安全装置が働くので安全です」
 と。こういう、言い方もアリだ。

「僕は、貴方のとこの商品は別に欲しくない。他に買いたい物が有るんです。それで今は貯金してるんです。千八百万円のNSXっていう車です」
「貴方のとこへ投資して絶対に増えますか? 絶対の保証などは神にしかできないでしょう。今は、一円でも惜しいんです。不確実なことはしたくないんです」
「僕、今、自分の小説に共同出版持ちかけられてるんです。貴方、逆に投資しませんか? 僕に。……いえ、絶対に売れるとは言えません。それは、貴方のとこの株投資でも一緒でしょ。…売れたら、必ず、二百万に利子をおつけしてお返ししますよ。どうです?」


   十四、つき合いの悪い若い世代とのつき合い方。

 私は、二年少し前、営業に行っていた訳だが、後輩を持つ事となり、彼を教えながら一緒に外回りをした。
 今の時代は、若い人も年輩者も何故、人付き合いが悪いのだろう。
 仕事を終えて、一寸、一杯行こうか、と誘った処で、「いえ、今日はやめときます。飲みに行く時は、二、三日前に言って下さい」「二ヶ月に一回くらいでいいです」と、こんな答えが返ってくる。
「子供を放っとけないでしょう」
 と、言ったかと思えば、
「いえ、もう下の子も三歳になってるのでそんなに手はかかりません」
 と、言ったりする。
 近頃は、飲酒運転の罰金が高くなったし、懲役なんて懸念も有るので、誰も飲酒運転はしなくなった。勿論、私も。
 それならば、という事で、独り身の私の家へ買い込みで寄って、帰りはタクシーを呼ぶという算段で話しをつけても、「二ヶ月に一度」でいいらしいのである。
 それも、彼は、私と近い年頃だ。
 一緒に車で回っても、上司の欠点を少し言う位で、趣味の話しも出てこない。
 とにかく、こぢんまりした家庭人、という男がふえた。
 煙草は吸わない。酒は少しだけ。パチンコはしない。競馬もしない。スポーツもしない。楽器も触らない。麻雀どころか将棋もしない。妻と子だけが生き甲斐なんだろう。
 どうして、こんな殻の中に閉じこもったような奴ばかり増えたのか。
 仕事で営業しているとしても、めちゃくちゃ売り上げがいい訳でもない。
 ニートでもパラサイトでもフリーターでもないが、これは、完全に殻閉じこもり人間である。
 子育てというのは確かに非常にしんどい事だろう。それは分かる。
 しかし、人間としての面白みがない。こういう人間は。
 他人をあっと驚かせるエピソードでも持っていて、それを少し話してくれれば、随分、コミュニケーションには潤いが増す。
 人知れず夜中に小説を書いているとか、現代のポップスを技量的に的確に批評したりするとかいう奴だと、話に花が咲くものである。
 プライベートな事は会社では話さないのが男の美学だと云うなら、どんっと大きい契約でも獲ってきて、私をあっと言わせて欲しかったのである。

 現代人はどうだ。
 セックス、セックス、セックス。
 色んな話が出来る奴でも、話が長くなると自分のセックスの話ばかり。
 自分の恋愛とかセックスを自慢げに語るな、胸くそ悪い。
 そんな事は、自分で納得しとればそれでいい話で、こちらが訊いたならまだしも、訊きもしてないのに、自分の恋愛だのセックスだのの話を延々とする奴。
 男も女も30歳を過ぎれば、恋愛などと、生ぬるい事を考えておっては駄目なのである。
 40も過ぎれば、自分の子の将来とか、社会への貢献とか、永遠の生命に繋がっているか、とか、そういう事を第一に考えなくてはならない。
 そんなに他人に自分の恋愛の話をしたければ、相手に女を都合してやる所までしなくてはいけない。
 それに、現在進行中の恋愛を持っている相手でも、他人のセックスの話は長々と聞きたいとは思わない。
 躾の悪い子供。
 群れる青少年。

 『つき合いの悪い若い世代とのつき合い方』なんてものはない。
 そういう常識の位置のずれている奴とか、面白みのないもぐら人間などとは極力つき合いを避ける事だ。
 必要最低限度の伝達だけをやっていればよい。
 何度も繰り返すが、嫌な会社は辞めろ。仕事はいくらでも有る。


   十五、交通違反でパクられる前に

 警察というのも給料の一部は成績で変わるらしい。
 ずっと60㎞/h制限だった道路が、そこから急に40㎞/h制限に変わっていたりする。速度標識も分かり難い所に有ったりする。そこから100メートル程、走ると、赤い大きな旗が振られる。否、旗棒を高々と横に掲げ実質上、通せんぼされる訳だ。
 はたまた、義理の妹の家に持って行ってやらねばならぬ物が有ってマンション棟の脇に一時、車を置く。
 話が盛り上がって少し長くなる。
 そんな時に限って、パトカーが来ている。
 マンションの住人が密告った訳だ。
 ともかく、警察(交通課)というのは、意表を突くタイミングで取り締まる。
 あと一ヶ月すれば、これで免許書き換えまで無事故無違反が達成する、という頃、ひっかかってしまう。
 六十㎞/h制限の処は、七十㎞までのスピードで走ろう。
 駐車場に車を停めよう。
 時間が短いなら、お金が要っても、百円か三百円か五百円だ。
 パトカーは、六十㎞/h制限の所を犯人追跡でもないのに、サイレンは鳴らさず、赤色灯を回して九十㎞/hで走っていたりするが…。


   十六、喧嘩になりかけたらまっ先にEXITを確保。

 喧嘩は、売られるという事が有る。
 又、相手に反撃しないと逃げられない場合もある。こっちが一人で三人以上の相手に因縁をつけられて囲まれたりした場合だ。
 貴方が腕に憶えが有るならともかく、勝てるか勝てないか分からない場合が殆どだ。
 まず、逃げ道を確保しよう。
 どこに逃げ道が有るか、相手に悟られずに早くチェックしよう。自分の車が有るとすれば、どうすれば相手に悟られずに、その車まで辿り着けるか。
 こちらがダメージを受けてからでは、逃げる足も遅くなる。子供でも追いつける位のスピードでしか逃げられないかも知れない。
 殆どの場合、暴力は、どちらかが訴えて傷害事件になると考えた方がいい。
 私は、男三人兄弟で育ったので、どれくらいが人間のダメージかをよく知っている。
 私は、或る時期に三男に殴り合いで負け、それ以来、今でも三男には勝てない事を自認している。


   十七、恋愛するには手紙だ。

 恋愛するには手紙だ。それだけである。
 小難しい説明をする気はない。第一、恋愛は人によって、その技法は様々だ。当たって砕けた事もない人間に、こうした方がいいなんて教えたくもない。
 手紙だ。メールでなくて手紙だ。正面から告白するのでなくて手紙だ。それだけである。


   十八、今の女なんて要らない。

 出来るだけ大きく儲けてくる人と結婚しようと考えて結婚相手を選ぶ。格好のいい青年に惚れても、その後の思わぬ仕草一つだけで完全に醒めたりする。自分の部屋では鼻糞を平気でほじくり、股に指を当てすっきりする。
 そういう女が、ゆくゆくは、近所の人の有るのか無いのかはっきりしない噂を主婦同士で喋って広める。
 女という者は、不完全である。
 理性的ではない。
 況して、今の若い世代などは、誉めるべき長所もない。生卵を割っても殻を入れてしまう位にしか割れない。
 そんな女は要らない。
 私は、料理も一通り出来るのだから。
 「きしょい」とか「きもい」とか、初対面の人間にも言ってくる。
 そういう彼女らが洗練されてるとでも思っているのか。勘違いも甚だしい。
 ボタン付け一つできない。
 どっかのレーベルのみゃーみゃー言う歌手みたいな細い骨格をして、ポテトチップスを囓りながら、お笑い番組を寝転んで観ている。
 あーあ…。


   十九、働けなくて、健康上に理由が有るのに初対面の他人は理解してくれない……。それなら。

 体の具合が悪いのは、外から観てすぐに察してもらえる様な状態と、そうでない状態に分かれる。
 骨折や捻挫とか、明らかに痩せすぎた状態だとかなら、他人は同情的に接してくれるが、どこかが痛い、とかいう場合、本人は凄く我慢しているのだが、周りは分かってくれない。かといって、他人にいろいろ「痛いんです」等と言って回るという訳にもいかない。
 血色が良く、食欲が有り、普通に歩けるだけで初対面の人は貴方を健康と見做すだろう。
 そして、話が進むと、
「お仕事は、何をされてるんですか?」
 と、必ず訊かれる。
 仕事というのは、大人であれば、社会に貢献しているのを示すものなので、大人になって社会にかかわっていない無職という状態は、引け目である。
「無職です」
 と言うと、たちまち相手は軽蔑の眼差しに変わる。
「いや、体の調子が良くなくて、色々病院通いをしてるんです」
 と言った処で、相手の軽蔑の視線は変わらない。
 彼らのとって病気というのは、寝込んでしまった状態か手足にギプスを嵌めている状態を指す。
「どう悪いんですか?」
 と、しつこく食い下がってくるのだ。
 それは、当然な問いなので、説明するのだが、”痛み”という感覚は、彼らにとって軽度の風邪くらいにしか思い描けない。
 腰痛にしろ頭痛にしろ、酷い痛みが四六時中つづく事も有るのだ。
 そうして、やりとりが終わると、こちらは働く意欲のない甘えた人だと勝手に相手に思われてしまう事も多いのだ。
 たかが頭が痛いくらいで、と言うなら体を入れ替えてもらえれば一番早く分かってもらえるのだろうが、それは叶わない。
 そして、本人にとっては、日々の痛みと世間からの睥睨と経済的な潤いが少ない事との三重のストレスを抱え込む事になる。
 私自身の場合、この近々の四年間は頭痛に悩まされ続けている。
 朝起きて四時間もすれば頭痛が始まる。頭痛薬を飲んでも完全な症状改善には至らない。日に三度、薬を使う事もあるが、そうなると、胸が苦しくなり、アナフィキラシー・ショックの寸前になったりもする。さらに、酷い時はテレパシーが出るので、大勢の人の中に長時間居られない。人間は、冗談のような事も考えているのだが、それらが話している相手に伝わってコミュニケーションが上手く行かなくなったりする。
 これでは、店員の仕事は出来ない。
 営業の仕事でも、常に症状のコントロールが必要になる。
 僕の様な症状の場合、統合失調症という病名で呼ばれる事もあるらしい。

 だから、普通の仕事が出来ないなら、何か仕事ではなくともいい、今すぐには収入につながる事でなくともいいから生産的な事をしておこう。このまま、愚痴ばかりこぼしているのでは能がないと思って、小説を書き始めた訳なのだ。
 何かの勉強でもいい。何かの努力を積み上げておけば、将来、それが実になる筈だと思うのである。
 勿論、他人の目はきつく、立場は苦しい。
 しかし、自分自身には負い目はなくなる。
 ともかく、やる事をやっているのだから。
 ちなみに、僕の場合は、十七の時から輸血と、事故のショックが有って不眠症になり長年病院に通っているので、社会へ出て十六年間は、症状が益しな事もあり、何とか仕事をして来て、ここ最近は、症状が酷いので精神障害者認定を受け、国から年金を少し出してもらって生活している。
 どうしても働けない程、病状が酷いのならそういう生き方も有る。
 それでも、何とか健康に戻ろうという努力はしている。
 何か自分に課題を持ち、何かをしていれば、達成感も有る筈だ。


   二十、働くことに意義を感じないので働きたくない人は、……何もしたくないなら、……でも何かしよう。

 働くことに意義を感じないから働きたくない等と、何と勝手な理屈を言うのだろうか。
 健康なら働きなさい。
 働かないで、どうして食べる物を手にするんですか。衣食住に要る金を家の者に頼るなんてことはするべきではない。
 仕事の種類は、一杯有ります。
 精神も神経も身体も全て健康ならば、働いてその金で潤うべきです。
 何かを修得したいという理由で、職を持たずに家に頼るなら、何年か期間を区切るべきです。
 何もしたくないなら、何もしないで下さい。
 一日中部屋に居て、食事も摂らないで下さい。
 何もしない、とはそういう事です。
 貯金が沢山有るなら、何年か悠長に暮らす手も有りますが。


   二十一、状況が悪くなると、放っておくともっと悪くなる。

 何かの経緯で借金が出来て、それを返済を後回しにすると利子がついて、後になると、もっと高額を返済しなければならなくなります。
 例えば、十万の手取り給から百万の借金を月々三万づつ返すというのを、拒みつづけて一年間、ずっと放っておいたら、長い返済期間の上限にも限りが有るので、月々六万づつ返さなくてはならなくなったりします。
 十万の手取りで、六万を返済に充てると一月、四万で生活しなくてはなりません。
 四万で生活できるでしょうか。
 大体、煙草一日一箱吸うとして、一月、九千円。となると、三万一千円から家賃と光熱費を引いた額で食べなければなりません。光熱費込み一月一万くらいの借部屋なんて有るでしょうか。
 そのように、状況が悪くなったら放っておいてはもっと悪くなるのです。
 状況が悪くなりかけたら、早く対処する事です。


   二十二、本当につまらない現代人たち

 飲み屋で底抜けに盛り上がるのは、昭和一桁生まれや昭和十年代生まれだ、と或る知人に聞かされた事が有ります。
 しかし、私はそれでいいと思います。
 問題は、酒の席でも白けている昭和四十年代以降の生まれの人達の方じゃないのかと、個人的には思います。
「まあ、こんなもんで」
「そろそろ、おわりましょうか」
 仲間内では盛り上がるんだろうけど、会社のつき合いとかの幅の有る年代層が集まると、彼らは適当に拍手しておわろうとするのです。
 酒も、ビールを舐める様に飲んで、一体、何が面白いんでしょうか。
 二日酔いになって、無理して次の日も仕事をする位でないと、大した人ではないでしょう。
 遊ぶ時に、抑制している様な人は、仕事でも一生懸命にやる人ではありません。
 とりあえず、出勤して、ミスだけしない様にとり回る人です。
 そういう人は、こちらが身を乗り出す様な活気の有る話を出来ません。
 そういう人が増えました。
 地域のつき合いにも近所づきあいも最小限にしたがる。一体、マイホームで何をしている人でしょうか。
 こういう傾向は、小此木教授の言われる、『人類のモラトリアム化』です。お客様という立場にだけ居たくて、社会に深くかかわっていこうとする態度とは正反対です。彼らは、ディレッタントなのです。


   二十三、悪口は聞こえない所で

 悪口。本当に悪い所が有ってそれを指摘する場合と、悪い所はないのに、何か相手を引きずり降ろしたくて嘘やデフォルメした内容を言う場合が有るだろうが、直接、本人に聞こえる様には言わない方がいい。そうなると、相手と交戦になったり、相手が自分の悪口を言い触らしたりする事になるからだ。
 理不尽な事でストレスは溜まるものなので、なるべく早く、自分のストレスを吐き出しておこう。カウンセリングで聞いてもらっただけですっきりするという事も多い。
 妻か友人に、溜まった悪口は零す様にしよう。それも、対象者とは無関係な人物が望ましい。


   二十四、ケリをつけたきゃハッキリ言おう。

 その人に会うと、毎回、気分を害するという自分にとってマイナスにしか作用しない人も居る訳である。
 大事に大事に、事なかれ主義でどんな人にもいい顔をつくっているのは良くない。
 時間まで拘束して、おまけにこちらの気分を害してという相手には、友人関係をやめる事を伝えよう。
 相手に理屈づけて説得できなくてもいい。怒ってもいいから、そんな相手とは決別しよう。
 人間は限られた時間しか持っていないのだ。生きている時間は限られているのだ。
 こういう場合は、悪口でも、相手に面と向かって言うべきである。


   二十五、お金のない時の遊び方

・釣りに行くなら目立たない池へ。目立たない格好で。目立たない時間に。

 創作だけの生活をしていて、収入が極端に少ないと、気晴らしに行くにも先立つ物がない、と嘆く事だろう。
 釣りが一番、金がかからない。しかも独りで出来る。
 竿に凝る必要はない。
 竿も無ければ、百円ショップでテグスとルアーだけ買って、投げては、糸巻きに巻いてゆくなんてやり方も有る。
 ブラックバスなどは、生態系に悪影響を及ぼしているので、上手く針が外せなかっても口を傷つけてでも外して、畔にでも放ったらかしてもいい。
 マニアが集まっている池には行かず、営業の車が休憩で畔に停める事がよくある様な池にも行かない事だ。そんな所へ行くと、平日に釣りをしている貴方を見て、自分達は仕事をして大変なのに不公平だという意識を持って、「アイツ、阿呆やろ」とか言われかねない。
 何らかの事情があって、こちらはこういう生活をしている訳で、それを自分の生活と比べて愚痴るのはどうかしている。
 なるべく、剰り人の来ない池に原色ではない目立たない服で行こう。
 充分、気晴らしになる。
 歩くのもいい。お金はかからない。
 料理を自分でつくるのも、愉しみになる。
 あんまり大きな音のしない楽器を演奏するのもいい。
 図書館で過ごすという手もある。
 図書館の外で知らない同士、色んな話をするのも楽しい。但し、地域によっては言動に品のない人ばかりがタムロしている事もあるので、自分に合う図書館を捜そう。
 将棋盤に駒を並べて、独り将棋というのも有る。
 インターネットでアダルトサイトの無料動画を愉しむとか、図書館でCDやVTRを借りてきて観るのも楽しい。
 金がないなら、まあ、そんな処だろう。
 でも結構、気晴らしは出来る。


   二十六、これだけは言っておく。いくら近所へ煙草を買いに行く時でも必ず身分証明書を持っておけ。

 煙草が切れると困るものである。
 ことに、夜中だと買える所は限られているし、既に飲んでいれば車も使えない。
 一寸、出るだけだからといって、寝間着の上にジャンパーだけ羽織って小銭だけ持って外へ出るというのはやめた方がいい。
 どんな人間に出会うかも知れないし、警察官に職務質問されたりもする。そういう事も有り得る。
 運転免許証なり、学生証なりの身分証明書を持っておくべきである。
 ケイタイが有れば、それも持つべきである。
 現代は、何が起こるか分からない。
 或る程度の金とクレジットカードも持っておくべきだ。
 無防備ではいけない。

 

 




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